マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

小さなアクシデントが起きたらルーティンを変えてみる話

2020-07-25 | 日々の暮らし
ここのところ、ちょっとしたアクシデントが続いています。
そういうときは、自分のルーティンや暮らし方の思い込みが原因だと考えるようにしています。
それは、きっと今の暮らしに足りないことや余計なことがあるから、起きているのだろうと思っています。
本日は、そんな話を綴ります。

直近で起きた小さなアクシデント
【小さな怪我】
2日前に、小指を切りました。
切った原因は、食器乾燥機(備え付け設備のため処分が難しいので棚として活用)のアクリル扉を思いきり勢いをつけて拭いた際に、アクリル扉の角に小指を思いきりスライドさせてしまったからです。
厚みのあるアクリル板なので、皮膚の避け方がえぐれるような感じになってしまって、結構流血しました。
調理中だったこともあり、もう、そのあとの調理と食事の準備の手順がぐちゃぐちゃになり、なんとか食事を終えて、改めて指に絆創膏を貼りながら、気分がめちゃくちゃ下がりました(苦笑)

【落とした原因】
本日は、母が昼食に食べようとした天ぷら(買ってきたもの)を、皿に盛り付ける直前にパックが浮いてしまったのか、床に天ぷらを落としてしまいました。
原因は、わかっています。
母が、いつも何か作業をする際に、テーブルやデスクギリギリの端っこにモノを置いているからです。
数日前から、そのうち落としてしまうかもしれない、と思った矢先に起きたアクシデントでした。

【音を立てる】
2~3日前から、母が玄関から出る際に、傘立てをガチャガチャと音をさせるようになりました。
音がするだけで、何をしているのかは確認できていないのですが、歩くときに突いている杖を取ろうとしているのか、立てている傘や杖に手をついているのだと推測しています。
割と音が大きいので、夜に外へ出ようとしたときに、階下へ音が響くのではないかと、少し心配しています。

【モノを落としがち】
最近の私は、モノを落とすことが増えました。
落とし物、ではなく、モノを落とすのです。
置き方や置き場所、取り出し方に問題があるのは自覚しています。

小さなアクシデントは自分への黄色信号
アクシデントが起きると、多かれ少なかれ気分が滅入りがちですが、特に小さなアクシデントに対して、気分が下がることがあります。
大きなアクシデントは、逆に落ち込む余裕がないので、割と淡々と改善策を考えますが、ちいさなアクシデントは「防げたはずなのに、どうして?」という気持ちが強くなります。

例えば、足の小指を家具にぶつけたとき。
自分がおっちょこちょいだな、と笑って済ませられるときはいいのですが、たまに「もっと離れて歩けばよかったのに、なぜすぐそばを歩いたのか?」と自分の行動を悔やんでいるときがあります。
そのようなときは、おそらく気持ちの上で何らかのトラブルが発生しているのだと思います。
仕事がうまくいっていないとき、人間関係に疲れているとき、家族との関係がよくないとき、その他自分が何かしらに落ち込んでいるときに、小さなアクシデントが多いように思います。

逆に、小さなアクシデントが増えてきたら、それは自分自身に対する黄色信号だと、最近になってわかってきました。
自分では意識していなかったことでも、実は心の奥底で気がかりだったことや、心配していることや、思い悩んでいることが、暮らしのほんのちょっとした行動に出てしまっているのでしょうね。
以前は、小さなアクシデントは、気を付けていさえすれば回避できると思っていましたが、最近は小さなアクシデントが発生したら、とりあえずアクシデントの因子を探すようになりました。

ルーティンを変えてみる
小さなアクシデントが発生した場合は、大きな改善はせずに、ひとまず今の暮らしを微調整するために、ルーティンを変えてみることにしています。

今回列挙した、小さなアクシデントに対してですが、指を切ってしまったアクリル板の角には、何かしらの防御するグッズを取り付けたら解決するはずですが、状況としてはマルチタスク中だったので、マルチタスクを減らそうと思います。
また、母が天ぷらを落とした件ですが、なるべくテーブルを広く使えるように改善すると同時に、パックで購入したモノは、買ってきた状態のまま放置せず、必ず器に移しておくことにします。
傘立ての件は、まだ手を付けていませんが、傘は別の場所に移して、杖だけを立てておくことを検討しています。
そして、私がモノを落としがちな件は、ひとまず自分の行動をゆっくり振り返って、何か余計な行動をしていなかったか、不要なモノが近くになかったかなどを、探していきます。

アクシデントは暮らしと気持ちのバロメーター
いくつかのアクシデントをとおして、暮らしの小さなルーティンや思い込みを変えると、上手くいくことが多いです。
変え方を間違えると、また違うアクシデントを引き起こしますが、何度か繰り返していくと、必ず改善します。
ということは、今までとりあえずは何も起こらなかったけど、ベストな暮らしぶりではなかったのでしょうね。
また、アクシデントが起こらなかった期間は、もしかしたら心身ともに安定していた可能性があります。

普段どおりの暮らしをしているつもりでも、環境や気持ちの変化で、普段どおりが普段どおりではなくなることもあるのでしょうね。
普段どおりができなくなったら、それは今の暮らしを少しでもいいから変えましょう、という、違う自分からのメッセージなのかな、と思います。

もし、小さなアクシデントが短い期間で頻発するようであれば、それは完全に何かを変える必要があるのだと思います。
それが何かは、わかりません。
もしかしたら、掃除の仕方かもしれないし、洗濯の仕方かもしれないし、朝のルーティンを変えることかもしれないし、夜のルーティンを変えることかもしれない。
もっと極端なことを言えば、仕事を思い切って転職してみるとか辞めてみるとか、毎日していることをいっそ放棄してみるとか、逆に今までしなかったようなことを試してみるとかも、考えられます。

ただ、1つだけ私が言えることは、小さなアクシデントほど、放置してはいけない、ということです。
大きなアクシデントは、誰でも改善策を探しますが、小さなアクシデントは、まあいいか、と思うことの方が多いです。
しかし、その小さなアクシデントこそマメに改善していくことが、暮らしを楽しくするし、充実させることができる方法なのだと思います。
今は見えていない問題点は、小さなアクシデントが教えてくれている、そう思います。


小さなアクシデントは、自分一人の問題ではなく、家族も関わっていることが多いので、なかなかうまく付き合っていくことができませんが、せめて自分が改善できることだけは、きちんと対応していきたいです。
今後は、母も思いどおりに行動できなくなることが増えるでしょうから、その時は母の行動を改善させるのではなく、まずは自分が臨機応変に行動していくことを、心がけたいと思っています。