習い事 ああ勘違い
声を出してみようかと体験やら見学やらを行った。が、用意しておいて私だと知らせ、[何処にお住まい?」と近場に尋ね、
「汚くてごめんなさい」と講師に投資を始めたり、
講師は受講生がスターでもあるかのような舞台を備えるかのような計画を告げる。その速さダッシュ。
もうもう、この手のお決まりは「ち」など用意する前から実のところ、経験している。
というわけで、何の感激も覚えないどころか、見えた反応に屈辱感すら覚えてくる。何度となく繰り返されると、閉口するのは自然だと思うけれど・・・
どれほど経っている。わかってないみたい。どうどうと生きているけれど。
久しぶりにメロディーに体が乗ったけれど、その前の手配とアクションとには、いささか閉口し、ここに吐いた。
塀の内「か」を放送メディアで固定シンボル化させた塀の外「か」と良き悪しきにつけ、周辺の問題がこの実態にある。物事の二面性か多面性。なかなか処理が
難しい。
舞台上に上がる行為をとにかく喪失時期から周囲が行い続けてきたけれど、こちら側が喜ばなければ施した相手はうさん臭く反応を示す。
「良いように受け取る」とは、なかなか難しいものです。
講師はその裁量を発揮するならば、選択権を提示するのは余裕があって好ましいでしょう。予定もあるでしょうしねえ。ふ~ん。