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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆どうするの?

2014-05-15 22:42:19 | 環境

 1945 昨日も書いたが、違う仕事を同じ会社のほとんど同じ場所で仕事をする事には無理がある。人、特に高給取りが多い、管理職が多い事務所内の人の仕事の能力と配分をどうするか、大きな問題だ。利益を出したいというなら、深刻な問題になりかねない。 

押出しの仕事を知っている人はいないわけで、知らない人に押出しの仕事をしてもらうのに、彼等に配分する以前にこちらから、彼らを使わなければならない補助を頂きたいくらいで、彼らを通さなければならない手配などは、こちらの負担が多い、遅れや間違いなどを、想定して仕事を任せなければならない。そして、彼等にとっては、余計な仕事になるので、本当はやりたくない、今までの仕事で、今までの給料を受け取っていたのだから、違う畑の仕事もする負担を増やしたところで給料が上がるわけでもない。迷惑な話だと思われるのも理解できる。

 

ということで、私の技術を借りたいというインドンシア人が会社にみえて、押出成形に関して、その人と、私と営業や事務関係の仕事が得意な青年と私が場所を借りているこの会社の社長さんと、四人で話合った。概ねの方向はできあがったようです。私は、あくまでも、テクニカルアドバイザーとして仕事をしたい、投資はしない、よって、経営に参加しないし、利益配分を受けないし、損益に関して責任はない、という立場でいけるようになると思っている。そもそも、私がインドネシアに来た理由は、インドンネシアの若者に私の技術を伝えることであって、その場所を借りて、教えるための仕事を獲得する必要は当然,ある。だから、仕事を引き受ける、それが、本来の目的ではないが、会社の利益にもなる。そういう、構図です。今後、そうなればいいなと思う。

 

インドネシアには、押出関係の仕事で現在,輸入している製品に関し、“これはできますか、出来るなら見積を出してください”といわれて、たまたま、本社でやっているものを除けば、対応できる日本人はいない。今だに、私だけです。異論があるでしょうか。押出成形用の樹脂について語れる日本人も私しかいないはずです。プラスチック原料を扱っている商社の人も語れる人はいません。使用箇所の条件により、樹脂を提案したり、価格との兼ね合いなどを提案できる人もいません。

 

ある会社、私が作った装置、成型ラインで、一応、大過なく、経営されている。その会社のどなたが決断したのでしょうか。新しい二色成型品の受注をした。それを作るための装置に数百万円投資し、試作を始めたのが、半年前、未だに成功の見通しが立っていない、kg600円ほどする原料を2トン使ってしまった。二色なのでリサイクルが利かない。その仕事を任せられているのが私のK社時代の教え子二人だ。その会社生え抜きの工場長(この会社の仕事の大部分を彼に教えた)は、逃げてしまって、手を出さないという。不思議なのは、その出来るという装置を誰が発注したのか、ということです。発注した人間と装置を作った装置会社の人間が、試作に登場しないのが変!!本社の日本人の技術者も登場しないという。その会社に日本人が二人いるが、二人とも、何もできないということは、知っている。私の教え子がたまりかねて、私にどうしたらいいか聞きにきた、実際に見ていないので、何もアドバイスはできない。それに、アドバイスしても、その人たちに私のような腕がないのだから、その通りにはできない。いったいどうするのでしょうか。客先をいつまで待たせるのでしょうか。客先は何も催促をしないのでしょうか、どこかほかで作って輸入しているから、出来たら買うし、出来なければそれでもいいと思っているのでしょうか。

私の予想では、その会社の営業担当者が、今に、私に投げかけてくる。

 

昨日のジャカルタからの帰りです。 この車の運転手、外国人の高齢者なのに、有料道路の大部分、路肩しか走らない。目の前にパトカーがいる。小型トラックの運転手が、自分の車に戻るところだった。前方確認、後方もルームミラーで常に確認が必要です。路肩に割り込んでくる車もあるので油断ならない。

技術移転 新規獲得 難解仕事

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(^_-)-☆原価計算の基本

2014-05-14 22:49:22 | 変!

 1944 鼻水をかみ過ぎて、鼻の下がピリピリ痛い。そんな中、往復5時間かけて、ジャカルタ北部のクマヨランの見本市へ行ってきた。LEDランプ関係の見本市に招待されていたからでした。印象のだい一は、インドネシアでの製造は小規模で、品数が少ない、組み立てをしているが、部品の大部分は中国からの輸入である。まだまだ、これから国内調達を模索する必要がある。それに引き替え、中国企業のブースはどこも、インドネシア企業の倍以上の面積だった。すべての完成品が本国からの輸入販売で、インドネシアで組み立てはしていないそうだ。組みたてていれば、PCカバーを売り込んだのに、売り込みはインドネシア企業だけになってしまった。それでも、インドネイア企業にとってはこれからです、発展する可能性は大きいと思った。韓国系企業は出店していなかった。

 

頭がぼーっとしているので、すぐ,横になりたいが、書いておきたいことが浮かんでしまったので、すぐに横になれない。

 

原価計算の基礎数字は固定費です。製造会社なら、これを、各装置や機械に割り振ります。製品を作っても作らなくても、なにも売れなくても、売れても,会社には決まって出てゆく費用があります。人件費、社長さんから、事務員、守衛や運転手など、土地、建物などの原価償却費、借金の利払いなど、それらの一年の合計を計算し、一般的には、それを製造装置に割り振ります。そうすれば、その装置がその費用を負担いなければなりません。その装置を使って売りあげた金額から、原料費や電気代、水代、運賃や梱包費用、などの流動費(その製品を売り上げるためにかかる費用、物を作らなければ、掛からない)ヲ引いた金額が、固定費以上なら、利益が上がっているのです。一台ずつについては、こうですが、会社全体としては、総売上から流動費、固定費を引いて、プラスかマイナスか、を知ります。儲かっているかいないか、その程度は、どうかがわかります。

 

見積もりの計算は、それぞれの装置が負担する固定費を知った上で、製品一個一個に載せます。一個の原料費やその他の流動費をのせれば、その合計が、損得なしの原価になります。それに、利益を何%か乗せて,提出します。本生産で収率が上がったり、生産速度を上げることができたら、利益率は上がるし、逆なら、下がります。予定の稼働率に達しなければ、利益が少なくなります。原則的には、こういうことです。

 

 

問題は一つの会社にいくつかの部門がある場合の固定費の配分、負担のことです。サラリーマンのとき、インドネシアで技術を教えたとき、いずれも、固定費の配分が合理的ではなく、配分の仕方は、幾つかあって、専有面積で割り振る(土地建物の固定資産の比率)製造装置の原価償却費で割り振る(購入価格に比例)その仕事に携わる人の人件費に比例させる(給料や人数が関係する)、これらの方法を併用したり、掛けたりするなら、納得しやすい。その部門の努力や改善が結果にあらわれやすい。

私がいた部門は、どちらの時も、私がトップで給料も少ない、日本人は私しかいないし、多くいる日本人は高給取りだし、私の部門の手伝いはできないうえに、制度やシステムでは邪魔をしてくれていた。従業員の数は5分の1、現場の面積も5分の1以下、管理職の人件費は十分の一、従業員の数も5分の1、それなのに、私の押出部門に固定費の30%を乗せた。その上、仕事は私のところはほとんどすべて、インドネシア国内から、獲得したもの、一方は、本社からの注文をこなすだけ、それも、ある程度、利益が上がるようにと、少し高めの価格設定にしてもらっていた。これが、後の問題になるとは知らずにでした。そして、押出はもうからない、こっちはしっかり利益を上げているのに、と、いつも、いわれ、押出従業員は冷遇され、給料の上がり具合も低く抑えられてしまっていた。私が評価すれば、私の部下の方がサボらないし、規律は守るし、仕事も難しい、評価は遙かに上だ。

それどころか、常務は来た時に、口をきいてもらえず、無視された。同じ会社の従業員なのに仕事を終わってからの食事会にも誘われなかった。勿論,他の日本人は食事やカラオケへ一緒に出掛けていたが、私は誘われなかった。すごいでしょ、この徹底ぶり、サラリーマンの世界とはこういうものかと、思った。

私の計算では固定費の負担を5分の1にすれば、毎月300万円の利益を上げていた。それプラス、本社が日本国内の他の会社から購入していた製品を私が作ることによって、毎月200万円安く供給した。合計で毎月500万円の利益に貢献していたのです。しかし、会社の評価は、プラスマイナスでゼロでした。

 

公平な評価がなされる条件は自ずとあるが、それを、曲げてまで、評価を歪曲する環境であってはならないと思うし、その部署の従業員がたまったものではない。

http://otaenplaext.net/newpage41.html

PCカバー 管理費 割り振り

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(^_-)-☆風邪を引いた

2014-05-13 22:38:27 | 試練

 1943 重要な来客予定があったので、出勤をしたが、昨日の夕方から熱っぽくなって、鼻の奥の方が乾きだした。100%風邪に掛った症状のはじまりです。今日から、速ければ、四日後、長くて一週間、治るまで掛かる。いくつかの過程を通るが。その、一つ一つが、何時間で通過するかによって、早く治ったり,長引いたりする。さあ今回はどうなるでしょうか、現れる症状が抜けることはないし、最後まで行かないで途中で治ってしまうこともない。今は鼻の奥の乾きが和らいで、鼻水が出るようになっている。熱は症状の経過と関係なく、高い状態が続くが、喉の痛みが消えること熱も下がる。そして、もう直ぐ、風邪のことは、忘れてしまう最後の症状は、痰が切れ始め、鼻くそが緑色に固まってくる。こうなれば、半日後、長くても一日で、淡も鼻くそも無くなる。

 

これは、決まっている。医者にかかって、薬を飲みはじめても、風邪薬を買って飲んでも、その効果を確認できない、薬を飲まなくても、一定期間で治るのですから、治るのが早まったかどうか、症状が軽くて済んだのか、薬を飲まなかったときと,比較ができないからです。だから、私は、引き始めが同じ症状の風のときには医者に行かないし、薬も飲まない。多分15日、ワイサック(仏教関係のナショナルホリデー)にゴルフで汗をかけば、17日のゴルフのときには、治ってしまっていると思う。

 

中学の時、このことは、分かっていたので、風邪を引いても学校を休むことはなかった。クシャンクシャン咳をしながら、授業を受けているのだから、外の人にとっては、迷惑だったかもしれないし、何より、移されることを心配したと思う。流行のとき、50数人中、10人が風邪で休めば,学級閉鎖になるということが決まっていて、9人休んでいるのに私が休まないので、学級閉鎖を邪魔したと友人達に言われもした。

 

風邪と花粉症の症状は全く違う。当時は、私は二種類の風邪を引くと思っていた。

 

私にとっては、当時、花粉症などという病気がなかったころ、(当時は、毎年、寒さが和らいだころ、必ずひどい風邪を引くと、思っていたし、親も、お前は、どうして、毎年、風邪を引くんだ、鍛え方が足りないじゃないのか、といわれ、乾布摩擦などをやらされていたし、冬中、何ズボンで過ごされた)私は自慢じゃないが、半端な花粉症ではなかった。インドネシアに逃げるまで、ひどい花粉症は治らなかった。家でも学校でも、昔、便所紙といわれた、鼠色のちり紙を、束にして、持ち歩き、いつでも、どこでも、チンチンかんでいた、鼻水もずるずる、学期末テストのときには、半分くらいの時間でテストを終わらせ、答案用紙を先生に出して、そのまま外にでた。テストが終わるベルが鳴って教室に戻った。あるとき、外にいる私を校長が見たのでしょう。テストは終わったのか、と、聞かれた。ひどい風邪を引いてしまっているので、みなさんに迷惑を掛けるので、終わるまで待っている、と、説明し、納得してもらった。お前なら、いいか、という感じだった。しばらく、校長が私に付き合ってくれた。

 

早朝、通りがかりのくだもの屋、マンガ、ドゥク、ドリアン、ピサン、パパヤ、ジュルックなどが見える。スーパーで買うより20%ほど安い、高いドリアンは一個200円以上安い、バナナなら6~7本買える。

 

Cuci gudangチュチ グダン、倉庫を洗う、です。意味は在庫一掃です。これは、家具類の在庫一掃セールですね。

どうでもいいけど、今日のブログ番号、私の生れた年です。

風邪 花粉症 試練

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(^_-)-☆ブンクスって

2014-05-12 22:40:39 | 習慣

 1942 以前にも、書いたと思いますが、もう一度、書きます。

Bungkusブンクス、包み、という意味の基本語です。当たり前に普通に使われる言葉です。インドンシアでは、日本の弁当屋と同じような役目をする、カキリマやワルンが発達しているというか、家庭で料理したものを食べるという習慣が希薄で、外食か持ち帰って家で食べるのが普通です。朝食もその通りです。夜遅くまで、営業しているし,夜中じゅう、早朝、暗いうちから、営業する場所も多い。ブブールといって、お粥を食べる習慣があって、子供が買いに来ています。ワルンやカキリマの中やそのすぐ外で食べる人は通りがかりの人たちです。会社へ出勤途中に寄る人、主婦や子供、その多くは、その場では食べないで、油紙、プラスチックの袋、発砲スチロールのパックなどに入れてもらって、職場や学校や家庭に持って行って食べます。

 

また、あまり、日本にはない習慣だと思うが、レストランやカキリマでもワルンでも、余った食べものやスープでも、持って帰る人が多いし、当たり前のことです。持って帰って、後のことは、持て帰った人の責任ですから、要求されたもの全てを持ち帰ることができる状態にしてくれます。ジャカルタなどの高級レストランのことは知りません、大部分の一般的な話です。持ち帰りに何の躊躇も要りません。私も、もちろん、食べきれない場合は持ち帰ります。

当然、そこで食べないが、例えば、家にいる人に土産として、注文し持ち帰ることは、日本と同じです。

 

これらのことを、すべてBungkusブンクス、といいます。店の人にブンクス、と言えばいいのです。簡単です。イニ,イニ、イトゥ、ブンクスというのです。包む、包まないにしても、お持ち刈りのことを総称して、ブンクスというのです。これも、すでに、書きましたが、カラオケなどでも使います。余った、アルコール類や摘みを持ち帰るとき?それもあるかも知れませんね。

 

 

私は、USBモデムをフラッシュとスマートフレンの二種類を使っている。それぞれ、一か月13万Rp(1100円くらい)4GB,10万Rp(900円くらい)8GB大体使用量が一月10GB~12GBなので、丁度いいと思っている。何故、それなら、スマートフレンを二つにしないのか、ということになるが、地域に寄って、接続の早さが違うからです。特に、地方へ行った時には、フラッシュの方が、ダウンロードが早いし、どこでも接続可能だした。その他にも安くて容量が大きい物もあるが、地域が大都市周辺に限られると思う。という理由です。だから、普段、家ではスマートフレンを主に使っている。

12GBで15万Rpというのがあるが、やはり、一か月、期限なので、1か月ではこんなに使えないから、やはり、今のままで行くしかない。

会社では、無線ラン(WiFi)を使っているが、偶に、具合が悪くなる、そういう時のためのモデムでもある。今、主流になっている、携帯でのネット接続機能を持っているが、文字が小さくて、見えないし、指で押すのも小さすぎて、どうにもならないので使わない、それに、会社以外の場所での接続の方が遥かに多いので、費用の会社に出してもらうわけにいかない。ガソリン代は、領収書の提出を控えればいいが、通信費を仕分けるのが難しい。

 

こんな孫たちが居るのだから、インドンシアでガタガタしていないで、教育ジジイでもやっていればいいのに,と思うこともある。

ネット ブンクス 便利

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(^_-)-☆感激する

2014-05-11 23:26:42 | 喜び

 1941 7年のウェブサイトの中の貴重な一場面としての思い出深い花、エーデルワイズ、スイスのグリンデルワルドの郊外とラウターブルンネンの町はずれで出会った。探しても、人に聞いても、なかなか、出会うことはないという。その時の家族旅行の雰囲気とその他の景色が背景にあって、ただ単に、エーデルワイズを見つけて、良かった、ラッキーだった、という分ではない。

 

そして、大好きなドリアン、今朝も、ゴルフに向かう途中、くだもの屋によって、バナナを買った。朝食代わりだ。大きめのバナナが7本で150円くらい、車の中で食べながら、ゴルフ場に向かう。この店の表に、ドリアンが吊るしてある。寄るたびに、買いたいと思う。しかし、店の人に状態を聞くと、なかなか。食べ頃だという返事が来ない、今朝は、今、丁度良いよ。という返事がかえってきた。信用するから、どれだ?と聞いて、それを買った。先端がちょっとだけ、開いていて、中身の匂いが、香ばしく匂っている。自分でも、鼻を付けて、その匂いを嗅ぎ、丁度、食べごろだということを確認する。

車の中の其の匂いは、なんとも言えない、独特な香りがし、今日のドリアンは窓を閉じていても、目が痛くなるようなことはなかった。

家について、洗たくをした後,開いてみた。すべての実が、程良く、軟かになっていて、つまんで、実を離し、皿に移したが、形が崩れずにするっと剥がすことができた。一部を食べてみた。独特の甘い香りと、口の中の食感、甘い味、もお、幸せ一杯を口の中に感じる。

 

食べる時のタイミングが非常に難しかしい、こればかりは、確率のいい店や売る人の勧めに従がうしかないが、はずれの時もある。パックで売っていても、突っついて,柔らかさを確認するわけにいかないし、匂いも嗅ぎにくいのではずれの可能性が高い。

 

テーマの一つ、小学校のころからの夢に描いた、ラフレシア、パンガンダランのチャガールアラムにあるなどということは知らなかった。スマトラ島にあるとは知っていた。十数年にわたって,通い続け、多くの花に会うことができている、状態も様々だ、おそらく、ブンクルーのラフレシア アルノルディも含めて、私ほど、多くの花にであった日本人はいないと思う。パンガンダラン場合はジャングルの中に入る人はほとんどいないので、地元の人たちの中でも、ロブスターの漁師以外は、ほとんど、見たことがないと思う。

これ等のこと、現地に近い場所に住む人を含めても日本人では、誰よりも多くに出会っているし、ドリアンに関しても、一番沢山食べているかもしれない。

幸せ機会 クスンパタン チャンス

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(^_-)-☆7周年記念日 

2014-05-10 23:10:24 | 喜び

    1940 私個人のウェブサイトの誕生日です。2007年5月9日、7年前の今日、私のウェブサイトが発信された日でした。パニック障害というとんでもない状態からほぼ回復して、また、新しい、スタートを模索し始めた時でした。そして、120000回のアクセスを超えました。120000÷(365×7)=47、一日平均、約47回のアクセスを受けていることになっています。接続は金、継続は金、これからも、逐次、内容を追加していきます、いつまで、どこまでできるか。インドネシアに関する知識と情報が大部分ですが、“私の履歴書”です。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/

http://otaenplaext.net/newpage0.html

折に触れて、紹介していますが、私の生涯の仕事、既に、47年間、携わっている、エンジニアリング プラスチックの押出成型(Engineering plastics extrusion ,enplaext)、全ての私の行動はこれが根であり幹です。そこから、自分の他の生活や行動が発生しています。旅や他の趣味やお手伝いは、その枝です。

http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/36848246.html

エンプラエクストの説明を少ししている。 これからも、どうぞよろしく!!!

 

これは、ブログのスタートの一ページです。こちらの方は、毎日欠かさず書いています。もし、抜けている日があったとしたら、其れは、間違えて消してしまったか、一日ずれてしまったかです。2008年3月4日、写真はニュールンベルグの孫二人、ゼロ歳と二歳の時です。もう一枚は、一緒に住んでくれていたマリアさんの誕生日、彼女が通っていた専門学校の友達と。左の女性はパンガンダランにも一緒にでかけていて、私のウェブサイトの表紙にラフレシア ファトゥマと一緒の写真がある。

http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/3438570.html

振り返ると,自然体でほとんどいい加減に撮影しているにもかかわらず、我ながら、素晴らしい写真の満載で、素晴らしいと思う。

 

孫の上の子が2.5歳のころのスナップ。傑作だと思う。Yukiko Laura Ota

 

インドネシアではかなり有名な俳優、Indra Bruggmanと、Maria(Siti Komaria)さんのツーショット、バリクパパンの空港で見かけて、マリアさんとの写真を私がお願いした。懐かしい写真の一枚です。彼女にとっても大変な思い出になったと思う。

記念日 継続 健康

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(^_-)-☆顔は怖いが

2014-05-09 22:46:51 | インドネシア

 1939 昨日の続きをちょっと。インドンシアに始めてきたときに先ず、バリのウングラライ空港でインドネシア人を大勢見た。そして、ジャカルタのスカルノハッタ空港で、また、インドネシア人のより大勢を見た。その印象は、顔が怖い、でした。寄って来る人は、何かをたかりに来ているという印象だった。日本で見る顔の種類より、はるかに、多くの種類があった。見慣れないから、印象としては良くない。

 

ちょっと古いが、参考になるでしょう。http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00070.html

 

その後、人種によって、いろいろある事を知った。私が一番、怖いかをしていると思う人種は、失礼ながら、スマトラ北部のバタックです。メダンの空港(Pangkalan Udara Soewondo)に降り立った時、雰囲気に圧倒された。すべの人が怖い顔をしていた。女性も美人とは言えず、怖い顔をしていた。タクシーの勧誘者も怖かったが、頼むしかない、運転手も怖い顔をしていた。笑うというか、微笑むというか、そういう顔も怖かった。ところが、運転は慎重、何かと話かけてくる、観光地はどこがいいとか、ホテルはどうだとか、結構、親切、次に日の、運転手兼ガイドをお願いした。帰りの空港まで付き合ってもらった。顔は。あまり見ないようにしていたが、最後には、丁寧に握手をして感謝の気持ちを言った。人はみかけに依らない、代表的な例でした。

 

パプア(インドネシアで東の端)ここの人々は、独特の顔をしているので直ぐ分る、温和な顔とは言えない、やはり、子供のころ、映画などで、こういう人を見たことがある、私たちは、失礼ながら,土人、と言っていた。今は、絶対言わないが、現在でも、ニュースで同士の争いを頻繁に見る、長い槍や弓矢を持っている。そういう人たちです。ジャボタベックでも偶に見ることがある、直ぐに、分かる。しかし、やはり、話をしてみれば、皆さん、私にとっては好印象です。ジャヤプラ、スンタニ、ムラウケ皆さん、人なつこい。

 

アンボン、パプアに近い、だから、パプア系の顔を基本に多分、スマトラからの移民と混血ではないかと思うほど、ものすごく迫力がある怖い顔をしている。

そして、マドラ島、今はスラバヤと橋で繋がっている。ここも、アンボンに負けない強面だ。その影響かどうか、この土地出身者が各都市に散らばっていて、ヤクザというかマフィアとして大いに幅を利かせている事は、インドネシア人誰もが認めていることです。セキュリティーの会社も彼らを使っているし、廃品回収業は彼らの独占で、彼ら同士の抗争もある

 

ということで、概ね、インドネシア人は怖い顔をしているし、普通の若い人も、性格を読みにくいので、何をされるか、どういう行動を瞬間的にとるか、ちょっと気になる。しかし、何も恐れる必要はない、むしろ、こちらの事を恐れるが如く、下手に話してくる人が多いし、頼んでもいないのに、何かと気を使ってくれる人も多い。親しく接すれば、親しく返してくれる。私の身の回りで事件は起きない。

 

タマンセントサの出口でチケットを返す。入る時にチケットを渡される。醜いが、セキュリティーが椅子に座って足を開いてふんぞり返っている。明らかにマドラの顔だ。にこっともしないで、無言でカードを渡している。私が日常の挨拶をしながら受け取るが、挨拶を返されたことがない。この人だけで、他の人、全ては、普通に挨拶する、彼だけ、流石だと思う。

強面 マドラ アンボン

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(^_-)-☆安全 不安なし

2014-05-08 22:40:56 | 思うこと

 1938 私のような生活環境に放り込まれた日本人は、ほとんど100%、暮らしてゆけないでしょうね。平均的日本人が会社に要求する環境は、先ず、セキュリティーのしっかりした(なにも分からない本人がOKを出せることが条件)いく部屋もあるアパートや住宅地の一軒家、家賃は1500US$以上、日本の自分の家より以上に整った電化製品、器具がある事、自分が満足できなければ、仕事場とは離れていても、渋滞が酷い場所でも、ジャカルタにする。運転手付きの車、それも2000CC以上、お手伝いさんも必要。食事のほとんどは日本食。

そして、毎晩、何やかやと5千円くらいは使う。食事,飲み代、カラオケなどで、1か月15万円は使う。ゴルフは会社が会員になっている場合か、個人会員の費用を負担する。

給料、諸手続き費用や交通費、通信費、日本などへの航空運賃、インドネシア語の勉強、接待費などなど、何やかやで、現地採用以外の日本人一人に、1か月、100万円以上になるという説もある。特に進出しようとしている会社の最初の派遣者は、全く何もわからないので、環境の安全面、食生活の安全面を心配するので、私にしてみれば、異常なほど過度な条件(本当はそれが安全に繋がるかどうかは疑問だが、本人が納得することが条件)それが、標準です。

 

日本食レストランでしか食べない人に限って、下痢になりやすい、という話もよく聞く。

 

で、私はというと、老人の一人暮らしで、ゴルフの会員権は10何年前に、自分で買ったので、今は、年会費を9万円ほど払うだけで、土日でも2500円以下で出来る。食事は、本当はカップ麺でも充分だが、野菜や肉類も摂取するためにスーパーで買って来て、自分で調理をする、そうでなければ、道端のカキリマやテントワルンでゴレンガンやソトやサテなどをブンクスしてもらって家でご飯を炊いて一緒に食べる。果物も道端で買うことが多い。ガロンの水も近くのコンビニで買う。

車は自分で運転するし、家の掃除も洗濯やアイロンがけも自分でする。偶にキャディが、仕事を終わってから来てやってくれるが、本当は必要ない、3時間ほど働いてもらって2000円ほど渡す、彼女たちにしてみれば、良い小遣い稼ぎだ。着る物、下着や靴下など、ほとんど買わない。10年以上何も買っていないと思う。給料は日本人平均の3分の1以下だと思う。ソシテ、その給料で充分だ。通信費とガソリン代の会社関係使用分は会社に出してもらっている。仕事をするための諸手続き費用も払ってもらっているので、何不自由ない生活を送ってい。

そして、多くの人が口にする、気にする(本当かなと思うほど)安全、安心の事、全くと言っていいほど、気にしていない。家には、持っていかれても気にならないものしか置いてないし、車の最後部に貴重品は置く。車から出る時には、貴重品は、短時間でも持ち歩く。しているのは、そのくらいの事です。家の周辺は、皆さん、知り合いです。特に、向かいにいるトカンオジェックの数人とは、いつも、挨拶するし、会話もする。そのすぐそばの集合住宅の入り口にセキュリティーも私が家を出る時、帰ってきたガレージに入れる時には、手招きガイドをしてくれる。そして、昔は何かと事件があったと聞くが、私がここに来て以来,何も事件の話は聞かない。タマンセントサの出入り口のゲートのセキュリティーも全員顔みしりで、偶に、ゴレンガンなどの差し入れしている。

 

お金がないわけではない。ケチでもないと思っている。お金の使い方が多くの人と違っているのでしょう。自分のためには旅の費用、日本往復、年3回ほども含む。そして、多くは、他人のためだと思っている。インドネシアの若者に資金援助、技術を伝えるための金型や設備や原料、多分、毎年300万円以上、使うと思う。それにくわえ、投資もしている。酒は飲まない(最近ちょっと舐めている)たばこは吸わない、カラオケにも行かない。何が楽しみ?楽しい事は、多分、平均より、はるかに沢山あると思う。

 

責任を持てないが、一度、私のような生活をしてみませんか。あなたの生活に余裕が生まれるかもしれません。多分、出来ないでしょう。

 

こんな道が500Mほど続くのです。八方 黒菱モーグルコースも、これほどじゃない。車がローリングするので、上の方が接触する。

 

昨日のLPGボンベと装置です。

安全 安心 気持ち

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(^_-)-☆高齢者一人暮らし

2014-05-07 22:41:17 | 生活

 1937 私は、高齢者の一人暮らしです。それも、インドネシアの一般住宅地の中です。仕事日に無断で出社しなければ、何かあったかと駆け付けてくれるかもしれないし、休日でもほとんど、どなたかと一緒になる予定があるので、無断で行かなければ、駆け付けてくれるかもしれない、そんな危うい状態です。幸い、大過なく、というか、大きな問題はなく、一人暮らしをエンジョイしています。しかし、何でこんなこともしなければならないの?と思うこともある。テレビが映らない、断水になる、朝は、水が出なくなる、など、日常的な、いつもこうだからしかながないかな、と思うので、あまり、深く考えないし、アクションをしようとは思わない。

 

LPGのボンベが空っぽになって、車の後ろにボンベを乗せ、LPG屋に届けてもらっても良いが、ついでがあったので買いに行った。家に持ってきて、ボンベの頭に着ける、何という名前でしょうか、ぱちっと、ひねれば、それで、メーターの針が動く、そういうはずだった。ところが、針がびくとも動かない、何度か、外したり、押し付けたりしてみたが、だめだった。その内に、ひねりを繰り返し過ぎたのか、そのハンドルというか、コックが折れて、すっ飛んでしまった。せっかく、料理をしようと、野菜や肉を鍋に放り込んで置いたのに、温めることが出来ず、ディスペンサーのお湯を使ってカップメンの夕食になってしまった。そして、先ほど、会社から帰る途中で、その器具をかった。重いボンベを積んでいったので、店の人に、事情を話して、取る付け確認をしてもらった。そうしたら、ゴムのシールというかパッキンが変形していて、穴を塞いでしまっていたのでした、ゴムのリングを交換してもらって、圧力が上がることを確認した。先ほど、昨日、準備をしてあった、素材で、炒めものを作って食べた。

 

いつもは、あまり入らない、物置になっている部屋の、電灯がつかなくなってしまった。その部屋には、夜しか入らないので、真っ暗ではどうにもならない、2,5mほどの高さにあるランプのカバーを外して、中のリングの蛍光灯を外さなければならない。脚立や踏み台などない、小型の戸棚があるので、戸棚を持ってきて、そういうに乗っかって、外した。その切れた蛍光灯を車に乗せて、やはり、会社からの帰りに、あるモールへ行った。そこのセキュリティに店をきいたら、その店は先週まであったが、今は、閉めてしまって、このモールにはランプ屋はないと言われてしまった。家から離れる方向のショッピングセンターへ行ってみた。その中に、日本のホームセンターのような店がある。いって、これと同じのを欲しいが、どのあたりにあるのか、入り口で、聞いたら、品切れで置いてないとい返事、特殊でも何でもないのに、そんなことってあるの?その人に、この中にランプを売っているコーナーはどこにあるのか聞いたら、知らないという。どうなっているの、二階のハイパーマートに行って、捜した。そして、出会った。こんなつまらないことで感激だ。先ほど、ミニたんすに乗ってそのランプを付けて、明るくなった。それだけのことです。

 

押出成形のエリアを広げた。色々な、表示や看板を取り付けたり、貼ったりする準備をしてもらっている。少しばかり、格好をつけて、ま、この規模では、こんなものでいいかなと、客先に思ってもらうようになればいいかな。

 

野菜類の移動販売、こういう類いの、販売は、インドネシアのどこでも見かける。朝、自分の家の前に広げて、近所に人に売って、余りものをこんな形にして、行きつけの住宅地に持って行って売るのです。テリトリーが決まっているはずです。    

 

8時前、帰ろうと支度を始めた時にONO君(客先のインドネシア人)から、メールでなく電話が入った。良い知らせだよという、悪い知らせもあるけど、どちらを先にする?と言って来た。良い方に決まってるでしょ、と言ったら。それではと。ある製品の受注が決まった。品質的にOKになって、他の競争相手に勝ったというのでした。悪い方は?価格の調整が必要で、ディスカウントを20%頼みたいということでした。なああんだ、そんなことかでした。何種類ものサンプルを提供したが、その内に一つが採用されたのでした。競争相手は、サンプルの種類が少なかったそうだ。取りあえず、おめでとうと、言っておいた。私は、ひそかに、ヤッタポーズでした。インドネシアでは私にしかできない製品がインドネシア中に広がる可能性がでてきた。帰る車を運転しながら、いつもは無意識に運転しているが、先ほどは、事故るなよ、運転に集中しろよと、思っていた。

暮らし 自立 安上がり

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(^_-)-☆難しいが

2014-05-06 22:32:54 | 試練

 1936 この前の話し合いの中で、経営と技術は、別の話で、技術は出来るもの全てを、無償ででも、提供するが、利益が上がるか上がらないかは、私としては、責任を取れない。技術提供と経営は別の問題。資金の流れや管理部門の事は、技術とは違う。ということを話した。技術以外の事で、どうしますかと尋ねられれば、こうした方がいいと答えるが、そのようにして後の結果については、無関係だと思う。私が実施するのではないから、タイミングや微妙に方法の違いや人の能力など、私の意見の他に、他の要素の方が大きいかもしれない。私の管理下にない人にお願いする事柄なので、その人たちにすれば、余計な仕事をしなければならいので、積極的に優先的にやろうなどとは、全く思わない。権利がない場所に責任もない。そして、権利も義務も経営者の立場としては欲しいと思わないし、私には向いていないと思う。

 

リッポチカランのシティヲークの駐車場で、サクラ祭り、以来、テントの設置が続いていて、何かの催しが続いていた。私にとって、都合が悪いことに、駐車場に車を止められない。周辺も路上駐車をしている車で一杯だし、駐車場に止めるなら、離れた場所しかない。毎日、その前を通るから、買い物に寄りたいが、なかなか、出来ないでいた。今日になって、駐車場を占領していたテントがやっと、除かれたので、会社の帰り、ファーマーズマートに寄ってみた。生野菜類を主に仕入れた。

 

警察官がパワハラを受けたことが理由で拳銃自殺を図った。可哀そうに思う。その人は犠牲者であって、何も、その場の事では、誰にも迷惑を掛けていないし、周囲の人も、彼の恩恵は受けていたと思う。ただただ、上司という立場にいた人から、パワハラを受けてしまっていた。パワハラをしていた人に私は、怒りを覚える。

 

私は、多分、この自殺した人より、酷い、パワハラを受けていたと思う。気がくるっているとしか思えないような仕打ちを受けた。言っていることが、ことごとく、自分たちの無知をさらけ出しているようなものだった。それでも、私は耐えた。インドネシアの会社の中の日本人二人(本社から派遣されていた、現地社長とマネージャー)からでした。相当な、思い込みと誤解を根拠に私をアドバイザーというポジションから外し、私が作り上げて量産になっている仕事にもイチャモンをつけて、その仕事を止めさせた。二十人以上の部下がいたが、押出部門ごと、そのマネージャーが、管理することにしてしまった。私はインドネシアにいて、相当な仕事やってきたと思っていたし、これからも、かなり期待される存在だと思っていて、彼等の能力は、全ての点で、私より、劣っていると思っていた。押出しの仕事など手も足も出ない。実際そうだった。勿論、そういうことは、外には、全く出していなかった。しかし、徹底的に、苛めにあった。

事務所で社長の前で、大声で、怒鳴られもした。インドネシア人スタッフがびっくりしていた。全く、身に覚えのない事だったので、別室に移ってもらって、心当たりは無い事を説明したが、通訳兼秘書の女性の告げ口を信じてしまっていて、どうにも、ならなかった。私にしてみれば、その秘書の日本語が、間違いが多く、よくこんな秘書を使って、間違った情報をうのみにしている、変じゃないのと、思ってはいたが、まさか、自分に被害が及ぶとは思っていなかった。また、在庫をドルとルピアを間違えて、半年も、こんな多額の不良在庫を抱えてしまって、どうするつもりだ、と、怒鳴られた。常識で考えれば分かりそうなものを、5万Rpを5万ドルと、思い込んでしまって、私の失敗を発見したと、小躍りしたのでしょう。私を呼びつけて、帳簿を指でさしながら、どうしてくれるんだ、というわけだ。500円と500万円の違いだ。呆れてしまい、よく見てくださいよ、単位が違いますよ、と言ってやったが、どうも、自分の失敗に気がつかないらしい。そして、その500円の品物が何かも見てりない。しばらくして、もう一度、よく調べてみる、ということだった。その事は、それっきりで、謝りもしない。とんでもない人に会ってしまったと思った。

営業の専門家という触れ込みで来たらしいが、全く営業らしい行動は無し、舞い込んだ新規の話も樹脂すらできない。その人が、私に、いきなり、私と一緒に仕事をしましょうと、のたまった。この人は私と一緒になど仕事は出来ないはずなのに、上から目線で、発する言葉ばかりだった。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

そんなことが、主な原因だったと思うが、ついにパニック障害(当時は、この病気についての知識が無かったので、何か、とんでもない奇妙な病気に掛かってしまったと思っていた)になってしまった。

 

ただし、自殺などしようとは全く思わなかった。まだまだ、やることは一杯あったし、多くの人から期待されていると思っていた。この、滅茶苦茶な環境から離れれば、また、皆さんの役に立つような仕事が出来ると思っていた。また、この人達が私にした事が、誤りだったと、思ってもらう時期が来ると思っていた。どうでしょうか、あれから8年近く過ぎている。その人たちは今どこでどうしているでしょうか。インドネシアの工場は見込みなしにしてしまって、閉鎖したが、その閉鎖の時間が掛かった事、相当、長期に渡って、会社に損失を与えたと思う。それも、私が、後始末の受け入れ先を紹介し、工場の売り先まで世話をした。1年半前に亡くなった、本社の当時の創業社長からは、感謝されたというのに、ご本人、それも、気に入らなかったと聞いている。どこまでも気の毒な人達だと思う。

 

パワハラに遭っている人に告ぐ、しばらく後で、徹底的に、攻撃を仕返しましょう。それまで、我慢をしましょう。逃げたり、自殺などしたりしては、やられっぱなしです。あなたの身内の人が気の毒です。必ず、やり返す時は来ます。立場から離れた時どうするか、どうやり返すかの準備をしましょう。負けないでほしい。苛めた人は、必ず、将来、惨めな気持ちになるでしょう。必ず、です。勝ち誇った気持ちが続くはずがない。反動は、必ず来ると思いなさい。子供の頃のいじめっ子が、将来、大成したという話はないと言っていい。同級会にも出にくい存在になってしまう。それと同じだ。

 

赤い実のドリアン、初めて知った。ジャワ島の東の端、バニュワンギ(バリ島との間のフェーリーはここから)パイなどのお菓子を作っているそうだ。行く機会があったら、探してみようと思う。

先行き 決めどき クスンパタン バイク

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(^_-)-☆上の空

2014-05-05 22:51:50 | インドネシア

 1935 土曜日も出勤をして、原料を受け入れたり、客先の人と見積もりや製造環境につて打ちあわせたりした。どちらも、注文を付けられた。私自身もこれでは不十分だと感じているので、どうにかしなければならないと思っているし、小手先のテンポラリーでは、近い将来でも、もと難しくなる可能性が高いと思う、その点を客先も指摘する。

 

朝、雲一つない快晴、空の青さは、完全なムシン クマラウ乾季である。次第に入道雲が表れて、日本の真夏の海の上空の雰囲気とそっくりになる。じりじりと芝からの照り返しもプラスして、強烈な暑さになる。フェアウェーに映る影がくっきりしている。

ところが、12ホールあたりで、黒い雲が現れ始めて、小雨が振り出した、一旦、上がったが、また、直ぐに、真っ黒な雲の集団が空を覆いはじめ、強烈なスコールになってしまった。あっという間に、ファウェーもグリーンも水が浮きはじた、地中への沁み込み以上の土砂降りだ。途中の休憩所に4グループが集まってしまった。

 

そんなに物凄いスコールでも30分ほど待てば,やむことは、予想できる、そのとおり、嘘のように、青空の一部が見え始めると、見る見る内に、青空が広がり、雨もぴったりと止んだ。ゴルフを再開すると、瞬く間に,太陽がかんかんと照りだした。足もとは、水たまりができているので、靴を濡らしながら、ボールを水たまりから置き直してプレーを続ける。雨があがって、30分ほどすると、水溜りは消え、雨が降りだす前の状態になった。転がりも戻った。そして、インドネシアらしい乾季の空も戻った。インドンシアの快晴の時に浮かぶ雲は、直ぐ上に見える。手が届きそうに思うときもある。

 

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage022.html

http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00073.html

東カリマンタンのマハカム川をサマリンダから上流まで、船に寝泊まりしながら、往復した時、が、それでした。

上の空を見あげながら、子供のころ、夏休みに、見上げた空を思いだす。

 

そういう感傷は、あったが、実は、今日のプレーは上の空だった。ゴルフ以外のことを思っていたので、寄せも、パットもいい加減なった。コンディションのせいではなく、他の事を考えていたからだった。

 

ジョコウィとユスフカラ(ユドヨノ現大統領の最初の副大統領だった)が組む可能性が高くなったようですね。

迷い 考え事 スコール

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(^_-)-☆両端

2014-05-04 22:43:40 | 旅行

 1934 インドネシアの国土を表す歌として、一番,有名な歌です。「北西の端、サバンから南東の端、ムラウケまで」という歌です。歌はインドネシア人なら誰もが知っているが、実際行ったことがあるという人は、ほとんどいないはずです。どちらか一方でも、ほとんどいないと思う。いわんや、日本人おや、でしょう。

 

Dari Sabang sampai Merauke Menjajah pulau-pulauSambung memnyambung menjadi satu Itulah Indonesia Indonesia tanah airku Aku berjanji padamu  Menjunjung tanah airku Tanah airku Indonesia

 

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page231.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page230.html

北西端はサバンのゼロポイントまで。

http://otaenplaext.net/newpage28.html

http://otaenplaext.net/newpage29.html

南東端はムラウケからなお東20Kmほどにあるソタという国境のまでいって、パプアニューギニヤとの線を跨いだ。

 

私の旅は、ほとんど、行き当たりばったりです。せっかく、インドネシアにいるのですから、あちこち見て回りたいし、その土地の人と触れ合ってみたい。だから、特に予定や計画を立てない。計画するほど、予備知識がない。調べたくもない。ただし、何かがありそうだとか、テレビによく紹介されているとか、話題になっている土地などに行ってみたいと思うのです。馴染みになっている旅行社に頼んで、その土地の空港までのチケットを購入する、ただそれだけです。目的の空港について、インフォーメーションにいろいろなことを聞きます。どこがお勧めか、泊まるところはあるか、交通手段と所要時間などです。大概、その場所で、泊まる場所を予約する、そして、タクシーをチャーターする。タクシーの運転手と滞在期間中の行動を打ち合わせし、帰りの空港までの送りもお願いする。

 

持ってきた黒はんぺんは、すでに食べてしまった。先程、桜エビのかき揚げを作って食べた。見てくれは良くないが、故里の味、静岡の味、駿河湾の味、由比の味がした。

 

昼間、道端で見かけた花、インドネイアには、花が咲いていなければ、これが花かなと思わせる、先端あたりの葉が鮮やかな色をしている植物が多くある。

両端 全土 場当たり

 

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(^_-)-☆惑っている

2014-05-03 22:37:25 | 仕事

 1933 昨日の続きをちょっと、こちらへ赴任して来て直ぐに、「日本人のほとんどは夜寝る前にお風呂(バスタブ)に入って一日の汚れや汗を拭って、体を温め、リラックスするのが習慣だよ。」という話をしたことがある。彼らの反応は、「日本人は不潔だ」でした。「朝、用便をしたときに、体を洗わないの」「紙で拭いて、水で洗わない、というのは不潔」だというのです。今のように至れり尽くせりの洋式トイレが無かった時代、日本の習慣は、確かに、不潔と言えば不潔だった。彼らのいうことはもっともだと思った。だから、今でも、田舎から出てきた人は、洋式トイレでも紙を使わないのが原則で、ズボンをビショビショに濡らしてトイレから出てくる人もいる。そのビショビショを拭くための紙なので、ティッシュとトイレットペーパーの違いは無いのです。なければ無くても良いのです。自分のタオルがあった方がいいのです。

 

そして、今日の話。不惑の歳は、何十年も前に通り過ぎているが、70才半にして、惑わずどころか、惑っている。余計な事しなければこんなことにならないのに。重い荷物を背負いたくないのが、本心、年齢の事を考えると、それほど長期間、前線に立って指揮は出来ない。後続を育てなければならないが、それなりの先行投資が必要になる。そう長くいないので、自分が投資を追加し続けるわけのも行かない。やはり、アドバイザーがいい。決断をするときだと思う。新しい仕事の話は、結構、次々と入ってくるが、それぞれに対応するための、新規客先に安心感を与えるための環境、設備、レイアウト、人材を整えて、目に着くようになっていないと、見積もりは、即出して、客先の反応を待つが、値段や製造技術の事ではない、ほかの事で、話を引っ込められてしまう。つらいところだが、今の状態では、それらを追いかけることはできない。製品が出来ることより重要な要素が客先にはあるからだ。技術の事はなにも分からない客先のインドネシア人スタッフ、QCやPPICの連中が評価するのだから。見かけや文章が重要になる。

“70で自分の心の赴くままに行動しても道を外すことは無くなった?”とんでもない話で、赴くままの行動などできない。出来る場所はあると思うが、その場所に行くという行動が出来ない。自分で、悩み多き高齢者青春?にしてしまっている。

 

家の中に迷い込んだ蛇です。種類は知らない。吉でしょうか、今日でしょうか。

バンドゥン近郊の山々は石灰岩で形成されている。簡単に細かく砕きやすので、舗装するときに、下に敷く。写真だけでは、どこかの海岸で、地ならしをしているように見えるが、破壊された道路を50cmほど掘り下げて、この石灰岩を砕いて、30cmの厚さで敷きつめてローラーで踏み固めた上に小石を敷き、最後にアスファルト舗装をする。来年また同じ場所か、その近くで同じことをする。懲りないインドネシアです。

惑い レイアウト 負担増

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(^_-)-☆世界が違う

2014-05-02 22:27:32 | インドネシア

 1932 寝る前にドリアン酒とチュンぺダック酒をほんの少し飲みだした。命に別状ないし、異変を感じることもない。飲みやすく、よく眠れる感じがする。

 

メーデーで休みなのでゴルフ、別の世界にいたのでデモの様子は分からない。ジャカルタへ動員された労働者が大挙して集合したようだが、チカラン辺りは通常より静かだった。押出部門は休日出勤をしてもらった。

 

改めて認識されられた事、インドネシア人の算数のレベルは日本の小学校3年にも劣る。10数年前、入社テストで0、5×105=Xという問題を出したことがあった。頭の良さを知りたかった。高卒者が対象だった。15人中出来たのはたった一人でした。皆さんに何故出来ないのか聞いたら、「忘れた」と言っていた。覚える事でしょうか、頭の中に、こういう画面が浮かばないのだと思う。世界が違う話なのでしょう。教育にない分野なのでしょう。「忘れた」のではなく、「覚えなかった」のでもなく、想像できない世界なのだと思う。 

それから、10数年後の現在、同じ問題を、高校数学の評価が10段階中9の人に出した。悲しいかな、答えは「0」でした。何故ゼロになるのか聞いたら、0.5に0があるから、それに何を掛けても0だという。凄い発想だ。それから、会社のベテラン社員にもこの問題が出来るか聞いてみた。5人中1人だけが正解だった。

 

それだけではないが、押出しの仕事には、頭の回転が速い人でなければ向かない。手先が器用な事と考えたことを直ぐに行動に起こす人でなければ、教えても意味がない。向かない人に仕事を教えることは、その人にとっても、負担になってしまう。教える方も、教えられる方も不幸だ。対数計算が出来ない人は金型に関しての仕事、全てが出来ない。

 

がらっと、変わって、トイレットペーパーの話。トイレットペーパーを使う習慣がないこの国では、日本でいうトイレットペーパーもティッシュペーパーも同じもの、同じ役割をするものという認識になっている。どちらも、洋式トイレでは、水で洗った後にその水を拭くために使う、レストランやワルン(道端簡易食堂)テントワルン、などでは、どちらも、口を拭いたり、アヤムゴレンなどを握ったりする時に使う。ホテルで、トイレットペーパーがなくなっている時、係りの人に頼むと、ティッシュペーパーを届けてくれる。

で、トイレットでは、拭いた紙は、排水パイプを詰まらせるから、流さないで、生理用品などを捨てるためのポットに、拭いた後の紙は捨てることになっている。トイレットペーパーは水に溶けるから、汚物と一緒に流すという認識はないし、それは、間違いだと認識している。紙は流さないでゴミ入れに捨ててくださいと書いてあるトイレも多い。インドネシアの場合は、その方が正解だと思う。書いてなければ、何でもかんでも、流してしまうから、何も流してはいけません、というのがいい。

 

だから、多分、日本への東南アジアや中国からのツーリストも、お尻を拭いた後のトイレットペーパーは、流さないで、ゴミ入れに捨てるので、すぐに一杯になってしまうのではないでしょうか。そういう光景が見えるようです。

メーデー 算数 トイレットペーパー

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(^_-)-☆ニュース

2014-05-01 20:52:18 | インドネシア

 1931 変なニュースが飛び込んできた。パンガンダランのあるホテルで、夫婦ではない男女がなくなっていた。アルコール類、若ヤシの実、サプリメントがあった。こんな事件は始めて聞く。

Sebuah hotel di kawasan wisata Pangandaran dikejutkan dengan sejoli yang tergeletak tak bernyawa di kamar. Dari hasil identifikasi, keduanya bukan suami istri. Diduga mereka overdosis minuman keras.

Kapolres Ciamis AKBP Witnu Urip Laksana menyebutkan, korban bernama Nasiman (38) dan Retno Jumiati (31), warga Kebumen, Jawa Tengah. Mereka ditemukan nyaris tanpa busana di satu kamar, Senin (28/4/2014). Di kamar tersebut ada tutup botol miras, kelapa muda, dan suplemen.

パンガンダランには、一挙に何万人もの人が訪れるのだから、事故や事件が偶にあることは仕方がないと思う。バナナボートの転覆でショック死とか、ホテルのプールで幼児が溺れ死んだとか確率的にはどこでもありそうな事故だ。津波の時を除いては、ほとんど、事件事故が無いと言っていいほど安全な場所だと思う。盗難や暴力などという話は聞いたことがない。

 

 これは日常茶飯事の交通事故 Ciloto で衝突が発生した。チパナス、Cianjur、西ジャワ、火曜日 2014 年 4 月 29 日。衝突トラック、ミニバス、三菱、スズキ AP 3 人が死亡し、2 人が負傷しました。

Sebuah tabrakan beruntun terjadi di Jalan Raya Ciloto, Kampung Pengkolan, Desa Ciloto, Kecamatan Cipanas, Kabupaten Cianjur, Jawa Barat, Selasa, 29 April 2014. Tabrakan antara truk Mitsubishi, angkutan kota, dan Suzuki AP itu menewaskan tiga orang tewas dan melukai dua orang.

 

 ドリアンをこの前、パックで買ったこのドリアン、一個の3分の1くらいで、千円くらいですね、高いと思うが、実においしい、いっきに食べてしまった。もう一パックを作った酒に漬けた。4日過ぎた状態です。開けて匂いを嗅ぐと、えもいわれぬ、芳香である。これは、誰にもあげない、毎日、寝る前に、ちびちび、ひそかに飲もうと思う。ちょっと、怪しい雰囲気になるかもしれない。

 

 ぞして、先ほど、家に戻ってから、インドビジョンのコードをはずして、買ってきた元のアンテナ用コードを接続した。四日ぶりに部屋の中が賑やかになった。早速、Yuk Keek Smaileにチャンルを合わせた。

 パンガンダラン 交通事故 ドリアン酒

 

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