南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆辞めさせた理由

2015-09-11 22:31:53 | 病気

 2429 昨日、首になった、ここの責任者、昼間、1時間ほど会社に来ていて、申し送りのようなことをした。一月に来ている金型の請求書の支払がしていなかった。その金型屋には同じ型を二型頼んだ内の一型だった。今、一型しかないから二ラインで生産したいから、と、その金型屋に見積もりを頼んだ。先方曰く、その金型なら、途中まで作ってあって、止めたという、何故かと聞いたら、一型の支払いがまだだから、二型目を作るのを止めたという。いつ話か、聞いたら、一月だという。とんでもない話、当の責任者曰く、まだ、頼んでないから、他の安い金型屋に頼んだらどうかと、でした。他のインドネシア人曰く、彼は嘘を言っている。注文書は二型になっていた。口から出まかせをいう、知らないふりをする。よく、自分で、耐えられるなと感心する。

 

引取装置の見積もりを受けて、手付金に50%ほど支払ったのが、4月、その装置、いつになったら、入ってくるのか、製造会社に問い合わせた。“注文書をまだ貰っていない“、と言われた。ご本人は、もう出来あがっていると言った、これも嘘でした。

もう一つ、中古押出機の事、頭金を15%、7ジュタRpほど払ったとは聞いていた。ところが、オーナー曰く、全額、払いたいからと言われて全額分50ジュタRpを渡したといっていた。納入された後、社内である程度、使えるように改良した。費用は8ジュタRp掛かったという。それが、4月に末、やっと、使えるようになったとみていたら、直後、その装置、消えてしまった。どこに持って行って、何をしているのだろうか、話をしてくれない。そして、四か月過ぎたい今、いなくなるのだから、会社名と電話番号を押してほしいと頼んだら、やっと、押してくれた。その時に、本人、修理が終わって、いつでも、取りに行ける状態になっていると、ミーティングの席で数人に言った。終わった後、彼はいなくなった。私が、受け取りに行こうと思って、電話をした。

 

結果、凄いことになっていた。最初、取りに行きたいと言ったら、先方、いきなり、声を大きくし、頭金だけ払ったので納入してほしいと言われて、納入したが、一か月後に残りを払うと言っていたが、連絡がないばかりかm電話に出ない、メールに返事もいしない、だから、頭に来て、納入後、一か月半後に、取り戻したという。あなたは、それを、本人から、聞いていないのかと、言われてしまった。それなら、払っていない分を直ぐ払うから、残りを押してほしい、また、温度コントローラーを増やしたいから、その分の見積もりを追加してほしいと頼んだ。

そこまでで、先方に人、インドネシア人の分かる人と変わってほしいとう。ヘニーを知っているから彼に変わってほしいという。そして、ヘニーに代わった。そして、彼に話したことは、その押出機、今はばらしてしまって、部品は、他の装置に転用してしまって、元に戻すことはこうできない状態になっているという。だから、見積もりなど出せないし、返すこともできないということだった。払った、頭金も返さないと言えわれた。

結局、15ジュタ、捨てたことになるばかりか、押出機を手に入れることは振り出しに戻ってしまった。

そして、オーナーが渡した50ジュタの内35ジュタはどこへ行った?首になったご本人、何も悪びれずに、最後まで、とんでもない嘘を何気なく言って、会社を後にした。二か月以上、聞いても、黙って、無視していたわけだ。嘘を言い始めると、その環境から追い出されるまでは、嘘を付き続けなければならなくなるのでしょうね。気の毒ですが、首にされて、本人が一番、安堵しているのでしょう。

 

今朝の出勤途中。リッポチカランの通りを東に向かい、チバトゥのインターを横に見ながらジャガベカ2に向かう。朝6時から8時まで、チカランバラットのインター方面には相当遠回りをしないと行けないので、仕方がないから、チバトゥ方面でゆく。

アキレル 驚き 平気

 

"Hari ini kami berhasil menangkap terduga pelaku berinisial M. Terduga pelaku kami tangkap di Langkapura, Lampung saat berada di dalam bus,"

"Barang bukti yang kita temukan di rumah M salah satunya handphone milik korban. Sejumlah uang juga dinyatakan hilang. Tapi kami masih dalami soal itu,"

       Nishimura yosgimiさんについて、Mをスマトラのランプンのバスの中でつかまえたこと、東ジャカルタの彼の家で、HPと幾らかのお金を見つけた。まだ、捜査中。

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(^_-)-☆再び救急へ

2015-06-14 22:41:44 | 病気

 2340 昨日書かなかったが、昼1時過ぎ、ちょっと、お腹が痛くなったのでトイレに行った。インドネシアスタイルのトイレ、昔の日本式便座に似ていて、しゃがみ込むスタイル。ちょっと力んで出そうとしたら、急に痛さが増してきた。我慢をしで、出るのを待っていたが、出ない、それどころか、痛さが、どんどん増してきて、胃を切った直後の腸閉塞の時の痛さに匹敵する痛さになってしまった。それだけ痛いと、吐き気もしてきた。強烈な吐き気になってきたが、吐こうとしても、吐くものがない。昼食を取っていなかったのでした。その内の目が回ってきた、痛さと吐き気と体が燃えようだった。大変なことになるぞ、これは、誰かを呼んで、病院へ運んでもらわなけれならないと、お尻を何とか洗い、パンツを何とかはいたが、ズボンをはくことができない。その状態で、這うようにして、トイレから出た。セキュリティーに声を掛けることができる場所まで、20mほど這って行き、トローンと、助けを求めた。彼等が倒れこんでいる私に気づいて、抱え上げ、車に乗せてもらい、ハラパン クルアルガに向かってもらった。トイレから出て、10分くらいだったと思う、病院に着いた時に、目眩も、痛さも、吐き気も、ほとんど治ってしまった。車椅子を持ち出されたので、必要なかったが、座って、ベッドに運ばれた。その時、全く、何でもなくなってしまっていた。

 

症状を言って、来た理由を言って、そして、今は、何でもなくなったとも言った。看護婦が、テンシと言って、体温と血圧を測った。その後、心電図も取った。結果は、案の定、正常中の正常、言うことなし。医者が来て、聴診器を当ててチェックをしたが異常なし。痛み止めと下痢止めの薬を処方されて、病院から出た。トイレに入ったから会社に戻るまで1時間の出来事でした。

 

そして、暫く、書き物をして、2時半ごろ、家だ休むことにして会社を出た。自分でいつものように運転して家に戻った。その後、何事もない。

 

そして、今朝は、4時起きで、朝食など取り、5時に家から出て、6時かティーオフ、朝一番スタートでした。全ての芝に露が降りていて、白っぽくなっている。歩けが足跡がつく、私たちの前に足跡はない。

 

涼しくて気分は快適、その内、サンライズ、カユプティが朝日に照らされて、色いはずの木が黄色に輝いていた。インドネシアでは誰もが知っている、気つけ薬、メンタムのような匂いがする液体薬、ミニヤック カユ プティの原料になる木です。以前書いたが、この木の歯を積まんで、両手で揉むと、その、スッとしたその匂いがする。この木は、インドネシア中、そこかしこにある。

 

で、その後、何でもない。あの、約、10分は何だったんだろうか、ちょっと前、シロアムの救急に夜中に行った時も、目眩が治らなくて行ったが、病院に着いた時には、ほとんど治ってしまっていた。しかし、繰り返すということは、何か、あると思う。

 

今、シンガポールでシーゲーム(日本で知る人はいないと思う)と言って、アセアン諸国だけのミニオリンピックのようなものが行われている。先ほど、サッカーの準決勝戦、インドネシアとタイの一戦を見ていた。終始タイの一方的な攻撃で、5-0で負けてしまった。日本人が二人、主審と線審をしていた。

救急 目眩 ケロッ

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(^_-)-☆喉に何か?

2015-05-22 22:32:56 | 病気

 2317 歯医者で世話になっているハラパンクルアルガ病院に行ってきた。今回は歯医者ではなく、喉に何かが詰まってきていて、次第に呼吸が難しくなってきているような気がして、何か、出来ものでも出来ているのではないかと思い、行ってみた。パニック障害の時の症状の一つにも同じようなことがあったので、パニック障害の薬を二日前に飲んでみたが、治る方向ではなかった。

 

最初、ウムウム科という公共という意味だが、そこへ行くように指示されて行ってみた。その前に、血圧と体重を計った、血圧は昔の空気を送って抜きながら測るやり方で、何故か、両方の腕で測ってくれた。何故かと聞いたら、ちょっと高めだったのでという。理由になっていないと思うが。

 ウムウムでは、問診と胸の音を確認、気になるのは喉だけで、他のどこも痛くないし、苦しくもないということで、耳鼻咽喉科(THT)に掛かるように言われた。紹介文を渡されて、耳鼻咽喉科へ行った。バチックの青年がその部屋に入って行って、直ぐ出てきて、私を呼んだ。全然、ドクターっぽくないが、非常に丁寧に、色々解説しながら診察をしてくれた。何語が良いかというから、日本語と答えたら、それじゃ困ると言われ、それなら、インドネシア語でお願いしますと。問診の後、首の回りを触診、その後、喉の絵というか、写真を指さしながら、各部の説明をし、特に酷い以上はみあたらないが、今から喉の奥をこんな具合に見ますと、指でその絵の口から首の奥の方までなどって見せた。あ、そうか、今からカメラを入れるのか、それにしても、モニターがないし、外に行った看護婦にどこかに取りに行かせるのかなと思っていたら、ドクター、引き出しの中から長い柄のついた小さな丸い鏡を取りだした。歯医者が、歯の情況を観察するやつだ。これを、今から、ゆっくりと、などの奥まで入れて様子を見るという。看護婦が戻ってきた。マスクと不織布の切れぱしだった。マスクはドクターがする。布は?聞く前に、せ夢いしてくれた。これで、舌の先を出来るだけ長く出してもらって、私が引っ張りながら、鏡をゆっくり、奥まで入れて行くという。

 

ヘッドライトを付けたドクターが私と面と向かって舌を引っ張って覗き込んでいる。相当、滑稽な状態ではないかと思う。息を吐く声と吸う声を出すように要求された。これって、大きな口を開けながら、やるのは難しいが何とか出来た。しかし、よく、ドクターの言うことが理解できるなと、自分ながら感心した。

 

診察の結果、口の中も舌も声帯の情況は正常、ただし、舌の付け根付近がラダンだという。Radang炎症がある、でした。全く、心配するほどに状態ではないので、炎症を消す薬と何故かアレルギーと痒み薬を出すという。歳が71ですよね。唾液やその他の水分の分泌が少なくなっているので、加齢とともにこういう症状は出てきますよ、排気ガスや職場のポリューションなどにも敏感に影響されるから、いつも、水を持っていて、少しでいいから、飲むようにした方がいいと、アドバイスでした。

炎症 喉 THT

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(^_-)-☆まいったが

2015-03-05 22:38:17 | 病気

 2239 高齢者の一人暮らし、それも、外国、昨日夕方から、なんとなく、冷や汗をかき、寒気がしていた。次第に、頭がくらくらしてきた。おまけに、夕食を取っていないのに吐き気がしてきた。やー、このまま、どうしようか、気でも失ったら、どうにもならない、病院へ行くしかない、22時を過ぎていた。勿論、自分で運転して、シロアムに向かった。駐車場に入ると右手に救急の入り口が見えた。入ってゆくと、すぐに、当番医?が近付いてきて、血圧と体温を計りながら、私の症状を聞いてくれた。その後、その場にある受付でダフタール(申請)を済ませた。掛かったことがあるかと聞かれたので、10年ほど前に一度あるといいながら、受け取ったばかりのKITASを出した。“在りました、住所はグラハチカランですね”と言われた。当時はそうでしたが、今は、タマンセントサだと言ったら、構わないから、以前のままにしておきましょう、だった。“保険がない、プリボディで”と言っておいた。

 

当時、パニック障害とは全く知らなかった時だが、一瞬。気絶しそうになることを数回繰り返す状態で、この病院に駆け込んだのでした。結局、血液検査や心電図を取ったが異常なしで、やはり、目眩を改善する薬を貰って出てきた。その後いくつかの病院を巡ることになって、最終的には日本に脱出したのでしたが、それ以後この病院に世話になることはなかった。

 

数分後、若い者が私を呼んだ。狭い診察室に入って、症状を伝えた。上半身裸になり、ベッドに仰向けに寝て、聴診器での診察を受けた。異常はないようだ。血圧が140だったが、通常は110くらいだと言っておいた。体温は36.3℃、全くのノルマル。今度は、座って、目の前に、人差し指を出され、この動きを目だけで追ってください、と言われながら、直ぐに左右上下に追った。真ん中に来て、二本に見えないかと言われたので、一本だと言った。その後、ちょっと、足をハの字に開いて、目を閉じて立って下さいと言う。言われたとおりにした。ぐらっと動くかどうか、確認したと思うが、動かなかったと思う。

 

それで、診察は終わり、大したことはないと判断されたと思う。頭痛改善、目眩改善、吐き気改善、それに、ビタミン剤、四種を処方された。まだ、頭がクラクラしていたし、寒気もしていた、熱もないのに、やはり、私にとっては、異常が解消されていなかった。

 

三階のキャッシャーヘ処方箋と診察終了票を持って行き、先ず、診察料を30万Rp払った、次にすぐ横の薬局で薬代を40万Rp払った。薬は五日分、一日二回の薬でした。しかし、医者には、明日は仕事をしないで、安静にしていてください、一日二日飲んで、改善されなかったら、必ず、また来てくださいと言われていた。

 

そして、今、どうか、三回飲んだが、大分、症状は改善されたようだ。食事は通常通りにお腹一杯食べても吐き気はしない。

 

ファーマーズマートの横の通り、ATMがあるので、ここを良く歩く。

救急 回復 高齢者

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(^_-)-☆忙しい一日

2014-10-09 22:43:58 | 病気

 2092 金型代金の支払いに行ってきた。社内でもできるのだが、色々あって、直ぐにはやってくれない。急ぐので、外注するしかない。支払いは私個人になる。新会社に貸すことになりそうだ。そして、外の方が安いから面白い。

見積もり依頼に対する返事として、見積もりを出してはいるが、今の場所で詩作に取りかかれないので、OKかどうかや金型のPOの催促はしていない関係上、私がする仕事は少ない。外出する用事もないので、PCとにらめっこ、目が疲れるので、それも、控えている。

目眩が再発してしまった。パニック障害の時の症状にそっくりで、クラットして、気を失うかなと思う、頭からスッと血が引くような感じ、脈が飛んでいるようだ。これは、まずいと思って、近くの総合病院へ行き、日本人担当の案内人というのでしょうか、事情を話したが、知識が無い様子で、呼吸器科に行くように言われ、医師に事情を話したが、その時に何の症状もないので、やはり、目眩を解消する薬を三日分出すというので、つい最近貰った薬がまだ残っているのでいらないと断った。

 

以前、この病院に、緊急入院したことがあって、その時にも、悪いところはないと言われ、一日で追い出された。また、後日、日本で処方された薬と同じ薬を欲しいと、精神科の医師に相談したことがあって、その医師は、知っていた?知っているふりをしたのか。同じ効果がある薬だと言って、7日分二種類を渡された。その時には、既に治っていて、念のために、インドネシアに同じような薬があるのかどうか確認したかったのでした。そして、その薬を飲む事態にはならなかった。

 

そして、今日、本当に久しぶりに、多分、二年ぶりくらいかもしれない。有効期限があると思う、有効期限はとっくに切れていると思うが。三種類に薬を呑んだ。効果がったのかどうか、飲まなくても、症状は現れなかったかもしれないが、とかく、既に8時間ほど血の気が引くような目眩はない。薬は、まだ、三回分残っている。

 

処方してくれた医師は。この薬をお守りのように待っていて、症状が無くても、ちょっと思い出した時に飲む。そういう飲み方をする人も多いと言っていた。

 

MM2100のゲートと反対側のゲート、チビトゥン1と書いてある。YKK,SUZUKIなど、日系企業がこちら側にも沢山ある.

 

何という名前の行列でしょうか、オドンオドンというのでしょうか。割礼を済ませたよ、というお披露目の行進です。

パニック障害 気休め薬 貧血目眩

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(^_-)-☆ドゥマンブルダラー

2014-09-08 22:43:22 | 病気

 2061 錦織選手、大したものです。信じられないほどの動きですね。世界のトップとはこういうものかと思わされた。試合後のインタビューの受け答えにも感心します。決勝はフェデラーを破った、チリッチという選手のようですが、是非、良いニュースをもたらしてもらいたいと思う。日本中、大騒ぎだろうと思う。You tubeで検索して、何度も、見ました。ラケットを落としてくるっと回して後ろ手でグリップをする動画も見た。

 

大騒ぎと言えば、インドネシアのニュースでも日本のデング熱について、結構、詳しく報道している。代々木、新宿御苑、明治神宮が閉鎖される様子を知った。蚊避けグッズの売れ行きについてもやっていた。秋になり冬になれば自然に、なくなってくると思うが、心配な人は心配でしょうね。

 

インドネシア語Deman berdarahドゥマンブルダラー、熱と出血という意味です。血小板が減少し、毛細血管から出血が止まらなくて、体中に赤い斑点ができることもある。

日本語、デング熱 英語、dengue feverデングフィーバー,ですね。私は、気にしていません。なったらなったで、運が悪いかなと思うだけでしょう。高熱が出たら病院に行くだけです。まだ、その経験はない。

 

 蚊について、気にしないのではありません。気になります。刺されれば、かゆいわけで、刺されたくありません。どこにもいると思っています。会社でも現場でも事務所でも、車の中でも、勿論、家の中や周囲にもいます。ちょっと、動かないでいると、必ず刺されます。今日もゴルフから帰った後、洗濯機の周りと、干す時に、何か所か刺された。数分の間だった。

台所で何かをしている時にも、居間や寝室にも一匹か二匹、出没する。刺されない日はないと思う。私の蚊避けグッズです。皮膚に塗るもの、辺りをスプレーするもの、蚊取り線香、マットなどです。使い方は色々です。何もしないより良いかなという程度の効果だと思う。

 これらのグッズは、アンチ ニャムックanti nyamukと言います。ハエやゴキブリの駆除にも効果があるか書いてある。

血小板 高熱 内出血

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(^_-)-☆すごい人の上

2014-01-10 22:33:34 | 病気

 1820 久しぶりに、MM2100の工業団地へ行ってきた。ある会社への訪問でした。MM2100へ行っても、入ってすぐの会社へしか行っていないので、今回のように奥の方まで行くのは何年振りだろうか、4年ぶりかもしれない。ある会社から追い出された日以来だ。追い出した張本人が居なくなったので、今回、こういう機会が舞い込んだということだ。合弁のインドネシア人重役と従業員のトップのマネージャーからの案内でした。彼らは、再び私に手伝ってほしいと思っているのです。

現状どうなっているのかチェックしたくて、先ほど、その会社を訪問してきた。社長以外は全員、大歓迎、何と言ったって、生産している製品の大多数は、私が立ち上げたものだし、私が提供した装置がそのまま使われているのですから、そして、三年ほど前にいた従業員は、全員、私の教え子だからです。社長は、日本の支援担当をしていて、どういうわけか、親会社が変わった時から、現地の社長になって、それまでの社長は格下げになった、そして、約二年後に、帰国辞令が出された。私の技術や装置で持っているようなものなのに、前社長を本社から支援してきた彼にしてみれば、私を、歓迎できないのです。

 

悲しいかな、思った通り、私が居なくなった後、新しい仕事を全然取れていない。そればかりか、一種類(車やバイクのケーブルコントロールシステム用のHDPEチューブ、これも、私が立ち上げた)を除いてほとんどの仕事は生産量が減ってしまっていた。それらの製品を注文している会社から新規の話があるが、出来ないと断ってしまっている。

 

会社にCCTV(監視カメラ)を40設置して、そのモニターを二人で常時チェックしていた。そして、ちょっとでも怪しい行為があれば、逐一、メモをさせ、報告させていた。二人を競争させ、その報告事項が多いほど、チェック担当者の評価を良くした。トイレにも監視カメラが取り付けられていた。人を信用できない、疑り深い、気が弱い、だから、瞬間湯沸かし器のような、弩鳴り方をする、それも、怒鳴られた方は、なるほどと、納得するような内容では無い、白のものを黒だと言って怒鳴るのです。本人は、恨みを買いやすいということを自覚しているから、従業員や周りの人達の行動に神経を尖らせるのです。

 

自分を疑う、自分を批判する、そういうことに異常に反応し、そういう疑いをされた人は、排除されるのです。気の毒と言えば、気の毒な人だが、そういう人が経営する会社の従業員は、只、耐えなければならない、逆らったら、無視されるか、いられなくなるような状態にさせられる。恐怖で従業員を抑え込むタイプだった。

 

これに似たような会社をこのほかに二社知っている。共通点は、オーナー社長ではない。従業員が200人前後で、アセンブリが主な仕事だ、ローカル企業と競合している。人数ほどの売り上げがないので、忙しい割に利益はほとんどない。こういう会社は、技術的に全ての工程を改善して、人数を減らすとか、資材の調達を効率的に安価にするなどをしなければならないが、日本人の能力が低い上に、感情をむき出しにしているだけなので、どうにもならない。支援をするはずの親会社も手だししない。

 

親会社は、従業員の意見を聞くべきだ。会社の雰囲気や経営者の性格や行状に関して、匿名でもいいから、思ったこと書いてもらうのも一つの方法です。結構、二重人格者が多いし、外面と内面が正反対という人も多いいので、日本から来て、本人に話を聞くだけでは、本当の親会社とは言えない。

 

 このくらいにして、今日、状態をみて、決めたことがある。明日から、行動する。

 

MM2100の一番奥の突き当たり、この辺りは建設中の工場が多い。

 

チカランバラットの出口導入路の途中からジャバベカ1に直接入るインターチェンジを作っているが、いつ開通するでしょうか、ここも、カリマラン川に架かる橋を作らなければならない。雨季の晴れ間は、真夏の入道雲が出現するが、そう長く持たないで、二三時間後には、また、黒い雲に覆われる。

 気の毒 放任 責任逃れ

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(^_-)-☆警鐘すごい人

2014-01-09 22:53:24 | 病気

 1818 警鐘を鳴らす意味で、時々、この種の話を書いている。特に、現地の会社のトップの方は、日本人スタッフの行動について、警報や注意事項として、周知徹底することをお勧めします。ご自分にも、です。

 

凄いにはいろいろの凄さがあるものです。今日の凄さは、かなり、酷い凄さです。1万人以上の日本人が居るもですから、その行状は千差万別、ピンからキリです。知る限りで、飛び抜けて一番は、女子大生を殺してしまったあの人です。もう、10年くらい過ぎるでしょうか。今でも、知る人からこの時の話やその人の行状に着いて話題になります。当時は、今、私が住んでいるタマンセントサにインドネシア人妻と住んでいた。その女性を会社でも秘書として使っていた。その他にも、盛りだくさんの精力的な行動の話があった。そして、最後にはカラオケで知り合った女子大生を殺して、タンゲランに家を借りその庭に埋めてしまって、その近くのゴルフ場でプレー中に逮捕されたという、この件は、かなり有名な話で、もっと詳しい話が、語り継がれている。

昨年10月末で、ある会社から去った人がいる。15年ほど前から会社の経営を任せられていた人でしたが、ようやくというか、やっとというか、交代の辞令があった。よくも、まあ、本社というか、日本の支援担当者が、放置しておいたものだと、はたから見ていて、感心するくらいに、現場を知らないというか、疑問に思わないというか、無関心だというか、それとも知っていて、何かを受け取って、見て見ない振りをしていたのか、とにかく、インドネシアでの評判は、凄いの一言だったのに、である。

その一部である女性関係と家庭関係の中のこれまた一部を紹介しておく、ただし、同じような人は沢山いるので特にこの人だけという分けではないが、その期間は、創業から親会社が変わって、ポジションが変わるまでだから12年くらい続いたと思う。知る限りではこの人が最長だと思う。この人も初期にはタマンセントサの住民だった。

その時から、何かと噂があったが、赴任して二年目にインドネシアの女性と結婚した。男の子供を二人もうけた。その間にもその後も、女性遊びは留まるところを知らなかった。ついに、ある女性と結婚してしまった。その女性には結婚していることを話さなかったし、奥さんにも話さず、了解も受けていなかった。奥さんは離婚訴訟を起こした。一夫多妻制(ポリガミ)が認められているとは云え、それは、既に結婚している女性が認めなければならない、了解をえなければならない。黙って、ほかの女性と結婚してしまえば、当然、訴訟を起こし、慰謝料や養育費を求められる事は明らか、奥さんにしてみれば、絶好の機会を貰ったと思うし、その、一族も大喜びする。

慰謝料と裁判官や弁護士に、大金を払うことになり、何かと金銭的に操作をせざるを得なくなった。方法は幾らでもある。何とか、支払いは養育費を支払い続けることで決着したが、勿論、子供に会う権利も、わずかな機会しか得られなかった。

 

二年前の以前の話だが、二番目の奥さんとその弟二人は、会社の従業員として、給料を払っていたが、二人は家と個人のボディーガード、セキュリティとして、出社することはなかった、奥さんは秘書ということだったが、不定期に、偶に会社に顔を見せる程度で、車も与えられていた。止めさせられる直前はどうなっていなとかは知らない。

 

以前にも時々書いているが、そう多くはないが、目立つし、話題になりやすいので、こういう人は、いつになってもいるものです。どうにもならなくなって、会社を利用する人、サプライアーを利用する人、友人や関係者にたかる人、返済する事はあり得ない、100%、どこかに、誰かに迷惑を掛ける。それでも、おさまりがつかなくて高利貸しを紹介されてどんどん深みにはまりこまされる人。本社に知られて、始末をする担当者が日本から主張できて、何がしかの金額を払い、さる筋の人の世話になって、何とか、収めるなどという話は良く聞く。さる筋の人は、どこにでもいるものです。

 

 ブレーツェルを食べている二人。

 

 この人形は何だと思いますか。富士山が世界文化遺産に登録されたことを記念して売り出された沢山のグッズの中の一つ。音を直ちに繰り返す。しゃべったことをそのまましゃべる富士山人形です。インドネシアへ持ってきて、話しかけている。

驚き 誰でも 悪人

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(^_-)-☆治す薬がない

2013-04-12 23:35:02 | 病気

 1547 風邪がやっと回復に向かっている、日本での花粉症から解放されて、やれやれ、と思っていた矢先に、キツイ風邪を引いてしまった。それも、今週末には治る流れになっている。客先訪問もマスクをしながらだし、運転中も咳のしっぱなしだったし、鼻水、ずるずるの状態で、まいってしまった。

 

昨日からの続きの話、インドネシアで接した同じ会社の立場的には上の人、ほとんどみなさん私より若い、仕事を指導した若者は30歳くらい私より若かった。そういう人も含めて、ほとんど、全員が、“寝ながら人を起こす”タイプだった。自分が率先してやらない人が、インドネシア人や他の日本人に、あれやれ、これやれ、と言っている。お前は、だめだとか、努力が足りないとか、スキルが低いとか、言っている。それも、大勢が居る前で、大声で、日本語で、プッツン状態で言っている。まったく、見にくい、聞きにくい状態だ。周りに人々は、またかよ、といった顔で見ている。自分にもいつか降りかかってくると思っている。会社の雰囲気を悪くし、この人のために仕事をしたいとは思わなくなる。

 

そういう人たちは、私には、ある時までは、我慢をしているのでしょう、他の人に対するような怒り方をしないが、ある時に我慢が出来なる瞬間が来る、気に入らないことが、私の口から、一言出た瞬間、どっと、我慢の堤防が決壊する。私に怒鳴りだす、そののちに無視し始める。そういう人は、他の人には威嚇を繰り返しているのだから、いつかはそうなるだろうと予想される。聞いている私は、この人、気の毒に、的外れなことしか言えない、と思っている。反論すれば、もっと興奮するばかりなので、聞いているふりをしているだけ。

 

私の存在は、そういう日本人に比べると、言葉はできるし、部下、インドネシア人に優しいし、よく話を聞くし、皆さんの生活も援助するし、今までできなくて断っていた製品の注文は取ってきて、客先の期待にもこたえるし、その会社の利益にも貢献するし、仕事も長時間するし、自らやって見せるし、休日には、皆さんを遊びに連れて行くし、とにかく、インドネシア人からの受けがいい。

それが、気に入らないのです。うまく使えばいいのに、排除しようと考えるのです。自分の支配に危機感を持つのです。極端なことになるが、従業員全員が私なら、自分たちの不満や恐怖を和らげてくれるとおもうようになり、会社を乗っ取られる恐怖心に苛まれるのです。

 

 そして、私にしてみれば、思い当たることがない、理由を並べて、怒りを露わにするのです。仕事をしない人が、仕事をしている私にカッカとしているのです。仕入れた情報が間違っているかどうかなどの確認ができない人たちですし、私の仕事に関して、まったく素人さんです。技術の評価など全くできない人たちです。私に何もしなくていい、ということは、会社の利益を大きく損ねるなどということより、自分の眼先の利益を優先するのです。

 その人たちの三分に一以下の費用で、その人たちが出来ないことができるのですから、おだてて上手に私を利用するのが、本当の経営者だと思うし、そのくらいの余裕を持てる人がいないものかと思う。現実は余裕がない人ばかり、結局、本人がストレスをためるだけだ、気の毒に思うしかない。ずっとその状態が続くわけではない、そのポジションから降りた時、みじめな思いをするだけである。そして、消えてゆくだけです。

やって見せて手本になるような人になってください。インドネシア人からあの人と出会えてよかったと思われるような行動を取ってください。難しいでしょうがね、性格ですから。資質ですから。

 

最後に、70年前の頃それ以前、20年間くらいの日本軍が中国、韓国、東南アジア、南太平洋で多くの人々に今でも恨みが消えないような酷いことをした。それは、今日、書いたような人々の仕業です。これは、現在のそういう人種の行動言動から、当時のことが想像できます。そんなひどいことはなかったという人もいますが、私は、やっぱり、昔の日本軍は酷いことをしたんだと思う。

 

そろそろ、本格的な修復舗装が始まった、国道とまだまだ深い穴だらけのコタ チカランのメイン道路。

気の毒 進歩なし 雰囲気

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(^_-)-☆仕入れ価格

2012-11-21 22:32:39 | 病気

 1406 大学を出てすぐのころ、会社の購買の人が家を新築した、原料の価格で商社に便宜を図っているのではないかという噂が立ったことがある。その時、若かったこともあり、正義の味方としては、はっきりさせた方が本人のためになると思って、そういう事を言っている人がいるが、本当のところはどうですかと直接聞いた。本人は、誰がそういう噂を立てているのかと、逆に質問した。私は勿論誰と言わない。本人は「そんなことはない、実際に二社購買しているし、定期的な値下げはさせている」と、当然ながら、そういう返事だった。それ以上のことを聞けないので、その時はそれで終わりだったが、その人は親会社から来ていた人で一年後には会社からいなくなっていた。気まずい雰囲気でその間は付き合っていた。10歳年上の人だった。

 その時に、ある程度大きな会社では購買担当者を定期的に替えるのが普通だと教えられた。小さな会社ではそれは出来ないねと話したことがある。

 

 そういうたぐいの話に触れたのはその時限りだった。世間では、当たり前のようにある話だし、インドネシア人がどうのこうのでなく、日本人の方が悪質で計画的で巧妙な手口で色々な便宜を受けている人が多きことを、インドネシアで仕事を始めて、目の当たりにすることになってしまった。社長をしている時には、全く、醜い世界に触れることはなかった。

 一例である。その会社はほとんど独占的な仕事をしている。本当は相当な利益が上がるはずである。しかし、創業からずっと、ほんの少しの利益しか上げることが出来ないままである。社長本人の報酬が多いわけでもない、高級住宅に住んでいるわけでもない、しかし、酒と女性はほとんど中毒に近い。原料や資材の値下げの交渉をしないのです。逆に高い値を出す会社から調達しているのです。そうです。サプライヤーの交際費として、便宜を図ってもらっているのです。半端な金額では無い。

 長期でインドネシアの合弁会社のトップにいて、特に女性にだらしない人、日本に妻子がいながら、インドネシア人女性と結婚してしまっている人は、それほど多くないが、評判になりやすい。耳に入ってきやすい。インドネシア人の女性の身内は日本人が想像できないほど多い、なんだかんだとお金が必要になる。一人の女性では満足せず、何人も女性と交際する。自分が持てるのではない、金ずるになるおじさんとして持てるのです。

 そういう会社の他の日本人は、直ぐに交代させられる。インドネシア人の経理担当者も直ぐに入れかわる。

高級な家財道具や車やゴルフの費用、勿論、自分が家族などと旅をしたり飲食をしたりの費用も会社もちである。別宅に女性を住まわせて、女性のカギを渡さず、自分がその家にいない時には外からカギを掛けていたという信じられない話もある。その別宅の費用も社宅として会社負担にしていた。知らぬは本社ばかりなり、その人に任せている日本の本社の経営者は腰ぬけだと思う。だらしない、そういう会社の日本の本体は倒産してしまう例もあるが、インドネシアの会社はそのまま継続する例が多い。

 

日本での話ですが、私が自費で作ったサンプルをもみ消されたのも、品質や価格で負けない製品を提供されては都合が悪い人間がいたのでした。それを、同じ会社の社員が持ち込んだのでは、特定の会社に便宜を図り、その見返りをえていた当事者としては、とんでもない話だったのです。

そういう人は身の回りの人に対して、警戒心が異常なほど強いのです。外部から送り込まれた人に対して排除本能が活発になるのです。そういう事を、社長を止めて技術一本でインドネシアに来た私は始めて知ったのでした。世間知らずだったのでした。

 

 朝 家から出る時にこんな風景を見る、最近賑やかくなってきた。

 

夕方、会社から出るとこんな風景を見る。バイクの連中はプラスチックのシートを被っている。

 

ブカシ県警察より入り入った情報です。

日時 :              20121122日 木曜日

目的場所:         ジャカルタ インドネシア国民評議会会場ならびに大統領府

予想参加者数:    チカラン・ブカシより一万人程度

集合場所:           Kalbe FarmaEJIP- デルタシリコン交差点)前

集合時間:           午前730

要求内容:           アウトソーシングの撤廃、低賃金拒否

                                          福利厚生制度の2014年実施

                                          年金制度の2015年実施

 

不都合 警戒 止められない

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(^_-)-☆気の毒な人

2012-10-21 18:46:50 | 病気

 1375 その方一人の日本人。66ナイロンの射出成型品を作って20年の人、押出成型については全くの素人。プラスチックの原料は何であっても、射出用、押出用、何とか用と成型方法によって溶融特性が異なる原料を使うということを知らない。インドネシア人の私の指導した若者は。それを知っている。常識的に使い分けている。そういう知識がこの人には無い。

V06ナイロン(炎を遠ざければ自分では燃えないで火が消えてしまう6ナイロン、自己消化性6ナイロン)の成形をするときに溶融粘度を上げるために普通の押出用6ナイロンを数%混ぜていた。難燃材が多く混ざっていると、溶融粘度(溶けて口金から出てきたときの硬さ)が低くなって押出しには向かなくなり成形をしにくくなる、収率が落ちる。そこで、工夫をして、他人ができない製品を作るのです。私にとっては、貴重なノウハウである。自己消化性は失われていないことは確認していた。

昔、射出用の原料しかない時に、熱硬化性のエポキス樹脂を混ぜて、誰もできない製品を作り上げたこともあるし、66ナイロンに押出用が無い時には、6ナイロンの押出し用を混ぜて完成させた。いずれも、日本では誰も作れなかったプロファイル製品を作り上げて、客先に提供し、客先は、それを基礎に事業を拡大できたという代物でした。多いに喜んでいただいた。それがもとで、何とか勲章の表彰を受けた人もいるくらいだ。

私に対するパワハラの真っ最中、うまいものを見つけたと思ったのでしょう。彼曰く、「原料偽装、とんでもないことをしていた」と、私を怒鳴ったのです。「こんな製品を納入し続けることはできない、客先に本当のことを言って、謝って、納品を止める」とまで、言った。その後、私は押出部門から干されることになった。「もう何もしなくていい」というのです。例の社長も同意して、その人が押出も見ると宣言した。私は全ての仕事を取り上げられたのでした。会社に通勤するが、何もするなということだ。

その製品について何をしたかというと、射出用のVO66ナイロンでやれと押出スタッフに命令したのです。それこそ、原料そのものが違うし、とろとろ、垂れてしまう射出用原料では横に引っ張ることもできない。勿論、やれと言うだけで、自分は溶けている樹脂を掴むこともできない。彼はナイロンにも色々な樹脂があって、それぞれ、全く違う特性を持っていることを知らない、ナイロンとは、自分が扱ってきたナイロンしかないと思っている。もし、6ナイロンの製品を66ナイロンで作って納めたら、偽装どころか大間違いの製品を納めることにある。しかし、射出用だから、押出し製品はできるはずがない。

私の教え子たちは困ってしまうばかり。できないと報告したら、「太田は、いったい何を教えていたんだ」と言っていたという。

結局、私がその会社から去った後も、その製品に関して客先に説明を出来ないし、代替えの製品を持っていって、これに変えたいということも提案できないし、客先は問題なく(というより喜んで)使っているのだし、そのまま、納め続けたという。充分な利益もあげていたという。

 

 ちなみに、ナイロン(ポリアミド樹脂)マミド基(NH2-)を持った樹脂の総称で、一般的にプラスチックとして使われているだけで、6ナイロン、66ナイロン、6,10ナイロン、11ナイロン、12ナイロンとある。それぞれに難燃性、耐熱性、可塑性などを挙げる効果のある無機物や化学的化合物を混ぜた種類があり、分子量の大きさを調整して各種成形方法に適した溶融粘度を作り出している。すべてが明らかに違う樹脂になっているが、混ぜれば、無限大の種類の原料を作り出すことができる。しかし、ただ、かき混ぜるだけで溶かして成形しても化学的に結合しないので、剥離してしまう関係の樹脂同士もある。理屈ですが、このくらいのことを知っていることが、ナイロンを扱う人の最低条件です。

 

 花と寝転び

 無知 夜遊び プッツン

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(^_-)-☆カッとなる人

2012-10-20 22:11:47 | 病気

 1374 どんな経緯であろうが怒りっぽい人間は大嫌いだ。私は子供のころから普通の状態では怒ったことは一度もない。怒る人間に対しては、こちらが怒りを感じる。だから、私に対して怒って来た人間には怒り返す。上司であろうと、年下だろうと、相手が冷静さを欠いて、私が納得できないことで、プッツンしてくれば、こちらも、怒鳴り返す。それでも、中には、そんな奴を相手に、怒鳴り返しても、こちら、後で、不愉快になるだけと、この人は気の毒な人だと、同情し、放っておく場合もある。次の人は、その気の毒な人です。いい大人が、可哀そうにと思うだけである。

インドネシア人に、かっとなって、怒る日本人は、日本人に怒らないということはない。抑えている分、怒りだすと強烈になる。自分より地位が低い人と思えば誰にでも怒鳴りつける。私に、他人の悪口を言う人は、私の悪口も他人にいっている。自分より地位が高い人には腰を曲げて御世辞を言うし、ごもっともと、持ち上げるが、蔭では悪口を言っている。

「その製品はどういう製品か見たことがありますか、」と聞くと、「見る必要などない」という。「原料が何か知っていますか、原料価格は幾らぐらいか知っていますか」と聞くと、「そんなこと知る必要は無い」とおっしゃる。その製品はボールペンのペンホルダーという製品で、8φで長さが120mmのパイプです。二種類の樹脂で縦方向に縞模様にしたものです。勿論、インドネシアでは始めての製品です。その一本の価格は800Rpでした。三年ほど毎月2~3万本注文が来ていたが半年前ほどから注文が途絶えてしまった。そのデザインのボールペンを売らなくなってしまったからでした。その時から、2千本ほど長期(といっても半年)在庫になってしまった。当時のレートで約2万円の在庫である。何とか引き取ってもらうように交渉して、間もなく、引き取ってもらうことになっていた矢先、社長から、呼び出された。かなり、怒っている顔だ。その顔は以前に私にも向けられたし、インドネシア人に対しては毎日の顔だった。「太田さん、2百万円の在庫を何故、ほっておくんですか」とおっしゃる。明らかに単位をドルと勘違いしている。そこで、最初に書いたように、聞いたのです。「そんな金額が帳簿に残っているのですか、何かの間違いですから、もう一度、確認してくだい」と、丁重にお願いした。「間違えているはずが無いでしょ、確認済みだから言ってるんだ」と、声が大きくなった。こういう人は始末が悪い、どうにもならない。

「間もなく、引き取ってもらうことになっていますから、在庫は直ぐになくなります」と返事をし、それで、その場は切り上げさせていただいた。後ろから“まったく、もう”という声が聞こえた。

 一週間後、売上伝票が回ったはずだ。2万円を見て,2百万円売りあげたと、喜んだのでしょうか。その製品の在庫がなくなって、してやったりと思ったのでしょうか。その後、そのことで、何も言ってこなかった。

 これは一つの例に過ぎない。それ以前もそうだったが、このことで懲りずにその後も見当違いの怒りが私に何度もぶっつかってきた。もう、どうにもならない、たった二人を除いて、インドネシア人全員が私に同情した。そのたった二人は、社長の横に座っている通訳兼秘書らしき女性でした。もう一人は、程度が低い同士で気があっていた日本人でした。お互いに慰め合っている様子だった。

 三人ともヒステリックに怒鳴って自分の思う通りにさせるしか方法が無い。私なら、言って納得させてやってもらうとか、自分がやって見せてからやってもらうとか、雰囲気を和やかにしてやってもらうとか、怒り以外でもやらせる方法はいくらでもあるが、彼らにはそれだけの知識もなければ率先行動力もない。ユーモアなど全く持ち合わせていない。

 

 到着した押出機

 怒り 突沸 誰彼

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(^_-)-☆春雷 生温か

2012-03-07 23:33:36 | 病気

1147 夜明け前の雷で目が覚めてしまった。大雨が降っていたが出勤途中には止んで、生温かい変な感じの空気が漂ってきた。日本を感じた。こんな気候はインドネシアにはない。それと同時に花粉症の季節到来を感じた。この妙な空気は何十年も前から経験している花粉症の空気だ。そう思っただけで、むずがゆくなってくる。

  花粉症の思い出、小学校の低学年の時は既に、毎年、春になる前にヒドイ風邪を引く体が弱い子だと言われていた。鍛えるために4年生から6年まで冬は半ズボンで過ごした。それでも、毎年恒例の風邪は続いた。ちり紙といって、鼠色したお尻を拭く紙と兼用の鼻かみ用の紙を束でいつも持っていて、授業中も、クシャミは連発し、いつも、チンチン鼻をかんでいた。皆にうるさいから出ていけと言われたことは当り前でなんとも思わなかった。学年末テストの時は、いつも、時間の半分くらいで終わらせて、答案用紙を先生に渡して教室から出ていって、外で、ぶらぶらしていた。一日何科目もある時はその繰り返しだった。中学の時には科目毎に先生が変わっていたが、どの先生も公認だった。一年の時、校庭のテニスコートの脇でしゃがみ込んでハクションを連発していたら、校長先生が現れて、なぜ、こんなところにいるのかと聞かれたこともあった。終業式や卒業式、送辞を読むとき大変だった。そんなに別れが悲しくなくても花粉症で顔の真ん中付近はクシャクシャになっていた。そういう意味ではふさわしかったかもしれない。

 これは、インドネシアで仕事をするようになるまで、毎年、続いた。私が独立したころ30歳の頃、花粉症という病名が世間に現れた。当時は文明人が掛りやすい、野蛮に近い人間は掛らない、などと言われていて、自分は物心が付いた時から花粉症だったと言って、若干、自慢をしていたこともあった。しかし、その症状は毎年、ヒドイものだった。ちり紙ではなく、トイレットペーパーは毎年、5巻き以上は使ってしまっていた。鼻の周りは真っ赤でひりひりしていた。テレビや色々な人が、予防法や治療法や専門医などを云ってくれる。それを、いちいち実行もした。しかし、一向に効き目はない。いつの間にか、何も、対策をしなくなった。もう、完全にあきらめて、一生付き合うことに決めていた。しかし、1997年からほとんどこの季節には日本にいることは無くなったので、完全に花粉症から、解放された。この快感は私でなければ分からないだろうと思うくらいだ。4月1日、日本から離れるまで今年はどうか、十何年も掛っていないのだから、治ってしまっていて、掛らないことを期待する。

 花粉症と私の係わりあいは半端じゃない。エピソードは数え切れない、一冊の本が書ける。

 春ですよ、菜の花と桜、梅の花と桃の花。

 鼻水 クシャミ 涙

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(^_-)-☆アルコール依存症

2011-12-12 22:38:28 | 病気

1061 既に18日夜のフライトのチケットを買った。暮れと年始の航空券の価格が高くなるのは仕方が無い。10万円弱である。また、同時にアラックバリを一ダース入手した。なかなか手に入らなく一か月ほど前に予約しておいてやっと入った。価格は一本20万Rp約1700円である。日本で買う酒に比べれば高いが、インドネシアで酒を買うことを思えば半値以下である。アルコールに飢えている日本人にとっては

こんな魅力的なアルコールは無いと聞いている。椰子の実から作った焼酎という人がいる。ビールで割ったり、スプライトで割ったり、それぞれの好みで楽しむことができる、応用が広く効く酒とも聞く。40度です。ジャカルタの免税店では手に入らない。バリのドメスティックターミナルの売店で運が良ければ30万Rpくらいで、アラックバリ、アラックブラスを手に入れることができる。ただし、ドメスティックのバゲジに中に入れる子ことができるのは日本までと聞いている。運が悪ければ、二本以上は没収される。

 私も以前フローレスへ行って地酒を4本ばかり買ってラブハンバジョ空港で正直に本数を云ってしまったら、制限以上は没収されてしまったことがある。

 機内持ち込みは酒に限らず液体類は全て没収される。チケットカウンターへ入る前にX線チェックが在り、搭乗待合に入る前にもう一度X線チェックが在る。だから、1回目のチェック後液体類を買って場合も次のチェックで没収されるので、最近目につくようになった自動販売機で飲み物を買っても飲み干すしかないので注意が必要です。とにかく、ドメスティックの場合は手荷物の中に液体を入れたまま機内に入ることはできないと思っておいた方が良い。

 インターナショナルの場合は免税店からの領収書を中身とセットで免税店のバッグに入れて置きことが大事です。せっかく免税店で買ったアルコール類を没収された人もいるので、気を付けた方が良いと思う。

 アル中の現地日本人が喀血をして緊急入院、ICUに五日間入ったそうで、今は一般病室に移っているが、そんな日本人を雇っておく会社の採用基準はどうなっているのかと不思議に思う。一時は日本から身内を呼び寄せた方が良いと云う状態だったそうです。一度雇ってしまえば、そんな状態になっても首にできないばかりか、行きつくところまで面倒を見なければならない。そんな人を雇うメリットはどこにあるのでしょうか、信じられない。こういう話は、ビールを杯一杯で酔っぱらってしまう私、注射の前のアルコール消毒で皮膚が真っ赤になってしまう私にとって、本人に対しても、雇う側にたいしても、腹立たしいだけです。

 雨季に入って咲く真っ赤な花。

 焼酎 地酒 アル中

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