catch - 22。どっちを選んでも後悔しそうな2択。
辞書で調べると
(矛盾する規則・状況による)金縛り状態(catch-22 situation);不条理な状況,ジレンマ.
と出てくる。
catch-22は細美武士さんのブログから引用している。
偶然なんだけれど、今日私が書こうとしていたことが
この言葉で見事に言い当てられている。
もちろん細美さんはこれは震災後の町にボランティアに行って
そこでの体験から出て来た言葉なんだけれど
私は、今日は真田暎人という
私がもう何年も素晴らしいアーティストだと
信じ、今もそうだと思っている人について
今更ながら、改まってではあるけれど、
あえて書きたいと思った。
真田暎人氏は大阪の摂津市の出身だ。
どのような生い立ちとか
そんな詳しい事は知らないし、
まあ「ライ麦畑でつかまえて」の
ホールデンの言葉を借りるなら
そんなことどうでもいいんだ。
彼が今日本のどこかで唄っているってことが
大事なんだもの。
ただ、私も大阪に住んでいたり
大阪で仕事をしていたりしたから
おそらく同じ風景も見ていたと思う。
だからか、
彼が大阪在住中に書かれた歌詞には
大阪の風景が見えてくる。
たとえば
♪人を詰め込み過ぎた鉄道が橋を渡ってく
知らない人同士 こんなに集められたもんだなあ
(「白い朝」より)
もちろん、これが大阪の風景なんて
誰も言ってないし、ご本人からも聞いてない。
でも、私には淀川にかかるいくつもの鉄橋を
過ぎ行く電車が見えたんだ。
♪バスがほらあんまり大きなクラクションを鳴らすから
言おうとしてた夢「なんだっけなぁ」
(「手の中の未来」より)
なんだか、これは千里あたりのバスターミナルかなとか
思ったりして。
まったく違って東京だったりしてね。
でも別にいいじゃんって(笑)
私はJet Kelly時代の真田暎人って言う人が
とてつもなく好きだ。この頃の作品は
いつもまっすぐに彼の意思が明確に
前に向かっていたから。
彼は彼自身のために書いていた。
誰のためとか
仲間のためとか
そんなこと
おそらく彼は思ってなかったんじゃないかな。
すべては自分が書きたいから。
自分自身のために。
少しもブレない芯がそこにあって
それがとても頼もしく、
本当にすべてが新鮮だった。
Jet KellyがTOKYO DROPになって
それからまもなくJet Lily Starになって
そして、去年それは終わりを迎えた。
その終わりにおそらく近い頃
真田暎人氏が作った歌に
「孤独の星」という曲がある。
♪明日に世界が終わっても
庭に林檎の木を植えよう。
明日も僕らは笑ってる
くだらない冗談の中で
この歌詞には彼のある意味
哲学があるのかなって思うんだ。
彼は明日が必ず来るとは思っていない。
だからこそ、今を笑わなくちゃって。
今何か行動しなくっちゃって。
そして、それはなんでもないことでいいって。
こういう歌があった。
♪日々の向こうに僕はいざ笑う
見知らぬ町へ伝えにいくんだ
始まりの言葉
流れているモノにただ負けぬように
見知らぬ人へ聴かせにいくんだ
こんなギターソロ
(「日々の向こうに僕は笑う」)
あなたの始まりの言葉は
またやってくるのかな?
Jet Lily Starがまだ健在の時代に
あなたはここをしっかりと
ホームベースとしていたよね。
UESAは課外活動のように
私自身は感じていたんだ。
決して同じバランスであったとは
思えない。
だからこそ
しっかりとまっすぐ届く「yes」のような
名曲が生まれたんだと思っている。
君は安心してホームベースから
ホームランを打つことができたんだもの。
チームメイトが見守る中ね。
そして、今
真田暎人という人は本当のところは
どうなんだろう?って思うんだ。
ここに
catch-22って言葉が繋がる。
UESAの歌を聴いていると
どうしても自分のために作っているようには
思えない。昔のようにはもう無理なのかな?
自由に誰かのことを考えずにのびのびと
自分のために書けないのかな?
かつてレミオロメンの藤巻さんは
自分のために歌を書いていた。
そこで生まれた名曲のひとつが
「ビールとプリン」だと思う。
ところが「粉雪」あたりから
彼は人のために歌を作るようになった。
もちろん、それで大ヒットで国民的
バンドになったんだ。
でも、何かが薄まって
何かが消えた。
私はとってもとっても悲しかった。
万人に向けて書く事の意味って何なのか?って
思った。
私はあなたの書いた超個人的な出来事に
自分の日常のひとひらを重ね合わすことで
なんだかすごく温かい気持ちになれたのにって。
薄まった日常になんて何の思いも寄せられない。
っていうような葛藤から少しずつ藤巻さんは
私から遠くなっていった。
真田暎人氏は以前は自分が作った曲はまっすぐ
一本道の向こうへ放って行けばよかったんだろうけれど
今は道は2本あって、どっちへその曲を進ますか
いったん立ち止まるのだろうか?
もし、そういうのがあるのなら
すごく残念だし、道を一つにできないものかと
思ってしまう。
でも、それはまたcatch-22になってしまうんだよね。
どっちの道を選んでも必ず後悔が残るように
もうなってしまっているものね。
でも、後悔したっていいじゃないかって
思うんだ。
今すぐにその道は選べないだろうけれど
いつか選ばないといけない日が来た時には
「後悔上等!」って感じで
背筋を伸ばして、バイバイしてほしいんだ。
どっちを君が選ぶのかわからないけれど
私は真田暎人という人の才能をとことん
最大限に活かせる環境を音楽の神様に
切に願っている。
なんだか今はソロでライブやっている時が
一番自由なあなたが見れるような気がする。
正直、ぜんぜんライブを見ていないのに
どうしちゃったんだろうね。私は(笑)
人のためじゃなくて
自分のために作ってほしい。
もちろん、
家族とか
恋人とか
大事な人たちのために作る個人的な歌は
素敵だ。
そうじゃなくて、
「こういうのをやったら皆あるいは女の子のファンは喜ぶだろう。」
みたいなのはいらないんだ。
あなた自身が一番愛せるそんな曲をどうぞ作ってください。
ユニットでやっているUESAだけれど
「Where is love」には昔のように
自分のために書いている真田暎人氏が見えた。
だからこの曲が好きなんだ。
そして、細美氏が言うように
「どんな選択をしても、
必ず少しでも明るい未来につながるようにするために、
自分たちにできることはなんだろう。」
それが歌を通して証明できるといいね。
これからもくりかえしくりかえしあなたの曲を聴いて
人生をまっとうするだろうけれど
これから先、
あなたの音楽があなたに嘘をつかないように
心から祈り続けます。
こんなにも
こんなにも
真田暎人氏の歌が好きだから。
辞書で調べると
(矛盾する規則・状況による)金縛り状態(catch-22 situation);不条理な状況,ジレンマ.
と出てくる。
catch-22は細美武士さんのブログから引用している。
偶然なんだけれど、今日私が書こうとしていたことが
この言葉で見事に言い当てられている。
もちろん細美さんはこれは震災後の町にボランティアに行って
そこでの体験から出て来た言葉なんだけれど
私は、今日は真田暎人という
私がもう何年も素晴らしいアーティストだと
信じ、今もそうだと思っている人について
今更ながら、改まってではあるけれど、
あえて書きたいと思った。
真田暎人氏は大阪の摂津市の出身だ。
どのような生い立ちとか
そんな詳しい事は知らないし、
まあ「ライ麦畑でつかまえて」の
ホールデンの言葉を借りるなら
そんなことどうでもいいんだ。
彼が今日本のどこかで唄っているってことが
大事なんだもの。
ただ、私も大阪に住んでいたり
大阪で仕事をしていたりしたから
おそらく同じ風景も見ていたと思う。
だからか、
彼が大阪在住中に書かれた歌詞には
大阪の風景が見えてくる。
たとえば
♪人を詰め込み過ぎた鉄道が橋を渡ってく
知らない人同士 こんなに集められたもんだなあ
(「白い朝」より)
もちろん、これが大阪の風景なんて
誰も言ってないし、ご本人からも聞いてない。
でも、私には淀川にかかるいくつもの鉄橋を
過ぎ行く電車が見えたんだ。
♪バスがほらあんまり大きなクラクションを鳴らすから
言おうとしてた夢「なんだっけなぁ」
(「手の中の未来」より)
なんだか、これは千里あたりのバスターミナルかなとか
思ったりして。
まったく違って東京だったりしてね。
でも別にいいじゃんって(笑)
私はJet Kelly時代の真田暎人って言う人が
とてつもなく好きだ。この頃の作品は
いつもまっすぐに彼の意思が明確に
前に向かっていたから。
彼は彼自身のために書いていた。
誰のためとか
仲間のためとか
そんなこと
おそらく彼は思ってなかったんじゃないかな。
すべては自分が書きたいから。
自分自身のために。
少しもブレない芯がそこにあって
それがとても頼もしく、
本当にすべてが新鮮だった。
Jet KellyがTOKYO DROPになって
それからまもなくJet Lily Starになって
そして、去年それは終わりを迎えた。
その終わりにおそらく近い頃
真田暎人氏が作った歌に
「孤独の星」という曲がある。
♪明日に世界が終わっても
庭に林檎の木を植えよう。
明日も僕らは笑ってる
くだらない冗談の中で
この歌詞には彼のある意味
哲学があるのかなって思うんだ。
彼は明日が必ず来るとは思っていない。
だからこそ、今を笑わなくちゃって。
今何か行動しなくっちゃって。
そして、それはなんでもないことでいいって。
こういう歌があった。
♪日々の向こうに僕はいざ笑う
見知らぬ町へ伝えにいくんだ
始まりの言葉
流れているモノにただ負けぬように
見知らぬ人へ聴かせにいくんだ
こんなギターソロ
(「日々の向こうに僕は笑う」)
あなたの始まりの言葉は
またやってくるのかな?
Jet Lily Starがまだ健在の時代に
あなたはここをしっかりと
ホームベースとしていたよね。
UESAは課外活動のように
私自身は感じていたんだ。
決して同じバランスであったとは
思えない。
だからこそ
しっかりとまっすぐ届く「yes」のような
名曲が生まれたんだと思っている。
君は安心してホームベースから
ホームランを打つことができたんだもの。
チームメイトが見守る中ね。
そして、今
真田暎人という人は本当のところは
どうなんだろう?って思うんだ。
ここに
catch-22って言葉が繋がる。
UESAの歌を聴いていると
どうしても自分のために作っているようには
思えない。昔のようにはもう無理なのかな?
自由に誰かのことを考えずにのびのびと
自分のために書けないのかな?
かつてレミオロメンの藤巻さんは
自分のために歌を書いていた。
そこで生まれた名曲のひとつが
「ビールとプリン」だと思う。
ところが「粉雪」あたりから
彼は人のために歌を作るようになった。
もちろん、それで大ヒットで国民的
バンドになったんだ。
でも、何かが薄まって
何かが消えた。
私はとってもとっても悲しかった。
万人に向けて書く事の意味って何なのか?って
思った。
私はあなたの書いた超個人的な出来事に
自分の日常のひとひらを重ね合わすことで
なんだかすごく温かい気持ちになれたのにって。
薄まった日常になんて何の思いも寄せられない。
っていうような葛藤から少しずつ藤巻さんは
私から遠くなっていった。
真田暎人氏は以前は自分が作った曲はまっすぐ
一本道の向こうへ放って行けばよかったんだろうけれど
今は道は2本あって、どっちへその曲を進ますか
いったん立ち止まるのだろうか?
もし、そういうのがあるのなら
すごく残念だし、道を一つにできないものかと
思ってしまう。
でも、それはまたcatch-22になってしまうんだよね。
どっちの道を選んでも必ず後悔が残るように
もうなってしまっているものね。
でも、後悔したっていいじゃないかって
思うんだ。
今すぐにその道は選べないだろうけれど
いつか選ばないといけない日が来た時には
「後悔上等!」って感じで
背筋を伸ばして、バイバイしてほしいんだ。
どっちを君が選ぶのかわからないけれど
私は真田暎人という人の才能をとことん
最大限に活かせる環境を音楽の神様に
切に願っている。
なんだか今はソロでライブやっている時が
一番自由なあなたが見れるような気がする。
正直、ぜんぜんライブを見ていないのに
どうしちゃったんだろうね。私は(笑)
人のためじゃなくて
自分のために作ってほしい。
もちろん、
家族とか
恋人とか
大事な人たちのために作る個人的な歌は
素敵だ。
そうじゃなくて、
「こういうのをやったら皆あるいは女の子のファンは喜ぶだろう。」
みたいなのはいらないんだ。
あなた自身が一番愛せるそんな曲をどうぞ作ってください。
ユニットでやっているUESAだけれど
「Where is love」には昔のように
自分のために書いている真田暎人氏が見えた。
だからこの曲が好きなんだ。
そして、細美氏が言うように
「どんな選択をしても、
必ず少しでも明るい未来につながるようにするために、
自分たちにできることはなんだろう。」
それが歌を通して証明できるといいね。
これからもくりかえしくりかえしあなたの曲を聴いて
人生をまっとうするだろうけれど
これから先、
あなたの音楽があなたに嘘をつかないように
心から祈り続けます。
こんなにも
こんなにも
真田暎人氏の歌が好きだから。