寓居人の独言

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ものの値段

2011年01月07日 11時25分25秒 | 日記・エッセイ・コラム

ものの値段
 報道によると、調査の結果12月の物価は下落傾向にあるという。どういう人がどこで

何を調べるとこんな結果が出るのだろうか。いつも不思議にに思う。 筆者が学生の頃通

学路の途中に、まんじゅう屋があった。当時ふくふくまんじゅうというのが2個20円だ

ったと思う。ここで実売価格についてはあまり意味がない。筆者らは甘みに飢えていたの

で、なけなしの小遣いで授業帰りに寄って食べたものである。(ちなみにそば屋のもり・

かけが25円、ラーメンが35円であった)。しかし、しばらくすると大きさが小ぶりに

なった。仲間内でこの頃まんじゅうが小さくなったと噂に出るようになった。すると客は

現金なもので店に寄る回数がへる。店は価格を少し高くしてまんじゅうの大きさを元の状

態に戻す。するとまた、客が入るようになる。それほどこのまんじゅうは美味かったので

ある。そしてまたしばらくすると、まんじゅうのサイズが小ぶりになる。2回目になると

客はまた値上げするようだなどと話し合ったものだ。実際に1ヶ月もしないうちに価格が

上がり、サイズは元の状態に戻る。このような値上げは年に1回か2回行われる。店側に

しても苦慮の末やむを得ずこのような方法で価格を上げているのであったろう。この店の

まんじゅうのサイズと価格の変化によって、つまりは社会の物価が上昇していく様が分か

る。
 この店のような方法で実質的に価格を上げるというのは現在でも通用している。例えば、

紙容器に入っている菓子類(テッシュ紙やカップ麺等も)は、内容量が少なくなっている

が容器のサイズは同じになっている。消費者は内容量まで確認することなく容器のサイズ

が同じならそのまま購入してしまう。しばらくすると容器のサイズが小ぶりになったもの

が店頭に並ぶ。前の容器サイズのものは価格が変わっている。前の容器は、大量に作って

あるとか金型を直ぐには変えられないのでそのまま使用するなどの理由でしばらく使用す

るのだろう。まんじゅうの話は、今でも少し形体が変わっているが通用しているらしい。

 そんなことを考えると物価が上昇していないという公式発表はそのまま信じられないよ

うである。

  ものの値段というのはどうも納得がいかないものもある。特に電子機器の分野では性能

などが良くなっているのに価格が下がっている。筆者が購入した液晶TVは当時安くなっ

て18万円だったが、いまでは性能はほとんど変わらないもしかすると良くなっているの

に7万円ほどで買える。また、新機種が発売されるとそれまでの機種はかなり値下げにな

る傾向がある。

 こういったものを含めて物価下落と発表するのかもしれない。しかし、日常生活用品に

ついては、とくに昨年の秋口からの野菜の価格は驚く程値上げされている。筆者は昼の時

間帯にスーパーストアーに買い物に行く機会が週に2回程ある。店内で買い物をしてる方

は、夫婦2人連れの高齢者が多い。その人達の購入状況をそれとなく見ていると、例えば

一玉88円のうどんと2玉入りで172円のものがあるとほとんどの1人は2玉入りのも

のを購入する。購入する店を選ぶのも必ずチラシをもってきていて比較している様子を見

かける。国民年金だけの収入で生活している方は、夫婦2人で12万円程の収入だから日

常生活の居住場所や光熱水費そして健康医療費等を除外すると、2人で1日当たり100

0円くらいの支出しかできない計算になる。つまり1食あたり170円程になってしまう。

 上記のような状況を知ってか知らずにか不明であるが、いわゆる識者の人たちは、新聞

などで消費税の値上げを肯定する発言をしている。政府も今は発表しないが、収入の2倍

以上の支出を予算編成に盛り込んでいるので、こんなことが長く続けられるなど全くおか

しいのであるが、借金をして凌ぐという習慣みたいなことが行われている。近い将来国の

財政は破綻することは明らかであるから、いずれは消費税上げに言及するだろう。若者に

将来の安定を保証できず、高齢者に苦しい生活を余儀なくさせている状況で国家収入を増

やさなければ医療や年金事業が破綻するなどといって消費税を上げようと策定する。その

議論の前に、なぜ、国家支出の減量が出来ないのだろうか。徹底的な人員削減と予算の切

り詰めを行ってから消費税に言及してほしいものである。政府は企業の生き残りをかけた

経費削減方法を是非とも学んでほしい。