細田和子さんは版画教育の重鎮(日本子どもの版画研究会会長)でもあり、染織家としても超一流の方です。
かねがねご芳名は私の脳裏にはインプットされていましたが、親しくお話しさせていただくようになったのは1997年からの3年間、私が在職していた東久留米市立第九小学校に嘱託で来られてからです。3年生の図工を担当されたように記憶しています。
その後久しぶりにお目にかかったのは2009年、練馬区立美術館で「細田和子染色&キッズ・ゲルニカ展」が開催されたときでした。その時に驚いたのは、版画教育の第一人者というだけではなく、細密な「エッチング」技法を駆使した染織家としての一面でした。
さらに、私の練馬の実家でのミニ家族展「和の集い」や第1回福田緑リーメンシュナイダー写真展(練馬・古籐ギャラリー)にも足がご不自由にもかかわらず駆けつけてくださったのでした。今年の1月の第2回福田緑写真展(国分寺司画廊)にもお見えになりました。
そのおり、町田市立国際版画美術館に指導された子どもたちの版画出展のことをうかがい、いつか行ってみたいと思っていました。
5月25日(水)はシルバーデーでした。清瀬から車で1時間半、木々が生い茂る自然豊かな空間に美術館はありました。コロナ禍で混み合うこともなく、ゆったりと心ゆくまで味わって鑑賞することができました。
まずはこの展覧会の概要を眺めていただきましょう。美術館のサイトです。
http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2022-512
■彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動(美術館サイトより)
町田市立国際版画美術館 開催期間:2022.04.23〜2022.07.03
~工場で、田んぼで、教室で みんな、かつては版画家だった~
子供の頃に版画を作ったことはありますか?
日本の多くの学校で版画を学ぶのは、版画を普及した戦後の文化運動と深い関りがあります。
本展は戦後日本で展開した2つの民衆版画運動を紹介します。1つは社会運動を版画で伝え、アマチュアに版画を広めた「戦後版画運動」(1947~1950年代後半)。もう1つは戦後版画運動から派生し、全国の小中学校の教員が学校教育のなかへ版画を広めた「教育版画運動」(1951~1990年代後半)です。
これらの運動の原点には1947年に日本で紹介された中国木刻(木版画)の存在があります。現実を切り取った中国木刻のリアリズムは、戦争の傷や苦しい生活に悩む当時の人々に大きなインパクトを与えたのです。
2つの民衆版画運動のなかで作られた作品には平和への願い、社会へのまなざし、工場や農家の仕事、田舎から都会まで様々な土地での生活が実感をもって刻まれています。約400点の豊富な作品と資料を通して、これまであまり知られることのなかった版画史の一側面に光を当てることで、戦後の開発と発展のかたわらにある「もう1つの日本」が浮かびあがってくるでしょう。
日本の「戦後版画運動」と「教育版画運動」に大きく影響を与えたのは、魯迅が提唱した中国木刻(木版画)の存在だったという事実に驚く人もいるのではないかと思います。魯迅はいち早く中国で『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』やフラン・マズレールの『木刻連環画面 ある男の受難』を出版します。中国木刻の出発点になった作品集です。
さて、展示作品を見ていろいろな「発見」がありました。
丸木位里・赤松俊子(丸木俊)さんの『ピカドン』の実物を初めて見ました。小さなペン画の絵本でした。丸木俊『ひろしまのピカ』(小峰書店)の原型ではないでしょうか。
*群読構成した「教室はまちがえるところだ」が掲載されています。
私が群読構成した「教室はまちがえるところだ」は中学校教師だった蒔田晋治さんの作品です。静岡の戸塚廉さんが発行していた「おやこ新聞」で紹介され全国に広まっていったと理解しています。蒔田さんは作文や版画指導にも卓越していたということは知っていましたが、教え子の海野光弘さんが版画家であり、優れた版画指導者であったということは知りませんでした。その指導作品も数多く出展されていました。
「教育版画運動」の推進者として大田耕士、箕田源二郎、国分一太郎などの他、多数の参画があり生活綴り方と生活版画は隆盛を極めました。無着成恭、石田和男。佐々木賢太郎、坂本小九郎など実践者が綺羅星のごとく登場したのです。細田和子さんはその最終ランナーだったのでしょうか。
細田さんはこの展覧会に、2箇所で登場されます。山口県地福小学校での民話版画集の実践、東京・東久留米市の神宝小学校でのキッズゲルニカ国際子ども平和壁画です。後者はピカソのゲルニカと同サイズの大作です。
「教育版画運動」の頂点の1つが坂本小九郎指導の「虹の上をとぶ船」(八戸市立湊中学校養護学級)と思われます。今回全8作品が鑑賞できます。生活に根ざしたファンタジー性を有しているということで評価が高い作品です。
大田耕士が宮崎駿監督の義父であることを初めて知りました。宮崎アニメに「虹の上をとぶ船」が登場する由来について次のコラムが解き明かしてくれています。
「戦後版画運動」と「教育版画運動」についての詳細は240頁に凝縮された図録がお勧めです。家に戻って気を引かれるページからじっくり眺めてみたら、様々なことを発見できました。学芸員の町村悠香さんの巻末論考「生活を、もっと生活を」は力作です。
細田和子さんの仕事についてさらに知りたい方は、次の2冊がお勧めです。素晴らしい作品集です。
○『細田和子 染色展-子どもの版画 教育実践から』1999年
推薦の序文:針生一郎、前半染色作品、後半民話版画集からキッズゲルニカ国際子ども平和壁画までの指導作品
○『細田和子 思いを染める』2012年
推薦の序文:松永勲、テーマ:家族、いのち、環境破壊、祈り、ふるさと、花・樹・天空 これから、
最後に、新聞記事を紹介しましょう。町田から帰ってきてしばらくして、朝日新聞にこの美術展のことが大きく取り上げられていました。部分ですが読んでみてください。
ネットで調べたら、毎日新聞にも5月18日(水)夕刊に記事があったようです。高橋咲子記者でした。
7月3日(日)まで開催していますよ!
かねがねご芳名は私の脳裏にはインプットされていましたが、親しくお話しさせていただくようになったのは1997年からの3年間、私が在職していた東久留米市立第九小学校に嘱託で来られてからです。3年生の図工を担当されたように記憶しています。
その後久しぶりにお目にかかったのは2009年、練馬区立美術館で「細田和子染色&キッズ・ゲルニカ展」が開催されたときでした。その時に驚いたのは、版画教育の第一人者というだけではなく、細密な「エッチング」技法を駆使した染織家としての一面でした。
さらに、私の練馬の実家でのミニ家族展「和の集い」や第1回福田緑リーメンシュナイダー写真展(練馬・古籐ギャラリー)にも足がご不自由にもかかわらず駆けつけてくださったのでした。今年の1月の第2回福田緑写真展(国分寺司画廊)にもお見えになりました。
そのおり、町田市立国際版画美術館に指導された子どもたちの版画出展のことをうかがい、いつか行ってみたいと思っていました。
5月25日(水)はシルバーデーでした。清瀬から車で1時間半、木々が生い茂る自然豊かな空間に美術館はありました。コロナ禍で混み合うこともなく、ゆったりと心ゆくまで味わって鑑賞することができました。
まずはこの展覧会の概要を眺めていただきましょう。美術館のサイトです。
http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2022-512
■彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動(美術館サイトより)
町田市立国際版画美術館 開催期間:2022.04.23〜2022.07.03
~工場で、田んぼで、教室で みんな、かつては版画家だった~
子供の頃に版画を作ったことはありますか?
日本の多くの学校で版画を学ぶのは、版画を普及した戦後の文化運動と深い関りがあります。
本展は戦後日本で展開した2つの民衆版画運動を紹介します。1つは社会運動を版画で伝え、アマチュアに版画を広めた「戦後版画運動」(1947~1950年代後半)。もう1つは戦後版画運動から派生し、全国の小中学校の教員が学校教育のなかへ版画を広めた「教育版画運動」(1951~1990年代後半)です。
これらの運動の原点には1947年に日本で紹介された中国木刻(木版画)の存在があります。現実を切り取った中国木刻のリアリズムは、戦争の傷や苦しい生活に悩む当時の人々に大きなインパクトを与えたのです。
2つの民衆版画運動のなかで作られた作品には平和への願い、社会へのまなざし、工場や農家の仕事、田舎から都会まで様々な土地での生活が実感をもって刻まれています。約400点の豊富な作品と資料を通して、これまであまり知られることのなかった版画史の一側面に光を当てることで、戦後の開発と発展のかたわらにある「もう1つの日本」が浮かびあがってくるでしょう。
日本の「戦後版画運動」と「教育版画運動」に大きく影響を与えたのは、魯迅が提唱した中国木刻(木版画)の存在だったという事実に驚く人もいるのではないかと思います。魯迅はいち早く中国で『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』やフラン・マズレールの『木刻連環画面 ある男の受難』を出版します。中国木刻の出発点になった作品集です。
さて、展示作品を見ていろいろな「発見」がありました。
丸木位里・赤松俊子(丸木俊)さんの『ピカドン』の実物を初めて見ました。小さなペン画の絵本でした。丸木俊『ひろしまのピカ』(小峰書店)の原型ではないでしょうか。
*群読構成した「教室はまちがえるところだ」が掲載されています。
私が群読構成した「教室はまちがえるところだ」は中学校教師だった蒔田晋治さんの作品です。静岡の戸塚廉さんが発行していた「おやこ新聞」で紹介され全国に広まっていったと理解しています。蒔田さんは作文や版画指導にも卓越していたということは知っていましたが、教え子の海野光弘さんが版画家であり、優れた版画指導者であったということは知りませんでした。その指導作品も数多く出展されていました。
「教育版画運動」の推進者として大田耕士、箕田源二郎、国分一太郎などの他、多数の参画があり生活綴り方と生活版画は隆盛を極めました。無着成恭、石田和男。佐々木賢太郎、坂本小九郎など実践者が綺羅星のごとく登場したのです。細田和子さんはその最終ランナーだったのでしょうか。
細田さんはこの展覧会に、2箇所で登場されます。山口県地福小学校での民話版画集の実践、東京・東久留米市の神宝小学校でのキッズゲルニカ国際子ども平和壁画です。後者はピカソのゲルニカと同サイズの大作です。
「教育版画運動」の頂点の1つが坂本小九郎指導の「虹の上をとぶ船」(八戸市立湊中学校養護学級)と思われます。今回全8作品が鑑賞できます。生活に根ざしたファンタジー性を有しているということで評価が高い作品です。
大田耕士が宮崎駿監督の義父であることを初めて知りました。宮崎アニメに「虹の上をとぶ船」が登場する由来について次のコラムが解き明かしてくれています。
「戦後版画運動」と「教育版画運動」についての詳細は240頁に凝縮された図録がお勧めです。家に戻って気を引かれるページからじっくり眺めてみたら、様々なことを発見できました。学芸員の町村悠香さんの巻末論考「生活を、もっと生活を」は力作です。
細田和子さんの仕事についてさらに知りたい方は、次の2冊がお勧めです。素晴らしい作品集です。
○『細田和子 染色展-子どもの版画 教育実践から』1999年
推薦の序文:針生一郎、前半染色作品、後半民話版画集からキッズゲルニカ国際子ども平和壁画までの指導作品
○『細田和子 思いを染める』2012年
推薦の序文:松永勲、テーマ:家族、いのち、環境破壊、祈り、ふるさと、花・樹・天空 これから、
最後に、新聞記事を紹介しましょう。町田から帰ってきてしばらくして、朝日新聞にこの美術展のことが大きく取り上げられていました。部分ですが読んでみてください。
ネットで調べたら、毎日新聞にも5月18日(水)夕刊に記事があったようです。高橋咲子記者でした。
7月3日(日)まで開催していますよ!