後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔418〕立教大学共生社会研究センターニューズレター「PRISM(プリズム)」16号が届きました。

2021年11月14日 | メール・便り・ミニコミ
  年1回ぐらいの発行になるのでしょうか、先日、立教大学共生社会研究センターニューズレター「PRISM(プリズム)」(A5版4ページ)16号が届きました。、巻頭言は平野泉さん(立教大学共生社会研究センター・アーキビスト)の「さまざまな人の、さまざまな表現を伝え続ける-投稿誌・同人誌の魅力」、見開きには4人の雑誌編集者のそれぞれの雑誌発行の経緯、内容、発行趣旨などが書かれています。最終ページは立教大学共生社会研究センターの案内といったところです。

 そもそも私たち夫婦とこのセンターの関わりは70年代、教師家業をスタートし、ミニコミ夫婦共同誌「啓」(ひらく、息子の名前)を発行し始めた頃に始まります。妻はたばこの煙に耐えきれず嫌煙権運動に関わり、間接的に住民図書館の丸山尚さんを知るようになります。住民図書館は全国のミニコミを集め住民運動の情報提供役を果たしてきました。
  この住民図書館にはさまざまなミニコミが送られてきたようです。つたない私たちの「啓」も喜んで迎えてくれました。その全貌は私の知る限り、3冊の丸山さんの著作を通して知ることができます。光栄なことに、いずれの本でも「啓」を紹介していただいています。
・『ニューメディアの幻想』現代書館、1985年5月
・『ミニコミ戦後史』三一書房、1985年7月
・『〔ミニコミ〕の同時代史』平凡社、1985年10月

  住民図書館は赤字経営が続き、当時から東京都内を転々としていました。最終的に落ち着いたのが埼玉大学の共生社会研究センターでした。私も埼玉大で非常勤講師をしていたときに一度立ち寄ったことがありました。現在はこの共生社会研究センターが立教大学に移っているのです。
  冒頭で紹介した平野泉さんは「啓」のリーメンシュナイダーに関する記事に関心を寄せていただき、緑との交流が始まりました。緑の写真集の第1巻『祈りの彫刻-リーメンシュナイダーを歩く』に掲載されている巻頭のドイツ人写真家ヨハネス・ペッチュの挨拶文をドイツ語から日本語に翻訳してくださいました。日本の住民運動の貴重な資料を保管・紹介してくださる日々のお仕事に敬意を表したいと思います。

*参考、『ミニコミの論理』田村紀雄編著、学陽書房、1976年


◆【沈思実行】運動と遊びの精神 鎌田 慧
  『世直し石鹸』『なめんなよ飴』(笑劇の川柳作家)

 コロナ禍のせいで、大きな集会や大規模なデモを実施できなかった。
 この間、自公がさらに結託して悪政恣(ほしいまま)、歯止めを
かけられなかった。
 リモート会議やリモート集会などに封じ込められ、大衆運動の
熱気を示すことができなかったのが残念だ。
 集会とデモは、たがいの想いとその熱とを重ねあわせ、次の行動への
エネルギーを充電する行為。非暴力直接行動だが、小規模でしか
できなかったのだ。

 さらにいえば、首都の東京都は道路交通法や都条例などで、デモに
対する規制が厳しく、警察は横4列、前後を小集団に分断して、デモを
コマ切れにしてちいさく見せている(ちいきによってはさらに厳しい)。
 政府や都の、集会やデモの規制は許せない横暴だが、その一方で、
堅苦しく、パターン化した集会やデモのつくりを大胆に変え、若い人
たちも入れる形にすることが問われている。

 永田町の経産省前テント広場や首相官邸前行動などの脱原発集会に、
おむすびのような笑顔であらわれる、小柄な豆タンク、元気溢れる
乱鬼龍さん(70歳)は、自称「笑劇の川柳作家」だ。
 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
 戦争の悲惨を五七五に刻んだ鶴彬(つるあきら)の名句はよく知られて
いる。
 このように川柳は発想を転換させ、硬直しがちな運動を揉みほぐす。

 「原発推進あとは野となれ山となれ」
 作者の乱鬼龍さんは、川柳を武器に運動にユーモアを、とテント広場
集会で句会をひらいている。
 総選挙の前に彼は「洗剤一隅の大チャンス」と書いたマンガ入りの
『世直し石鹸』を配って歩いた。
『なめんなよ飴』というのもある。 自公政治への怒りの表現だ。
 自費で洗剤や飴を購入して、友人の漫画家に風刺絵を書いてもらった
小袋に入れて配った。

 腐敗政治に歌で抵抗した、明治、大正期の添田唖蝉坊(そえだ
あぜんぼう)の仕事が思い出される。
 あゝわからないわからない/遊んでてお金のふえる人/かせいでも
かせいでも食えぬ人/何がなんだかわからない。
 運動に遊びの精神を注入する、柔軟な精神が必要だ。
    (2021年11月3日週刊「新社会」【沈思実行】より)

〔417〕久しぶりに日本美術展覧会(日展)から現代童画展、そして本屋の梯子をしたのでした。

2021年11月14日 | 美術鑑賞
  11月10日(水)はとても温かい外出日和でした。三里塚のワンパック有機野菜の宅急便を受け取ってから六本木の国立新美術館で開催されている日展を目指したのはすでに12時を過ぎていました。コロナ禍でじっとしていた毎日だったので、本当に久々の遠出になりました。
  日展は1907年から114回を数える伝統ある展覧会です。世界的に見てもこれほど出展者多数の美術展はないようです。歴史がありながら第8回日展となっているのはなぜなのか、私は知識を持ち合わせていません。
 今回足を運んだのは出展者の宮城千春さんから招待状をいただいたからです。宮城千春さんはリーメンシュナイダーのマリア祭壇(妻・福田緑の写真が元になっています)を背景にした女性を描いています。白日展という展覧会に春にも同様のモチーフで出品されていたことはこのブログ〔355〕でもご紹介しました。今回は入選されたということでしたので、前回とどのような違いがあるのか興味津々で会場に向かったのでした。
さすがに日展です。日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5部門に分かれていて、会場は1~3階に設定されていました。膨大な作品数ですがけして退屈はしませんでした。デジカメでお気に入りの作品を写し、家に帰ってからパソコンで再生するのが楽しみなのです。でもあまりの作品数で、気がついたら書部門の3階に行くのを忘れていました。
 宮城千春さんの作品は前回と同じモデルさんのようですが、彼女の凜としたものを想う佇まいに惹かれるものがありました。おそらく開かれた写真集の彫刻写真と背景の彫刻は同一なのでしょう。彼女はリーメンシュナイダーや作品にどんな想いを抱いているのでしょうか。前回の作品もさることながら、今回のほうがより素敵に私には映りました。
写真掲載の許可いただきました。





 次に向かったのは東京都美術館、六本木から日比谷線で上野まで乗り換えなしの30分でした。普段乗り慣れない駅の地下道を通って上野まで向かいました。妻の要望で上野公園の落ち葉を踏んで都美術館まで辿り着きました。
 ちなみにこの日は万歩計で1万5千歩を記録したと妻に聞きました。外国の街を1日歩いて約1万歩ということが多いので、この日はかなり頑張ったことになります。どおりで左の足の付け根が痛くなるはずです。だましだましの歩行がその後続きました。

  都美術館で開催されていたのは第47回現代童画展です。緑と一緒に英語を学んだ仲間だという高橋素子さんは現代童画会の会員で今回の出品者でした。彼女から招待券をいただいたのでした。総展示数が425点、こちらもかなり見応えのある展覧会でした。童画展ということで、瞬時に物語の時空に紛れ込んだような錯覚が生じました。作品それぞれにドラマがあり、日常ではあまり味わえないような異空間を彷徨う感覚でした。
 緑は高橋さんの作品が大好きで、以前にも展覧会にお邪魔していたようでした。今回の作品「聖夜」はいつもより大ぶりだと緑は言っていました。私も何度か彼女の作品を絵はがきで拝見した記憶があります。メルヘンを感じさせるお伽噺の世界が現出しているかのようでした。
 作品掲載許可済みです。


 
 夕飯をとってから池袋のブックオフ、ジュンク堂、三省堂と回り、家に着いたのは九時頃になっていました。