ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

魅惑の昼〇メプレート

2022-02-08 15:51:08 | 雑感
いつも仕事がない日は家でのんびり気ままに過ごしていたのですが
最近はコロナの影響で夫の在宅勤務が増え、
せっかく仕事が休みでも夫が家にいる…という日がほとんどでした。

今日は久々に夫の出勤日と私のオフの日が重なりました。
私はこの機をとらえ、一人でランチをしようと思い立ちました!
本当はお友達にも声をかけたいところなのですが、
コロナなので自粛し、ささやかなお一人様ランチを楽しむことに。

どこに行こうかな・・・♪♪♪
この前行って楽しかった平日昼限定のコ〇ダプレートにするか、
ショッピングセンターまで出かけてスープ〇トックで期間限定のスープを食べるか、
駅前にあるインドカレーの専門店でほかほかのナン付きカレーを食べるか!
最後の最後まで決められず、そのまま家を出たところ
コ〇ダ珈琲店に向かう交差点の信号がたまたま青になったので
そのままコ〇ダに向かいました。

コメチキつきにするか、コメチキなしにするかでまた迷いましたが
今日はお腹の調子がやや悪かったので、なしにしました。
飲み物は前回と同じ、ミルクコーヒー(豆乳に変更)のレギュラーサイズ。
普段は読まない女性誌をめくりながら、のんびり一人ランチを楽しみました。

またこの機会が訪れるのはいつになるかな?
私のささやかな息抜きになっています。


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老いの坂道

2022-02-08 10:15:06 | 雑感
昨年の夏に受けた手術は、特に大きな問題もなく、今も元気に暮らしているので、「成功」と言ってよいのではないかと思う。
ただ、私には少しショックなことがあって、それは、手術前の体と今の体の形が、少し変わってしまったことだ。
元気ならいいではないかとも思うけれど、体の形が変わって戻らないというのは、それはそれでさみしいことだ。

これはきっと、大きな病気や手術をした人が感じている思いと、共通するところがあるのではないかと思う。
例えば、ストーマを作るとか、シャントを作るとか、
それで元気になれればいいと、周りの人は考えがちだけれど、
体の形が変わってしまい、元には戻らない。

形や機能が少しずつ失われて、元とは違う状態になったとき、
そこには乗り越えなければならない心理的な壁がある。
それはその人が、一人で向き合わなければいけない壁だ。

(話は逸れるけれど、よく少年漫画で、
主人公が戦いでボコボコになり、回復して前より強くなる・・・というエピソードがあるけれど、
それはあくまでフィクションであり人が抱きたいロマンであって、
実際にはボコボコになるたびに機能が失われて弱くなると思う。
炭治郎は蝶屋敷に入院するたびに弱くなっているはずだ。心はともかく体は。
未来のある少年たちにはなるべく怪我や病気をせずに過ごしてもらいたい)

私はここ数年、病気のほかにも、目が見えにくくなったり、
手が動かしにくくなったりして、
体の機能が少しずつ衰えていくのを感じている。
いずれも、元には戻らない衰えだ。

小さな衰えが少しずつ積み重なっていって、形や機能が失われていって、
私という個体が外界と繋がれなくなったときに、
「死」を迎えるのだと思う。

思い通りにならないことも増えて、やり場のない怒りと悲しみで、
イライラしてしまいそう。
若い人に対するやっかみも出てくるかもしれない!

私はできれば明るく、伸びやかなお年寄りになりたいけれど、
なれるかな。


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意味付け

2022-02-08 09:30:25 | 雑感
一連の出来事を一つの視点からまとめて語ろうとするとき、
幾通りものパターンが可能だ。
この記事を書くときもそうだし、
最近受けた就職面接で、「志望動機」を語るときもそう思った。

うまくいったように語ることもできるし、悲劇的な味付けをして語ることもできる。
どういうトーンでまとめるかは、いつも迷うところだ。

どのようにまとめるかは、その人の性格傾向も大きくかかわってくると思う。
似たような出来事を経験しても、明るい話として受け止める人もいるだろうし、深刻に受け止める人もいるだろう。
また、自分をどのように演出したいかによって、語る内容を変えることもできる。

私は、何らかの出来事に遭遇したとき、自然な感情が沸いてくるより先に、「はて、この出来事は、どのように受け止めたらいいのだろう?」と考えてしまうことがよくある。
どういう風に受け止めて、どういう意味付けで消化したら、自分の人生が豊かになるんだろうと考える。そして、色々な意味付けをして、一つにまとめられなくなることがある。自分にとってどういう出来事だったのか、わからなくなってしまうのだ。

そう考えると、「過去を書き換える」という作業は、それほど難しいことではないのかもしれない。
(注:経歴を詐称するということではありません!)
嫌なことがあっても、その経験から得られたことに注目したり、そもそもその嫌なことに重きを置きすぎたりしなければ、辛い過去も、その後の人生に活きたとまとめることができるように思う。

私はどちらかというと、過去については、ネガティブな経験ばかり思い出す傾向があるけれど、楽しかったことを拾い出して連ねることもできそうな気がしている。過去を明るいトーンに書き換えれば、これからの人生も変わってくるような気がしている。

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