エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

水引草

2015年10月09日 | ポエム
水引、である。
祝儀ごと、不祝儀ごとを問わず目にする。

或る意味で、敬虔な物質的な祈りの作法であるのだろう。



しかし、健康だった頃に水引を目にすると「ドキッ」としたものだった。
祝い事であれ、無作法な事であれ「辛い」からである。

生きる事に夢中な時代、それは時代とコミュニティにとっての潤滑油でもあった。
それは、今でもそうなのだ。







「水引草風のゆくえの定まらず」







このスラッとした、スレンダー美人。
何故に水引と称するのか。



意味不明である。
けれど、彼岸に引く結界には良く似合う。



       荒 野人