エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

医療に関する講演は聴く価値あり!

2009年10月29日 | 日記
健康は自分で守る・・・しかないのだろうか?
昨今、医療体制の不備が叫ばれているけれど、寂しい限りである。
かつての市井(しせい)の医療は壊滅したのであろうと思うのである。

とりわけ産婦人科医の不足が言われ、子供を・・・いや未来を産むという敬虔で崇高な行為が不安になってしまっている。

ぼくたちの時代お産婆さんがいて、その手でとりあげられた。
集落には必ずお産婆さんがいたものである。

医者が不足しているわけではない。
現在の医療が根源的に問われているのである。

そんな話を聴く。
意味深いのである。



昨夜、秋の一夜であるがぼくは再度野島先生の講演を拝聴した。
場所は岩盤浴「石の力」である。



野島先生の話は、何回聞いても「目からうろこ」である。
とりわけ昨夜の話は、良かった。

現在の病・・・現在病は栄養障害がその根っこにある。
だから、微量元素を摂ることから健康作りは始まるし、癌、アトピーも治ると胸を張るのだ。

医学というより科学を説く野島先生は、ガリレオ・ガリレイのようである。



ようするに、医学の問題は農業の問題であり、科学の未だ逢着せざる次元をいかに洞察するのかなのである。

ふむ!
難しい。
だがしかし、極めて重要な問題である。

野島先生は微量元素の毒素の無い、チタニュームとバナジュームを集中的に撮る方策を提案している。
阿武隈山系の花崗岩に含まれている微量元素である。



講演の前に仁王立ちになっている野島先生である。

ぼくの水を買うときのキーワードは「バナジューム」である。
なんだかやたら美味い気がするのである。

そして体中に沁み込んでいく感覚を覚えるのは単なる思い込みであろうか?
何事にも「疑問」を持つことの重要性は分かっている。
そして盲信せず、自ら検証する事。
さらに必要なのは自己中にならず、他者の合意を得る努力であるのかも知れない。

森羅万象をコントロール出来ないのだから。

それが科学の根幹である。
と・・・知らねばならない。




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秋が迫ってきた

2009年10月29日 | 日記
秋が迫ってきた。



紅葉がヒタヒタと進んでいる。
ぼくはその気配がたまらなく嬉しいのだ。
緑と黄、そして紅の塩梅が、その塩加減が季節を進める天の配剤である。



最後に残った柿を啄(ついば)んでいる。
枝にある下記の残滓が季節の進行度を示している。

食べ散らされた柿の残骸である。
ひよどりであろうか?それにしては嘴(くちばし)が赤いのである。
ぼくの知識ではこの鳥の名前は確定できない!
残念である。



東京の端っこに住むぼくの周りは、新しい発見の日々である。
それは生きとし生けるものの記録でもあるのだ。




みかんが色づいてそろそろ食べごろである。
天高く馬肥える秋・・・である。




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美肌の泉は京都八坂神社に湧く!

2009年10月28日 | 日記
京都八坂神社の阿吽像を紹介した。
ぼくは吽像は確かにうんこを頭に載せていると思う。


これは単なる角とするには惜しい!
うんこのほうが面白いでは無いか。

さてうんこ論議はここまで。

八坂神社境内にはいくつかの分社がある。
なかには「お稲荷さま」の社もあるのだ。



ちゃんとキツネがコン!と招いている。



ここは本殿である。
善男善女が拝礼しているのである。
ぼくも些少(さしょう)だけれど賽銭(さいせん)を放り込み、祈念を行った。



本殿の裏手である。
石灯篭が立ち並んでいる。
神社独特の気配が立ち込めている。
やはり「神域」である。

さて、美肌の泉はここである。
美肌の泉は京都八坂神社に湧く!のである。



その名も「美容水」と銘打っている。
清らかな湧水である。

温泉では「四万温泉」「湯布院温泉」「熱海温泉」など枚挙に暇がないのである。
単純アルカリ温泉の泉質であることが比較的多い。

また「すべすべ温泉」と一般的に呼称される温泉もまた、美肌効果が期待されるのである。
東京と東北の一部に湧出する黒湯なども「すべすべ温泉」である。

この泉には、京都花街のお姉さんたちも訪れると言う。
もちろん舞妓さんも来る。
化粧品会社も来ると聞いた。
きっと効果があるのだろうと思う。



ウイリアム・ブーグロー描くビーナスである。
ウェヌス(Venus)は、ローマ神話の愛と美の女神である。
日本語では英語読み「ヴィーナス」と呼ばれる。
古来から豊満な女性ほど美の基準であるのだ。

日本でその代表バッターは「天平美人」である。
豊かな美を湛(たた)えているのが天平美人である。

京都に来たら、女性たるもの八坂神社を拝礼してこの泉の水でその顔(かんばせ)を拭ってみたいものである。
きっとたちまち美しく、美肌効果が表れるに違いないのである。

いつの世も女性の美への欲望は限りないのである。
だから女性は永遠に美しいのである。

おそらく、ミネラル豊富な水であるのだ。
人の体がミネラルを欲しているように、人の肌もミネラルが不足している証左であると思う。



この泉の横には「美御前社」が鎮座ましましている。
なるほど・・・であるのだ。


女子高生がキャーッと言いながら、この水を掬(すく)っていた。
スッピンでも美しく輝く女子高生たちである。

眩しい若さが弾けていた。





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今日は台風一過!

2009年10月27日 | 日記
今日は夜来の風雨がウソのようであった。
台風一過の天気は優れて良好。
気分の良い一日である。



風が多少あって雲が千切れて飛んでいる。
台風の外郭ででもあるのだろうか?

午後の日差しは暖かかった。



紅葉した葉がキラキラと日差しを照り返しているのだ。
なんたる自然の美意識であろうか。



人の手が関与しない色と紋様である。
藤城清治の影絵の世界が広がって行く。

この空の下を歩くのは楽しい。



近所の玄関でオリーブが実っていた。

昨日鳩山総理の所信表明演説があった。
その評価をぼくは出来ない。

ただ、イタリアが連立政権の中核として迎えた「オリーブの木」が思い起こされた。
鳩がオリーブの枝を加える絵柄は、平和であり友愛である。


新政権がそうであってほしいものである。






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京都八坂神社の狛犬

2009年10月27日 | 旅行
京都の八坂神社を散策したのだ。
知恩院にも近く、合わせて散策できるし祇園祭りの舞台でもある。

また八坂神社の先は円山公園に行きつくのである。



石灯篭の前に屋台が店を出していて、賑やかである。
この先に八坂神社の狛犬が鎮座している。

阿吽(あうん)像で対でおられる。



阿像である。
口を開けて咆哮(ほうこう)している。
向かって右側である。



吽像である。
向かって左側である。
頭に角を生やしている。

ぼくは「うんこ」だと思っていた。
形から言っても、これは「角」というより「うんこ」である。

浅草の対岸にあるアサヒビールの社屋、その屋上のモニュメントにそっくりである。
そのビルは通称「うんこビル」である。

このうんこは、由来によればこう説明されている。

一般的には、向かって右側の像は「阿形(あぎょう)」で、角はなく口は開いている。
そして、向かって左側の像は「吽形(うんぎょう)」で、1本の角があり口を閉じている。
両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多いが、厳密には、角のない方の像を「獅子」、角のある方の像を「狛犬」と言い、一対で「獅子狛犬」と称するのが正しいとされている。

のだそうである。





どちらも立派な顔をしている。
こうして下から見上げれば、確かに吽像の頭にあるのは角に見える。

八坂神社は由緒正しい。
日本3大祭の一つ、祇園祭が八坂神社をはじめ氏子区域一帯で、7月1日の「吉符入」から31日の「疫神社夏越祭」までの1カ月間、様々な神事や行事が執り行われるのである。

誰もが知っている祭りである。



巫女さんの赤い裳裾(もすそ)が目に眩(まぶ)しいのは何故だろうか?

京都の歴史の古さと確かさに感動するのである。




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