工工四には「稲まづん節」と書いてあります。
稲真積とは、豊作で倉庫に収納しきれなかった米を、稲穂の状態のまま、稲の穂先を内側にして円柱状に屋外に積み上げて保存する方法とのこと。このことは、柳田国男氏の「木綿以前の事」という本に書かれてますね。この本によると、昔は沖縄のみならず日本の南北の広い範囲で同じ方法があったとのこと。まあこれは、この方法が全国に伝わったというより、みんな似たようなことを考えるというパターンなのかもしれません。
私がまだ小さな頃(昭和30年代)、北陸の田舎ではそれに似た風景が当時はまだ残っていて、たしか、もうその時代には先端の稲穂は付いてなくて、稲ワラを保存するために存在していたのかもしれませんが、その中が空洞になっていて、小さな子供が一人入れいるくらいのスペースがあり、当時、私が中に入って遊んでいて、親戚のおじさんから叱られたのを覚えてます。
稲真積とは、豊作で倉庫に収納しきれなかった米を、稲穂の状態のまま、稲の穂先を内側にして円柱状に屋外に積み上げて保存する方法とのこと。このことは、柳田国男氏の「木綿以前の事」という本に書かれてますね。この本によると、昔は沖縄のみならず日本の南北の広い範囲で同じ方法があったとのこと。まあこれは、この方法が全国に伝わったというより、みんな似たようなことを考えるというパターンなのかもしれません。
私がまだ小さな頃(昭和30年代)、北陸の田舎ではそれに似た風景が当時はまだ残っていて、たしか、もうその時代には先端の稲穂は付いてなくて、稲ワラを保存するために存在していたのかもしれませんが、その中が空洞になっていて、小さな子供が一人入れいるくらいのスペースがあり、当時、私が中に入って遊んでいて、親戚のおじさんから叱られたのを覚えてます。