エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

薔薇という生き物

2014年05月16日 | ポエム
薔薇は心の機微に触れて、咲くのだ。

春は「春ばら」。
冬は「冬そうび」。
夏は「薔薇」なのだ。



薔薇は、あたかも生き物のごとく咲く。
しかしてその深奥を覗かせまいと、無為に蕊を仕舞い込もうとする。

だが、キャメラはそれを許さず捉えてしまう。







「薔薇の苑知らぬ思いのふりをする」







薔薇園には、あらゆる善男善女が寄り添う。
「わっ!奇麗」
と賛辞を表する。



その度に、薔薇は美しくなる。
褒められれば褒められるほど、薔薇の美しさは神秘的になっていく。

匂いは、その度に包み隠されていく。
より内向的になっていくのが、薔薇の香りなのだ。



ぼくたちは、薔薇の神秘に包まれる。
ぼくたちは、薔薇の秘密に肉薄する。
ぼくたちは、薔薇の神話の小さな共演者となっていく。
ぼくたちは、薔薇の生態に畏怖するのだ。



薔薇は、生きている。
生き物なのである。

因みに、今日お見せした薔薇の名前を順番に列記する。
「ファースト・F・ルネッサンス」
「ホワイト・マスターピース」
「ゴールド・バニー」
「宴」
「メルヘン・ケニゲン」
「紫雲」
の六つである。



       荒 野人

さくらの実

2014年05月15日 | ポエム
さくらんぼ・・・では無い。
さくらの実なのである。



小さく丸い。
白からピンク、赤そして黒へと色を変えるのである。
どの色であっても、艶々として美しい。
美しいのだけれど、落果すると舗道を汚す。



樹の上にあって、輝く果実である。



この果実、鳥も啄ばまない。
いや啄ばむのかもしれないけれど、啄ばんでいるところを見た試しがないのである。







「なだれうつみどりの波のさくらの実」







さくらんぼの実は、空想を遥かに馳せる事が出来る。
見る人によって、様々に空想が広がっていく。



それが楽しい。



明日だけれど、薔薇を紹介しようと思っている。
雨に濡れた薔薇が撮れたのなら・・・という条件付きである。
乞・期待!!



      荒 野人


若葉

2014年05月14日 | ポエム
宗二郎ののオカリナで聴く「若葉」である。

  さわやかな
   みどりよ

小学校で歌いました。



オカリナ 宗次郎 / 若葉 - 日本のうた こころのうた1 -




心が洗われるような音色である。







「緑さすみどりの海の空はるか」







いま、林を歩くのが良い。
たっぷりのオゾンと、緑の呼気を堪能できる。



足腰のしっかりしたご老人であった。

緑の雨が注いでいる。
しかも、足元には柔らかになった土が温められているのだ。

そう、いまは72候の内「みみず生ずる」のである。
土の柔らかさと暖かさが、地上に満ちみちているのである。

そして、散歩するときには「さわやかな みどりよ」と歌ってほしいものである。
因みに今日の句は、昨年の今頃詠んだ句である。



      荒 野人

柿若葉

2014年05月13日 | ポエム
爽やかな気候が続いている。
五月晴れ、なのだけれど土が降る。
屋根なしの駐車場に停めているのだけれど、フロント・ガラスは埃だらけである。

実に汚い。



そうであったとしても、この爽やかさは例えようも無く気持ちが良い。
見上げると、柿若葉の影から幼い柿の実生が生まれている。
柿若葉の生命力が横溢するのだ。

日を透過する葉の葉脈は、鮮明である。
そこに、黄色の命の炎が萌えている。
力づけられる佇まいである。







「柿若葉青き血潮の脈を診る」







この生命力の逞しさには、脱帽して見上げるしか方法は無い。
そこに、人の品性が試されているのだと思うのだ。



自然の揺るぎない逞しさに畏怖せよ。
そこに、新たなる創造が刻まれるのだ。



         荒 野人

シャリンバイの花

2014年05月12日 | ポエム
車輪梅・・・と書く。



奄美大島では大島紬の染料に使われる。
樹皮を木灰と混ぜて鉄がまで煮出し、大島紬の褐色染料にするのだ。

鹿児島県笠利町の花であり、木である。
笠利町は奄美大島の町である。



また、乾燥や大気汚染に強いことから道路脇の分離帯などに植栽されたり、艶のある常緑葉が美しく、良く刈り込みに耐えるため庭木として植栽されたりする。
和名は枝の分岐する様子が(葉の配列の様子とも)車輪のスポークのようで花が梅に似ることからである。







「シャリンバイかく咲きてありかく咲ける」







花言葉は・・・。
「愛の告白」「純真」「そよ風の心地よさ」である。

花の開花時期に合わせた花言葉である。



見た目と花卉の効果効能がここまで違うのは、シャリンバイの特化された美である。
シャリンバイの美学に酔い痴れてみようではないか。



       荒 野人