for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

父のユーモア

2021年04月21日 20時25分11秒 | 日記

二つ覚えている。
「人にできない難しいのがある。
蜘蛛の巣をつくるのと、坊主が髪を結うこと。」

だなんて、確かにそうだとは思ったが、後の方は確かにユーモアだ。
自分を菊池寛だ、なんて、それ風貌を言ったの?武田信玄の末裔だとか言われて、家紋を調べたけれど、何にも関係なかった。受け狙いだっただろうけれど、聞かされても歴史にうとかったのです、はい,小学生。

まだテレビを買う前だったが、裕福な家ではテレビがあって、当時力道山のプロレスに大人もこぞってよその家に見にでかけただろう。
きっと私は言ったかもしれない。
「うちにはどうしてテレビがないの?」
「アメリカに注文したから、今頃は船で海を渡っている」とか言われて、信じるしかなかったねえ。

が、テレビは電気屋さんが届けた。炊飯釜と洗濯機も顔なじみの電気さんが運んできた。
電気が働いてお米を炊くんだって~ 私は炊飯釜にお米と水を入れたところ、
「お米は人間がとがなくちゃならないんだよ」と電気屋さんは笑いながら言った。電気が全部してくれると思ったのだけれどね、小学生。

(凍瘡にもかかったそうだ。見事にぼろぼろのすっからかん。タンスに蛇の抜け殻を忍ばせていたのが、今になってよおく理解できる。)

歳を経て男の更年期では「鶏みたいにすぐに物を忘れる」と言って、いつも母を怒鳴っていた。怒鳴られれば、覚えられないのに決まっているじゃない!
でも、鶏の仕草をうまくつかんでいるねえ。

小学生の頃だっただろう。古い家に住んでいた頃に母に言われて一升瓶を抱えて逃げ回り、部屋の暗がりに潜んだこともあった。父とお酒の捕り物ごっこだ。

脳梗塞をおこし、言葉がうまく操れなくなり、可愛そうだった。母には甘えていたのだろう。だから感情をもろに吐いていた。(知人も父が涙を流していたのを私は聞いている。)クルミを幾つか手の中で動かして、殻の角もとれていた。

言葉を操れないのを自覚して、「豚が飛んでいる」と、口から出てしまった途端にそれでも、照れ隠しをして脚を揺すっている風な仕草もあった。

私が学生の頃は、冬場には、肌むき出しで皮膚も傷ついていた。寒いからと心配されたり、部活からまだ帰ってこないか、と冬の夕暮れ時、面の路まで出て待っていた。と、私は部活をやめたこともあった。

歳を経てまあるくなった。父と母は逆転し、母が父をちゃらかすのもときどきあった。それも嬉しがっていた。

パバチャン、どんなもんだね?聞こえた~ 嬉しい? 
今度はどんなお土産かね~ひさしぶりに楽しみにしているわよ~!
(集まりに行くたびに茶菓を食べずに紙に包んでポケットに入れて家に持ち帰り、母が包み紙の中でくずくずになったのを見つけたそうだ。)

内輪の故人の話やどうでもない話が罪がなく、和むように感じているのだが・・・



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