マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

モノがある幸せとモノがない幸せ

2020-07-23 | 日々の暮らし
本日は、ふと考えたことを綴ります。

モノが少ない部屋
私の自室も、過去に大型の家具を処分し、昨年から今年にかけて、趣味のモノも大半を処分し、昨日は処分はしていないけれど、自室からハンガーラックを撤去し、かなりの余白ができました。
本日は、捨て曜日だったので、何か処分するモノはないか?と考えながら、部屋を眺めていると、家具とモノが30年前とは比べ物にならないくらい少なくなっていることに、改めてホッとした気持ちが湧いてきました。

まだまだ、生活には不要なモノはあるのですが、今のところ現状維持で行こうかな、と考えています。
もともと、あまり見える場所に使うモノを置くことが嫌いだったので、見える場所にあるのは、もっぱらインテリア系と頻繁に使用するモノだけでしたが、収納家具を駆使して、見えない場所にたくさんのモノを詰め込んでいました。
思い返すと、そんな部屋で過ごしていて、私は心底幸せだったのだろうか?と、つい自問してしまいました(笑)

今、自室に入って目に入る家具は、ベッド、折り畳みデスク、父の手作りラック、1人用スツールボックスの4点。
家電品は、ダイソンピュアホット&クール、テレビ、DVDプレイヤー、ケーブルテレビのトップボックスの4点。
壁には、好きな野球選手のポスターが1枚、思い出の写真が1枚、壁掛け鏡が1枚、小さなカレンダー1つ、今の季節は帽子もすぐ手に取れるように、通気口の取っ手を利用して壁にかけています。
小物は、ラックの中に漫画と今から読む予定の小説と見返したい本、デスクにはラップトップと手帳(日記代わり)、ボールペン1本、鍵と小さなライトを入れているトレイとメガネを置いていて、ベッドには枕と布団以外に抱き枕があります。

このように書き出していくと、まだまだモノがたくさんある印象ですね(笑)
それでも、部屋に入れば何がどこにあるかは一目瞭然。
家具に圧迫されていた頃は、自分では把握できていましたが、もし誰かに何かを取ってきてほしいと頼んだら、探すだけで数十分かかっていただろうな、と思います(苦笑)
今の部屋であれば、部屋の中に何があるかはすぐにわかりますから、誰かに何かを取ってきてと頼んでも、数分で見つけられるでしょうね。
部屋に余計なモノを置かないことは、自分だけのためじゃないのだと、最近は考えるようになりました。

モノがたくさんある部屋
家具を処分しても、しばらくはクローゼットにモノが詰め込まれていたし、昨年までは自室にローチェストも置いていたので、ほんの1年前ですが、今よりも窮屈な部屋で過ごしていたな、と思います。
家具とモノがたくさんあった部屋で、当時私はどんな気持ちで過ごしていたのだろう?と、少し振り返ってみると、当時は当時で、今とは全く違うことを思いながら過ごしていたことを思い出しました。

私がモノを思い切って処分し始めたのは、20代後半からです。
最初は、自室の四方を陣取っている収納家具(キャビネットや本棚など)を処分したのですが、当然中に入っていたモノを先に処分しています。
処分する家具の中に収納していたモノは、たくさんの書籍、未使用の食器、さまざまな雑貨、大切な書類やカードなど。
家具を処分するために、書籍の半分以上と食器のほとんどは売却し、雑貨は躊躇なくごみ箱へ(笑)
そして、何度か同じことを繰り返し、今の状態があるわけですが、最初の頃は本当に処分する決心をするまでに、時間がかかったことを覚えています。

そもそも、なぜそんなにたくさんのモノを持っていることを、疑問に思わなかったのだろうか、というと、20代って社会人になって数年しか経っておらず、自分の稼いだお金を使うことに喜びを感じているようなところがありました。
給料を稼ぐまでは、親からのお小遣いで買ったモノと親が買ってくれたモノを使って生活していましたが、中には親に気を遣って使っているモノもあったわけです。
それが、自分で自由に使えるお金が手に入るようになり、そのお金は何に使っても、何を買っても自分自身で決めることができる喜びは、結構大きかったように思います。

また、20代はまだ未来に希望がたくさんある時期でもあります。
結婚する未来も考えていたし、仕事で昇格してバリバリ働く未来も思い描いていたし、たくさんの旅行や、いずれ会社を辞めて自分で店を持ったりフリーランスで働くことを妄想したこともあります。
とにかく、20代は自分がこうであったらいいな、と思う姿に備えているようなところがあり、そのためにいろいろなモノを買ったり準備したりしていることそのものが、楽しかった気がします。

モノがある幸せとは
モノが溢れていた当時の、私の部屋を肯定的に表現すると「未来への準備をする部屋」だったのだと思います。
自分にどんな未来が来ようと、準備さえしていたら、きっと幸せな日々を送れるだろうと、本気で考えていました。
実際、モノに押しつぶされてしまいそうな圧迫感を感じるようになるまでは、モノがたくさんあることを楽しんでいたし、幸せだと思っていました。
好きなモノを揃えて、収納が窮屈になっても、いつか今よりも広い部屋や家に移り住んで、図書室を作ろう、趣味の部屋を作ろう、キッチンは大好きな食器と道具で埋め尽くそう、と妄想する瞬間もとても楽しかったです。

そんな自分の20代の頃を振り返ると、若いときにモノをたくさん持つことは、決して無意味ではないかもしれないと思っています。
結果として、ほとんどのモノは手放してしまいましたが、モノがあったことで、自分に合っていることや苦手なことを、はっきりと自覚することもでき、未来への準備も「何か違うぞ」と感じることができたと思います。

ただ、若くてもモノが多いことで暮らし辛いことがあったり、モヤモヤやイライラを感じてしまうようになっているのであれば、思い切ってモノを処分することをおススメしたいです。
仕事や家庭が上手くいかないときに、モノに当たってしまうことがありますが、きっと大切にしているモノには当たったりしないと思うのです。
つまり、モノに当たることや、モノのメンテナンスにイライラするということは、その対象になっているモノが不要だからですよね。
だから、誰かに貰ったとか、思い出が詰まっているとか、まだまだ使えるなど関係なく、モノに負の気持ちをぶつけてしまう瞬間に、それは手放した方が気持ちの整理も付きやすいのかな、と思います。

モノがない幸せ
なんだかんだ言っても、まだ私の自室には人様から見たら不要なモノがたくさんあります。
ただ、私はそれらのモノに負の感情を抱いていないので(むしろ好きだし見ていて幸せでもあります)、気持ちが変わるまでは持っていようと思います。

しかしながら、現在は人生の中でも一番所有物が少ない状態であり、そのことは決して嫌ではありませんし、部屋にある空間が増えることに比例して、スッキリした気持ちも増しています。
20代の頃の私には、きっと感じることができない、心地よさかもしれません(笑)

モノが少ない部屋は、余計なことを考えなくて済むので、自分に何か悩みがあったりしても、その悩みに集中することができます。
モノが多いと、片付けやメンテナンス、掃除のときの手間、モノの出し入れにかかる手間に時間を費やしてしまうので、集中しなければいけないときに、気が散ってしまうのですね。
仕事を家でする人も、モノが多い部屋よりはモノが最小限しかない部屋の方が、きっと集中力は増すと思います。

また、モノが少ないことで、ケガをすることが少なくなりました(笑)
年齢的にも、若いころに比べて足腰が弱くなったり、視力が変化してきたりしているので、若いころのような家具で狭くなった部屋では、ぶつかったり引っかかったりして、ケガが絶えなかったかもしれません(苦笑)
まあ、それは、自分がおっちょこちょいなだけなのですが、モノが少なくなった部屋は、臨機応変に使える空間が多くなり、体操やストレッチをしたり、何かの作業をするにも楽だったりするので、行動面から言うとメリットしかありません。
部屋にモノがないことは、部屋を広く使えるということ。
そうすると、自分の行動が効率的になりますし、余計なことをしないで済むので、時短にも繋がりますし、モノがないおかげで、手順を省略する術も身に付きます(笑)

そして、部屋にあるモノが少なくスッキリしていると、感覚が研ぎ澄まされて、今まで集中して聴くことがなかった、朝の鳥の鳴き声や、小さな自然の音を聞き取れるようになり、穏やかな気持ちを持つ時間が増えました。
これは、自分でも意外な結果でしたね。
モノが少ない部屋は、殺風景で寂しそうだしつまらなさそう、と感じる人も居るかもしれませんが、モノが少ない分、情緒が豊かになることはあるのだと、私は実感しています。

無理をしないことが一番
モノをたくさん持つにしても、モノを減らしてスッキリ暮らすとしても、一番重要視しなければいけないことは、無理をしないことだと思っています。
いくら、誰かが、モノは多い方がいいと言ったり、モノは必要最小限だけ持っていたらいいと言ったりしても、自分自身が何かに無理をしているのなら、他人の言葉をむやみに実行してはいけないな、と思います。
無理をすることは、必ずストレスになり、それを長く続けると心身ともに壊れてしまう可能性があります。
もし、モノを処分しなければいけない、と追い詰められていたら、モノが減っても幸せを感じることはできないだろうし、もし、モノが多すぎて暮らしをモノの存在に合わせてしまっているのなら、それも幸せではないですよね。

以前、私は友達の影響でウエッジウッドのピーターラビットの食器をシリーズで揃えていたことがありました。
しかし、よくよく考えたら、食器以外のモノでピーターラビットのグッズは、一切持っていませんでした。
そして、数は少ないですが、ある程度まで食器を集めた時点で、そこから先、ピーターラビットの食器を増やしていくことに、辛さを感じるようになってきました。
当時は、一応給料も人並みに貰っていたので、他のモノを買わなければ、正規の値段でまとめて購入することもできたはずですが、他にも欲しいモノがあり、アウトレット店まで足を運び、なるべく安く手に入れる努力をしていました。
ところが、ある時期から、わざわざアウトレット店まで足を運ぶことが億劫に感じられるようになり、ちょうどそんな時期に、家具を処分しようと思い始めたこともあって、結局それまで買い集めたピーターラビットの食器は、全て売却してしまいました。

今思えば、自分で自分の苦労を水の泡にしたような感じなのですが、当時は友達に影響されて無理をしていたのですね。
お金も、買いに行く労力と時間も、自分に言い聞かせながら捻出していた気がします(苦笑)

今は、誰かに影響されてモノを集めるということはやめました。
また、自分が好きなスポーツ選手やアーティストやアイドルのグッズも、買うのをやめました。
少し前までは、無理して買わないのは逆にストレスを溜めてしまいそうだな、と思っていましたが、少しだけ我慢するようにしてみたら、意外と早い時期に買わなくても気にならなくなりました。
結局、他のファンの人たちと同じように行動しようと、グッズ系を無理して買っていたのかもしれないですね。
しかし、これもモノを最小限に持とうとしなければ、気が付けなかったことでしたね。


モノをたくさん持つ幸せと、モノを少なく持つ幸せを、単純に比べることはできません。
ただ、今の自分の暮らしにしっくりくるモノの数量というのは、常に変化しますので、もし不都合がないのであれば、減らしたり増やしたりすることを、積極的にしたらいいのだと思っています。
今の私は、モノが少ない今の方が、心穏やかに過ごせます。
モノを増やすか、減らすかは、今の自分の暮らしと向き合うきっかけなのかもしれませんね。