連休土日は同窓会だった。
我が高校は卒業後30周年に大同窓会を開催する歴史がある。
佐賀に残った有志が、昨年12月から準備してくれたもの。
友人のA木からは、土曜日の〔前夜祭〕の受付を頼まれている。
『へいへい、何でも手伝います』
本当なら準備にも参加したかったのだが、気分が乗らなくてサボってた。
最後くらいは何か手伝わないと申し訳ない。
受付の手順はスペシャルに考えられたもの。
卒業写真入りのクラス別名札と、席クジ、名簿渡して会計。。。
明日来れない人には明日のパンフレット等々。
イレギュラー参加者にも失礼のないように対応できる素晴らしいものだった。
〔さすがN高卒、何をさせてもその出来の良さに感心する〕
受付部隊は友人G川とI村。
会社では既に管理職のエリートだが、イベントものは苦手の様子。
懐かしい顔が続々到着すると、あちこちで近況報告が始まる。
『おーぃ、つもる話はアトアト、受付してくれーぃ』
私はいつものイベントをこなすように、取り仕切ってサクサク流していった。
まぁ、同じ中学出身の女子に向かって、
『おーー?お前なんしよるん?』
「お前って言うなー!」
なんてハプニングもあったが
【前夜祭参加者87人、2次会12時までで退散した】
さて、日曜日の同窓会本番。
おごそかに、式典が開始された。
「さて、今年も残すところ3か月半となりました。」
「ゆく年、来る年・・・」
会場大爆笑である。
司会は、おそらく誰もが知っている某国営放送U山くん。
勝手にユーモア交えてしゃべるが、さすが超一流の正統派アナウンサーである。
すごいの一言に尽きる。
伝統のストーム。
委員長のH富が一発かます。
「男性は30年ぶり、女性は初めてのストーム・・・、そこら辺は火が燃えとるけん通ったら焼け死んじゃー」
そう、女人禁制のファイヤーストームが母校では続いている。
高校の時、学業不良の私は目立たない生徒だったと自覚していた。
部活はしたし、友人ともいろいろ遊んだが、特定の派閥に属せず図書館が好きだった私はモテナイ君だった。
30年ぶりの同窓会・・・
正直ちょっと億劫だった。
みんな何してるのか気にもなるが、自分のことを覚えていてくれる人がどのくらいいるのか。
近い奴らはいつでも会うし、今さらなぁ。
しかし、それは大間違いだった。
160人の参加者のうち、文系女子は知らない人も多かったが、1年生で同じクラスだった女子は一発で思い出してくれた。
〔ちなみに1年だけ混合クラス、2年男クラ、3年女子4名〕
男はほんの一部を除きほとんどが声をかけてくれる。
こっちが思い出すのに苦労して申し訳ないことも。
『うわー、俺意外と友達多かったんだぁ』
2次会にほとんど流れ、100名をはるかに超え、ディスコ(死語^^;)状態。
ワイワイガヤガヤの楽しい時間。
昔のことより今の近況報告が多いのは、みんな今を楽しく生きているからだろう。
と、舞台でアナウンスがあり、突然始まる黙とう。
高校2年の時、突然自分で命を絶ったN川くんを忘れないでくれという友人からの一言。
当時強烈な印象で、私は覚えていたが「そんなこともあったなぁ」という声が多かった。
受験戦争で戦死した幼馴染のI、予備校で宙ぶらりんの掴みどころのない生活を一緒に過ごしたKも最近死んだと知った。
スポーツマンでサッカー部だったNも病気で他界したとのこと。
この同窓会、夢のように楽しかった2日間。
本当にみんなに会えてよかった。
同窓会の責任者をしてくれたM田が最初の打ち合わせ会で言った言葉。
同窓会にこれる人はたぶん幸せな人生なんだと思う。
なるべくたくさんの人を誘って欲しいが、無理強いはしないで欲しい。
本当はみんなに会いたいと思っても、来れない人もいることを忘れてはいけない。
それだけは気にかけてくれ。
高校時代はよくわからなかったが、実はいい奴らがたくさん周りにいたんだなと思える素晴らしい同窓会でした。
準備をしてくれた、また遠くから来てくれた仲間たちに乾杯!
我が高校は卒業後30周年に大同窓会を開催する歴史がある。
佐賀に残った有志が、昨年12月から準備してくれたもの。
友人のA木からは、土曜日の〔前夜祭〕の受付を頼まれている。
『へいへい、何でも手伝います』
本当なら準備にも参加したかったのだが、気分が乗らなくてサボってた。
最後くらいは何か手伝わないと申し訳ない。
受付の手順はスペシャルに考えられたもの。
卒業写真入りのクラス別名札と、席クジ、名簿渡して会計。。。
明日来れない人には明日のパンフレット等々。
イレギュラー参加者にも失礼のないように対応できる素晴らしいものだった。
〔さすがN高卒、何をさせてもその出来の良さに感心する〕
受付部隊は友人G川とI村。
会社では既に管理職のエリートだが、イベントものは苦手の様子。
懐かしい顔が続々到着すると、あちこちで近況報告が始まる。
『おーぃ、つもる話はアトアト、受付してくれーぃ』
私はいつものイベントをこなすように、取り仕切ってサクサク流していった。
まぁ、同じ中学出身の女子に向かって、
『おーー?お前なんしよるん?』
「お前って言うなー!」
なんてハプニングもあったが
【前夜祭参加者87人、2次会12時までで退散した】
さて、日曜日の同窓会本番。
おごそかに、式典が開始された。
「さて、今年も残すところ3か月半となりました。」
「ゆく年、来る年・・・」
会場大爆笑である。
司会は、おそらく誰もが知っている某国営放送U山くん。
勝手にユーモア交えてしゃべるが、さすが超一流の正統派アナウンサーである。
すごいの一言に尽きる。
伝統のストーム。
委員長のH富が一発かます。
「男性は30年ぶり、女性は初めてのストーム・・・、そこら辺は火が燃えとるけん通ったら焼け死んじゃー」
そう、女人禁制のファイヤーストームが母校では続いている。
高校の時、学業不良の私は目立たない生徒だったと自覚していた。
部活はしたし、友人ともいろいろ遊んだが、特定の派閥に属せず図書館が好きだった私はモテナイ君だった。
30年ぶりの同窓会・・・
正直ちょっと億劫だった。
みんな何してるのか気にもなるが、自分のことを覚えていてくれる人がどのくらいいるのか。
近い奴らはいつでも会うし、今さらなぁ。
しかし、それは大間違いだった。
160人の参加者のうち、文系女子は知らない人も多かったが、1年生で同じクラスだった女子は一発で思い出してくれた。
〔ちなみに1年だけ混合クラス、2年男クラ、3年女子4名〕
男はほんの一部を除きほとんどが声をかけてくれる。
こっちが思い出すのに苦労して申し訳ないことも。
『うわー、俺意外と友達多かったんだぁ』
2次会にほとんど流れ、100名をはるかに超え、ディスコ(死語^^;)状態。
ワイワイガヤガヤの楽しい時間。
昔のことより今の近況報告が多いのは、みんな今を楽しく生きているからだろう。
と、舞台でアナウンスがあり、突然始まる黙とう。
高校2年の時、突然自分で命を絶ったN川くんを忘れないでくれという友人からの一言。
当時強烈な印象で、私は覚えていたが「そんなこともあったなぁ」という声が多かった。
受験戦争で戦死した幼馴染のI、予備校で宙ぶらりんの掴みどころのない生活を一緒に過ごしたKも最近死んだと知った。
スポーツマンでサッカー部だったNも病気で他界したとのこと。
この同窓会、夢のように楽しかった2日間。
本当にみんなに会えてよかった。
同窓会の責任者をしてくれたM田が最初の打ち合わせ会で言った言葉。
同窓会にこれる人はたぶん幸せな人生なんだと思う。
なるべくたくさんの人を誘って欲しいが、無理強いはしないで欲しい。
本当はみんなに会いたいと思っても、来れない人もいることを忘れてはいけない。
それだけは気にかけてくれ。
高校時代はよくわからなかったが、実はいい奴らがたくさん周りにいたんだなと思える素晴らしい同窓会でした。
準備をしてくれた、また遠くから来てくれた仲間たちに乾杯!