南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆動きたくない

2015-07-17 22:53:28 | インドネシア

 2373 puasa最終日でした。近所に残っている人でしょう、花火の音がうるさい。

 

民族大移動の雰囲気とは別に、ほとんど、家から出ない私にとっては、裏庭のマンガの木の下の日陰に立つと、適当な風が吹いて、涼しい。清々しい。横になると、うとうとする、ハッと気が付くと、暫く眠っていた。このまま、起きないで、Surgaスルガ(天国)へ行ってもいいかなと思う。

 

左の二軒先の家に、私の家の前庭の木の下に座り込んで夕涼みをしている老人がいる、老人といっても、私より若いようだ。いつも、黙って、にこにこしながら、頭を下げて挨拶をする。何カ月か前に話しかけたことがあった。口がきけないと、手話のようなもので表現した。聞こえて入るようだったので、どこから来たのか聞いてみたら、指をさして、あちらからといっていた。その人、二軒先の家の人と分かったのは、一昨日だった。ちょっと、家の前にゴミを出しに行った時、その人、家の前に出てきていた。指先して、ここが、自分の家だと言っていた。私は頷いて、スラマッ ソレーといって、家に入った。それだけのことだ、その人、私に自分の家を伝えることができて、うれしそうだった。私と挨拶をするのがうれしそうだった。それを、トカン オジェックが何人か見ている。トカン オジェックにも、手を上げて、よく、挨拶し合う。

 

家の中ばかりにいるので、ちょっとだけ、近所の雰囲気を確かめるために車で出てみた。一般道にトラックは見ない。車も人もほとんど見ない。高速道路に掛かる橋から下を見ると、車の渋滞どころか、相当な間隔が開いていた。ピークは今朝までだったようだ。

 

ニュースでも各ゲートはほとんど待たずに支払いやチケット受け取りをしていた。ただし、中部ジャワでは、渋滞が残っていた。昨日の夜、渋滞にハマった車が、やっと、中部ジャワに到達したのでしょう。スマランまでは、渋滞がなくても10時間以上、掛かるのですから。

 

明日からレバランだ。大統領のジョコ ウイドドさんは、スマトラ最北部の町、バンダ アチェに入っている。明日は、バンダ アチェ(http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html)の2004年の大津波で大被害を受けたモスジッドでお祈りをする。

ラマダン レバラン マズジッド

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