エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

夏木立

2014年05月21日 | ポエム
夏木立。
なんという美しいオマージュだろうか。

日本語の美しさの象徴的な言葉である・・・と思う。
文字に意味のある日本語だからこそ、こうしたオマージュが心を揺さぶるのだ。



夏木立を探して、漂泊した。
萩原朔太郎のように。



都会の夏木立は、綺麗すぎて好きになれない。
だがしかし、これもあって良い。

受け入れられるキャパの範囲である。







「夏木立視界切り裂く鳩の群れ」







嗚呼、汝漂泊者。
ぼくは過去からも来ていないし、未来をも過ぎ去らない。
山頭火のような生き様を、希求するわけでもない。

写生した視覚からのオマージュを、言葉で紡ぎたいのだ。




        荒 野人

やまぼうし

2014年05月20日 | ポエム
ヤマボウシ、である。
ハナミズキの後、白々とした花を見せる。

山法師でヤマボウシと読む。
別名「山桑」。



ヤマボウシという名前は、花の姿が 比叡山延暦寺の「山法師」に似ていることが由来とされる。
中央の丸い花穂を坊主頭に、4 枚の白い花びらを白い頭巾に見立てたのである。







「山法師葉裏に陰る花もなし」







ヤマボウシの白い花が、浮いているように見える時、心も解放されると感じる。



このヤマボウシの赤い実は、甘く美味しい。
果実酒としても良し、そのまま食べても良い。



花言葉は・・・。
「友情」である。



     荒 野人

再び若葉

2014年05月19日 | ポエム
若葉の候である。
風香る候である。
風が光っている候である。
大気が爽やかな候である。



空が蒼く澄みきっている。
その空を、若葉が鮮やかに見せるのである。

見事と言うしか、賛辞が無いのだ。







「見上げれば若葉の群れる空ばかり」







昨日は、日がな一日空の下で思索に耽った。
今までの生き様と、今後の進路である。

俳句結社での句作の在り方・・・などについて考えていたのである。



新緑が、若葉になり、やがて青葉になっていく。
その変遷の見事さったら、無い!



組織の閉塞性について、感じてならないのである。
結社であるからには、主宰が頂点にいる。

その在り様である。
様々な緑があって、重層的に重なっている。
だがしかし、この時期の緑はいくら重ねても黒にはならない。

あくまでも、緑である。
この思索の結論は、改めて報告する事となるだろう。




      荒 野人

青葉

2014年05月18日 | ポエム
青葉が滴る・・・。

実はこの表現、俳句では季重なりとなる。
青葉と滴るがそれぞれ夏の季語であるからだ。

昨日は、なんという熱さであった事か。
その暑さの中を、出かけたのである。



駅の近くのアスファルトの壁に、虹が!
何がプリズムになって、この現象を引き起こしたのか分からない。
けれど、自転車のパーツから光が瞬時に投影されたのではないだろうか・・・などと勝手に予想している。



水面が揺れている。
その揺らぎは、凝視すればするほど心が平らかになっていく。

ヒーリング効果の極み、であるのかもしれない。



駅の近くで、撮った。
花豆王の、豆の莢である。

薄く、日差しを透過して豆が見える。
生き物の記録として、PCにしっかりと取り込んだ。







「城跡や青葉の深さ空の果て」







青葉茂る。
仙台の杜の都・・・そのオマージュが脳裏に浮かんでいる。

青葉城が、仙台の城の別名である。



        荒 野人

橡(とち)の花

2014年05月17日 | ポエム
キャンドルのような、白い花。
栃の花である。



この花が実になって、縄文人にとって主要な食料となっていたのである。

花からは蜜が、種子からはでんぷんがとれる。
特にトチ蜜(とちみつ)は最高品質のものとして知られている。



学名 Aesculus turbinata(栃の木)
   Aesculus hippocastanum(マロニエ)

   Aesculus : トチノキ属
   turbinata : 倒円錐形の
   hippocastanum : トチノキの古名「馬の栗」

である。

材は家具や楽器などに使われる。
栗のような形の実(み)はすりつぶして渋抜きして「とち餅」にする。
そのままでは渋くて食べられないのである。
この栃の実は縄文時代から重要な食料で、どんぐりなどとともに主食の一部であった。







「歯応えの数えるほどの栃の餅」







花言葉は・・・。
「天才」「博愛」「贅沢」「健康」である。

芭蕉は、下記の句を残している。


「木曽のとち うきよの人の みやげ哉」


木曽の山深さが良く伝わる句である。



     荒 野人