2010年2月20日(土)の京都MUSEでのこと。
ライブ前に私や何人のファンの方が開場待ちで外でぶらぶらしている時に
渡會さんがほぼすっぽり顔を隠して、下向きな感じで横を通り過ぎて
街中へ出て行かれた。
その時、その背中になんだかいろんなものを背負っているように
見えたんだ。ちょっと胸騒ぎを感じた。今はそれがなくなってよかった!
私はそこで新曲を2曲聞いた。
その時のブログから引用したのが下記だ。
「1つは途中までなのか
あれで完結なのかわからないけれど
まるでステックス(アメリカの大御所バンド)の
パラダイスシアターの最初みたいな感じで
チャプターが始まる感じで。
群青色の空と
白鷺の色のインパクトが
頭に残った。
素敵な曲。
もう一曲は真面目に愛を歌った曲だということ。
偶然なんだけれど、以前に新曲の存在なんて知らずに
フォズのTwitterに「日々溺れそうだから、フォズのライブで息つぎ」
という内容の返信をしたことがあった。
それの答えのような「溺れる」っていう言葉が入っているその歌で
まさに私は水面に引き上げられた。
しっかり息つぎができたよ、このライブで。」
2曲目の方は「slow flicker」と確かタイトルも言ってくれていたと
思うんだけれど、1曲目の方はわからなかった。
初っ端に演奏された曲だったし、
初めて聞くって思ったんだけれど
結局、タイトルを知る術はなかった。
群青色と
白鷺を頭の中でイメージして
その風景を思い描いていた。
あの曲はどこへ行ったんだろう?
オーダーメイドアルバムの曲にも
この歌詞は無かったし。
なんだったんだろう?って
ずっと思っていた。
そして、今回の「NEW WORLD」を聞いて、
その中で「Strike the sun」を聴いた時、
涙がドバっと溢れて来た。
これだ。これだったんだ。
あの日のあの曲はって。
ちゃんと存在していたんだって。
この後に続くFanfareもおそらく
その時に演奏されていたのだろう。
1つの曲として受け入れていた気がする。
「組曲 白鯨」
彼らがクラシックにまでに至るのは
ごく自然の流れのような気がする。
ただ、どこのどの時点で渡會さんがクラシックを
聴こうとしたのかは、どこかのインタビューできっと
話されているんだろうけれど、私は知らない。
でも、竹尾さんが好きなリッチー・ブラックモアも
愛する音楽家にバッハをずっとあげていたし、
ハードロックバンドのギタリストは意外と
クラシックを聞いているんだ。
そこからヒントを得て、彼らのギターの演奏に
その要素を取り入れている。
ブラックモアズ ナイトなんて
へたするとクラシックコンサートっぽくなりそうな時もあったと思う。
私が大好きで子どもの頃聞いていたQueenだって、
フレディ・マーキュリーは子どもの頃からクラシックピアノの教育を受けて
それを彼らのロックと融合させて、唯一無二のロックオペラを作り上げた。
クイーンが休止中にはフレディは本格的にクラシックのオペラ歌手と
共演して、その分野で活躍していた。
「バルセロナ」という曲はすばらしかった。
私が大好きなKATE BUSHだって、やっぱりクラシックの教育を受けて来た人で
アルバムはコンセプトアルバムになって、彼女の場合は小説のようになっていた。
プログレッシブロックとジャンル分けされてきた
イエス、エマーソン・レイク&パーマー、キングクリムゾン、ピンクフロイド、ジェネシスなども
まさにクラシックとロックを融合させている。不思議とこれらはイギリスで生まれていて
やはり歴史のある国だからこそ生まれるのかなって思った。
アメリカではその後スティックスとかはこの遺伝子を受け継いでいるように思ったし、
今も活躍中のドリームシアターなんかもそうだと思う。
「オシュグッド」という曲が本当に全身で好きだ。
曲の始まるインストから、もうやられる。
「ふと6小節」という言葉から始まるのも
絶対に渡會さんだけにしか書けない言葉だよね。
ほんと感動する。
この歌詞にはガーファンクルとかディランとか出てくるけれど
演奏的にはクイーン風なところもあるし、ディープパープル風なところもある。
いろんな70年代80年代のロックが注入されているんだけれど、
すべてをFoZZtoneの音楽で見事に消化して、彼らの音楽にしているところが
涙が出そうなくらい素晴らしい。
乗り物じゃなくて
馬が走っているような疾走感が
いろんな風景を思い出させて
私の五感を刺激する。
それは主にイギリスなんだけれどね。
懐かしい、私の大好きなイギリスのにおいや
草木のつゆやカサカサ葉を揺らす風なんかを
本当にリアルに思い出させてくれるんだ。
イギリスの海岸近くの町で
海を見ながら風に吹かれて
「そろそろ、日本に帰ろうかな」って
思った瞬間の自分を思い出したんだ。
実は当時は「いつ日本に帰る」っていう予定は
何も経ってなかった。とにかく、自分が納得できる時まで
いたいと思っていた。帰りのチケットは1年間有効だったけれど
日時は未定だった。その時にたれ込めるイギリスらしい灰色の雲の下
海の向こうに「日本」があって、そこには何か、あるいは誰かが
待っていてくれるんじゃないかっていう(家族以外でね)そんな
感覚がしたんだ、ある一瞬に。そして、帰ることに決めた。
この曲をイギリスで聞きたいと思う。
渡會さんがイギリスに行った事があるかどうかは知らない。
でも、一度は行ってほしいと思う。
彼の書く音楽がどれだけイギリスの風景と重なり合うかを
実際に感じて欲しいと思う。
「missing mass」というほぼインストナンバーがあるけれど
ここにある言葉のひとつ
「Super nova」超新星
このタイトルで私は2人のアーティストを思い出す。
1人は細美武士
もう1人は真田暎人
ふたりともこのタイトルの歌を作っている。
つい最近の細美氏のブログに「超新星の爆発により地球と我々が生まれた。」
というようなことが書かれていた。
いわゆる私たちは星屑でできているそうだ。
超新星を懐かしく思うのは赤ちゃんがお母さんのお腹の中を懐かしく
思っているんじゃないかと思う感覚と似ているのかもしれないね。
なんだか「super nova」って何かがまた始まるっていう
合図のような気すらしてしまう。
私はまさか日本のロックでこんな素晴らしい「組曲」が
聞けるなんて想像もしてなかった。
海外の人たちにも聞かせてあげたいなぁ~。
今の時代はどの国でもこんな音楽に飢えている気がするから。
1つ1つ丁寧に作り上げて、一切のごまかしのないアルバムに。
このアルバムが私の心を満たしてくれるものであるゆえに
まだまだ書きたいことはいっぱいだけれど、
また次に書こうと思う。
ライブ前に私や何人のファンの方が開場待ちで外でぶらぶらしている時に
渡會さんがほぼすっぽり顔を隠して、下向きな感じで横を通り過ぎて
街中へ出て行かれた。
その時、その背中になんだかいろんなものを背負っているように
見えたんだ。ちょっと胸騒ぎを感じた。今はそれがなくなってよかった!
私はそこで新曲を2曲聞いた。
その時のブログから引用したのが下記だ。
「1つは途中までなのか
あれで完結なのかわからないけれど
まるでステックス(アメリカの大御所バンド)の
パラダイスシアターの最初みたいな感じで
チャプターが始まる感じで。
群青色の空と
白鷺の色のインパクトが
頭に残った。
素敵な曲。
もう一曲は真面目に愛を歌った曲だということ。
偶然なんだけれど、以前に新曲の存在なんて知らずに
フォズのTwitterに「日々溺れそうだから、フォズのライブで息つぎ」
という内容の返信をしたことがあった。
それの答えのような「溺れる」っていう言葉が入っているその歌で
まさに私は水面に引き上げられた。
しっかり息つぎができたよ、このライブで。」
2曲目の方は「slow flicker」と確かタイトルも言ってくれていたと
思うんだけれど、1曲目の方はわからなかった。
初っ端に演奏された曲だったし、
初めて聞くって思ったんだけれど
結局、タイトルを知る術はなかった。
群青色と
白鷺を頭の中でイメージして
その風景を思い描いていた。
あの曲はどこへ行ったんだろう?
オーダーメイドアルバムの曲にも
この歌詞は無かったし。
なんだったんだろう?って
ずっと思っていた。
そして、今回の「NEW WORLD」を聞いて、
その中で「Strike the sun」を聴いた時、
涙がドバっと溢れて来た。
これだ。これだったんだ。
あの日のあの曲はって。
ちゃんと存在していたんだって。
この後に続くFanfareもおそらく
その時に演奏されていたのだろう。
1つの曲として受け入れていた気がする。
「組曲 白鯨」
彼らがクラシックにまでに至るのは
ごく自然の流れのような気がする。
ただ、どこのどの時点で渡會さんがクラシックを
聴こうとしたのかは、どこかのインタビューできっと
話されているんだろうけれど、私は知らない。
でも、竹尾さんが好きなリッチー・ブラックモアも
愛する音楽家にバッハをずっとあげていたし、
ハードロックバンドのギタリストは意外と
クラシックを聞いているんだ。
そこからヒントを得て、彼らのギターの演奏に
その要素を取り入れている。
ブラックモアズ ナイトなんて
へたするとクラシックコンサートっぽくなりそうな時もあったと思う。
私が大好きで子どもの頃聞いていたQueenだって、
フレディ・マーキュリーは子どもの頃からクラシックピアノの教育を受けて
それを彼らのロックと融合させて、唯一無二のロックオペラを作り上げた。
クイーンが休止中にはフレディは本格的にクラシックのオペラ歌手と
共演して、その分野で活躍していた。
「バルセロナ」という曲はすばらしかった。
私が大好きなKATE BUSHだって、やっぱりクラシックの教育を受けて来た人で
アルバムはコンセプトアルバムになって、彼女の場合は小説のようになっていた。
プログレッシブロックとジャンル分けされてきた
イエス、エマーソン・レイク&パーマー、キングクリムゾン、ピンクフロイド、ジェネシスなども
まさにクラシックとロックを融合させている。不思議とこれらはイギリスで生まれていて
やはり歴史のある国だからこそ生まれるのかなって思った。
アメリカではその後スティックスとかはこの遺伝子を受け継いでいるように思ったし、
今も活躍中のドリームシアターなんかもそうだと思う。
「オシュグッド」という曲が本当に全身で好きだ。
曲の始まるインストから、もうやられる。
「ふと6小節」という言葉から始まるのも
絶対に渡會さんだけにしか書けない言葉だよね。
ほんと感動する。
この歌詞にはガーファンクルとかディランとか出てくるけれど
演奏的にはクイーン風なところもあるし、ディープパープル風なところもある。
いろんな70年代80年代のロックが注入されているんだけれど、
すべてをFoZZtoneの音楽で見事に消化して、彼らの音楽にしているところが
涙が出そうなくらい素晴らしい。
乗り物じゃなくて
馬が走っているような疾走感が
いろんな風景を思い出させて
私の五感を刺激する。
それは主にイギリスなんだけれどね。
懐かしい、私の大好きなイギリスのにおいや
草木のつゆやカサカサ葉を揺らす風なんかを
本当にリアルに思い出させてくれるんだ。
イギリスの海岸近くの町で
海を見ながら風に吹かれて
「そろそろ、日本に帰ろうかな」って
思った瞬間の自分を思い出したんだ。
実は当時は「いつ日本に帰る」っていう予定は
何も経ってなかった。とにかく、自分が納得できる時まで
いたいと思っていた。帰りのチケットは1年間有効だったけれど
日時は未定だった。その時にたれ込めるイギリスらしい灰色の雲の下
海の向こうに「日本」があって、そこには何か、あるいは誰かが
待っていてくれるんじゃないかっていう(家族以外でね)そんな
感覚がしたんだ、ある一瞬に。そして、帰ることに決めた。
この曲をイギリスで聞きたいと思う。
渡會さんがイギリスに行った事があるかどうかは知らない。
でも、一度は行ってほしいと思う。
彼の書く音楽がどれだけイギリスの風景と重なり合うかを
実際に感じて欲しいと思う。
「missing mass」というほぼインストナンバーがあるけれど
ここにある言葉のひとつ
「Super nova」超新星
このタイトルで私は2人のアーティストを思い出す。
1人は細美武士
もう1人は真田暎人
ふたりともこのタイトルの歌を作っている。
つい最近の細美氏のブログに「超新星の爆発により地球と我々が生まれた。」
というようなことが書かれていた。
いわゆる私たちは星屑でできているそうだ。
超新星を懐かしく思うのは赤ちゃんがお母さんのお腹の中を懐かしく
思っているんじゃないかと思う感覚と似ているのかもしれないね。
なんだか「super nova」って何かがまた始まるっていう
合図のような気すらしてしまう。
私はまさか日本のロックでこんな素晴らしい「組曲」が
聞けるなんて想像もしてなかった。
海外の人たちにも聞かせてあげたいなぁ~。
今の時代はどの国でもこんな音楽に飢えている気がするから。
1つ1つ丁寧に作り上げて、一切のごまかしのないアルバムに。
このアルバムが私の心を満たしてくれるものであるゆえに
まだまだ書きたいことはいっぱいだけれど、
また次に書こうと思う。