1955年、米軍立川基地の拡張計画が明らかになり
予定地域な愛の住民が反対同盟を結成した。この人
たちに労働組合員が支援した。そんなことが起きて
いることを全く知らなあい私は、1956年大学に入学
した。
大学生も砂川支援に駆けつけようと学内で盛んに勉
強会を開いていました。授業開始時刻を少し遅らせて
もらってクラス討議をしている最中に、数人の自治会
役員と称する人たちが入ってきて話を始めました。
クラス委員が今討論中だから出ていくように要求し
ましたが、彼らは話を中止しませんでいた。そこで全
員で取り囲んで教室から追い出し、討論を続けました。
結果は、全員で行くのは個人の考え方があるから止め
て任意で行くことになりました。クラスの半数近くの
学生が砂川へ行ったと思います。
そして、1956年10月の闘争では千人を超す負傷者が
出たが、予定地の地権者23人が買収を拒否し続けたまし
た。私も1回だけ砂川へ行きました。何処からこんなに
たくさんの人が集まってきたのかと驚いたほどものすご
い数の人たちが集まってデモ行進をしていました。この
紛争は約10年ほど続きましたが、1968年に米軍が基地
拡張を中止し、さらに翌1969年日本政府も閣議で拡張計
画を中止を決めて拡張計画は終焉を迎えました。その後
立川基地は1977年に全面返還されました。
これが私が初めて参加した学生運動でした。そして一
般市民が結集して行動し、政府の計画を阻止した歴史的
な事件になりました。
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