ぱらぱらと索引に目を通すうちに、亀井勝一郎さんの奥さま 亀井 斐子と名があり、句があった。
「戦ひを聖しと言ひし此の国の遂に破るる時にぞ会ひし」
欄外には 一億総懺悔について記されている。 昭和20年、初めて東久邇宮皇族内閣が成立。陸海軍の交戦派を皇族の権威で抑え、全国民の「承詔必謹」を求める意味もあったとみられる。
首相は8月28日記者会見し、国体護持、敗因の究明を強調した。とくに敗因については、国家体制の動脈硬化と国民道徳の低下とを掲げ、「全国民総ざんげをすることが、我が国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩であると信ずる」と述べた。 「私の記録」 ここから一億総懺悔という言葉が流行することとなった。(原田)
史上最短の54日内閣。
番組の中de, Mr.San ill-humourously expressed the same political situation in today's recent Fukushima problems,which should be the repent and severe
opinion must not be carried out again like those day's late decision (why it was late ) about the defeating.
沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ 斎藤茂吉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B9%85%E9%82%87%E5%AE%AE%E5%86%85%E9%96%A3
陸軍中野スパイ学校 この名前を知ったのは、沖正弘 さんが肉声で講義の時に語った?それとも雑誌で読んだ?ずいぶん昔のこと。彼がその一人だったのは、
研修生から漏れた声だったかもしれない。落下傘から無事に地上に降りる話など、思い出した。 道場に入ったのも、日光湿疹の悪化だったりもしたけれど、強烈な印象の場所だった。
本当のことが見える人に思えた。