ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

神様の孤独

2022-02-15 09:10:56 | 仕事
私はこれまでの人生で何度か、目が覚めるほど賢い人に遭遇したことがある。
マツコ・デラックスさんによると、人が自分の力を上回る人に出会ったときに取る行動は、
こき下ろすか崇め奉るかの二択だそうだ。
叩いて自分より下だと思い込もうとするか、
戦意喪失して礼賛するかのどちらかということらしい。

私にとって、聡明さは美しさとほぼ等しく、
賢い人に接すると、精緻なアラベスクを目にしたときのように体が震える。 
思いがけず神様に出会ってしまったような感動がある。

以前の職場の上司が、神様のように賢い人だった。 
私はその人の下で働いていると、自分がサルかチンパンジーになったように感じた。
努力してもたどり着けない次元があるということを、
私は肌身で感じることになったのだ。

凡人の私が神様の力を説明するのは難しいのだが、例えばこういうことだ。
普通の人ならAだからB、BだからCという風に論理を展開するところ、
その人は一足飛びに、AだからDでHだみたいな話し方をする。
聞いている方は何が何だか分からない。

取りあえずメモをして持ち帰り、後からじっくり検証すると、
その人が言っていた通り、AからDを経由してHに至る道筋がようやく見えてきて愕然とする。
額に汗が滲んで足が震える。
その人にとっては自明のことが、私は時間をかけて順を追わないと理解できない。
脳の規格が違うのだ。

その人の神がかった頭の良さは、仕事仲間の間でも評判で、「神」とか「天才」とか言われていた。

一方で、私は別の意味で驚いたことがある。
入社して間もない新人が、「あの人、本当にできるんですか?私には抜けてる人にしか見えないんですけど…」とコメントしていたことだ。
その新人によれば、その人のメールには誤字脱字が多いし、
連絡の抜けも多いと言うのだ。
事務方のサポートがあってようやく成り立っているということらしい。

新人が言っていたのは、いわゆる事務処理能力の正確さということだと思う。
いやいや、そういうレベルの話じゃないんだよと私は思ったが、黙っていた。
こう書くといかにも偉そうだけど、私はそのとき、人のすごさというのは、
ある程度、評価する側にも力がないと分からないということを学んだ。

山の上から下の景色を眺めることはできるけれど、
麓から頂上を仰ぎ見ることはできない。

新人には失礼だけど、そう思った。

自分がチンパンジーに感じられるのは惨めだけれど、
逆に神様の方は、周りがチンパンジーだらけで孤独を感じるのではないかと思うことがある。
チンパンジーばかりで話が通じない。本音を言うと嫌みだと言われる。
好きになった人が、話してみるとやっぱりチンパンジーだと分かって落胆する。
これはこれで大変そうだ…。

ちなみに、その神様のように賢い人は、
周りに理解されずに孤独で地味な人生を送ったかというとそうではなく、
ニューヨークのウォール街で成功し、
今はプール付きの豪邸に住んでいらっしゃいます。

神様の心配をする必要はなかった。


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