寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

映画「禁断の惑星」の思い出

2015年09月01日 11時53分36秒 | 日記・エッセイ・コラム

 古い話で恐縮ですが、60年ほど前に「禁断の惑星」という 

映画を見たことを思いだしました。時々ふっと昔のことを思い

出してしまうのです。

 この映画を見た時、私は何故かわからないけれども人間の

恐ろしさを感じたものです。

 植民惑星で何が起きていたのか。宇宙植民ロケットが不

時着し、乗組員が次々と殺されていく。それはまるで「そして

誰もいなくなった」という小説のようだ。最後に残ったのはそ

の惑星に着陸した後で誕生した船長の娘と船長の2人だけ

になってしまった。そこへ救助隊が到着した。

 しばらくすると救助隊の隊員も次々と殺されていくようにな

った。救助隊の隊長は危険を前にして早くこの星から退去

するべきだと判断した。

 しかし、殺人者の正体を調べる必要があった。 やがて

殺人者の正体が明らかになった。

 正体は娘を熱愛するあまり娘を他人にとられないようにと

思う父親の心の奥の深いところの無意識の意識が怪物を

作り出してしまい、それが暴れ始めたという次第だった。

 詳細は映画(レンタルショップにあれば)を見てほしいと

思う。

 結論は、救助隊が娘を連れて地球に戻っていった。

 私が、この映画を見たとき人の意識のずーっと奥に本音

があるのだということを知ったことです。それは自分にも

分からない世界なのかも知れません。

 蛇足ですが、人間は言葉を使うようになったことで本音を

隠すようになり、そのためにたくさんのストレスを背負い込

むことになったのではないのかと考えるようになりました。


何でもやってみるものですね

2015年09月01日 11時32分05秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、(太平洋)戦争を語り継ぐ会というところで私の体験した

昭和20年3月10日の東京大空襲についてお話しをさせていた

だきました。

 その後いろいろな方から過分なお言葉をいただき恐縮してい

ました。話を聞いてくださった方が、偶然にも同じ国民学校にい

らしたことがわかり、近日中にお会いして当時の様子を話し合

うことになりました。

 その方は私の住んでいた蛎殻町よりももっとひどい被害を受

けたところにお住まいだったようで清澄庭園へ避難して助かっ

たということでした。当時清澄庭園周辺には大きな倉庫が立ち

並び、私の家でもその倉庫の一つに家裁道具を疎開しておきま

した。3月12か13日に荷物を受け取りに行き、ほっと一息つい

た2,3日後に清澄庭園周辺が空襲に遭い焼けてしまいました。

 私の家族は1時本町の従兄の家に厄介になっていましたが、

葛飾区柴又のほうに貸家を見つけて移ったと思ったら本町の家

が空襲にあって焼けてしまいました。ほんの2,3日ほど早く行動

していたおかげで 幸いにも家族が欠けることなく無事でした。

 しかし多くの方々が106回に及ぶ東京空襲で犠牲になりました。

その方々のご冥福を今でも祈っています。黙祷。