一病息災
昔からこの日本には健康管理について一つの考え方(もしかしたら哲学)がある。これは何か一つ持病があるとその病を介して健康に注意するので長生きするということである。筆者も現在一病以上の病をもっている。それらはみんな相互に関連していることが最近理解できたような気がする。若いときには、精力的に徹夜の仕事を続けてきた。疲れを和らげるために過剰の栄養をとる日々が続いた。その結果、20歳代の体重65Kgだったのがたちまち85Kg 以上に増えてしまった。それでも40歳代までは健康に気を遣うこともしなかった。当時受けた人間ドックでブドウ糖負荷検査を受けるようにという通知を受けた。その結果、血糖値の消費が遅いので食事に気をつけ適度の運動をするようにと注意された。しかし、仕事に熱中するあまりそれらの注意を無視する状態が続いてしまった。50代後半になって職場が変わった際に再び人間ドックで検診を受けた。その結果、体験入院が必要であるということが告げられた。筆者は血糖値が高いということがそんなに重大なこととは知らなかった。
その後、体重減量と繰り返し戦いながら現在に至っている。目標体重まであと10Kg になった。これからもがんばっていくつもりである。
筆者は学生時代に、A香港57型というインフルエンザに罹患したことがある。高熱が出てまさか死ぬことなどとは考えなかったが、大変なことだとは思った。数日して熱も下がり、講義に出てからワンゲルの部室へいった所、これからアップザイレンの練習をするという。校舎の屋上の脇に立っている煙突の頂上からザイルを使って地上まで降りるというものである。筆者の順番になって煙突の上に立ちザイルを身体につけて降下を始めた。が、途中で身体に悪寒が走り動くことが出来なくなってしまった。先輩や同級生に助けられてほうほうの体で地上へ降りることが出来た。悪寒は止まらず、直ぐ帰路についたが、途中でたまらず電車を降り、タクシーで家に着き直ぐに近くの医者へ行った。
診療時間には少し時間があった。そのとき対応してくれた看護婦(当時の呼称)が「あなたと同じように再発した人が数日前に心臓麻痺で亡くなっているのよ.気をつけなくちゃね」といったものである。後で聞くと亡くなったのはかなり高齢の方だったらしい。筆者はその一言で自分も心臓麻痺で死ぬのかと想像した。それ以来、筆者は心臓ノイローゼになってしまい長い期間通学できなくなってしまった。医者は心臓の機能障害はないので全くの健康状態であるという。新学期が始まっても通学できず、両親に随分迷惑をかけてしまった。
4月も終わりに近くなってワンゲルの友人が、大学へつれて行くから一緒に行こうと誘いに来てくれた。帰りも一緒に帰るというので大学へ行った。ところが帰る時刻になるとその友人は、急に用事が出来たので一人で帰ってくれという。一人で外を歩くのが不安でたまらなかったが、がんばって帰宅することが出来た。翌日からは一種の自己暗示(催眠)を自分に言い聞かせて怖々大学へ行くことが出来るようになった。この友人の行為がなければ、筆者は立ち直るのが遅くなり、大学卒業も覚束なかったかもしれない。
ノイローゼと昨今流行のうつ病とは違うかもしれないが、そこから抜け出すきっかけというのは案外大したことではないのかもしれない。もちろん医者や医薬に依存することは必要なことであろうと思うが、精神的な脆さが原因ということも考えられる。自己暗示でも、座禅でも、運動でも何でもいいので精神的に強くなることを心がける必要があるのではないだろうか。
一病息災ということを考えると、身体異常にしても精神的脆さにしてもそのこととどう付き合って生活していくかを考えなければならないだろう。