1960年代後半になると安保闘争の尾を引いた形で
学生運動盛んにが始まりましたね。この騒動では、初
期には今思うと目的がはっきりしないことやこんなこ
とを言うと叱られかもしれませんが思想闘争の様子は
見えませんでした。何か付和雷同といった形で学生た
ちが集まって騒ぎを始めた感じでした。もちろん騒動
の中心になった大学では何かの目的で教授会メンバー
と交渉していたようです。
やがていろいろな団体同士の勢力争いの様相を呈し
てきました。そんなある日、校内のエレベーター前で
一人に学生を十数人で取り囲んでつるし上げていると
ころに出くわしました。暫時様子を見ていると取り囲
んでいた多数の学生が中の学生に対して足蹴にしたり
おかしなことに体のあちこちをつねったりしているの
に気が付きました。中の学生は悲鳴を上げ、壁を掻き
むしっていました。壁はその学生の血糊のついた爪痕
がたくさん付いていました。さすがにその光景を見逃
すことができず私は学生の間に割って入り中の学生を
救出しました。周りの学生がぶつぶつ言っていました
が、これ以上はやり過ぎだと言って説得しました。
暴行を受けていた学生は後に全共闘系の団体に入っ
ていることがひょんなことからわかりました。
そんなことがあって私は封鎖されていた校舎にとが
められずに出入りすることができました(苦笑)。
研究室に入っても仕事をできるわけではなかったの
ですが、危険な薬品は見つからないように避難してあ
りましたが万が一持ち出されてないか心配もありまし
たので時々は研究室へ入りました。薬品は持ち出され
た様子がなかったのが幸いでした。
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