同じことを語る羽目になる。 個人の全てをメディア登場・創作者が記憶し、知るはずもなく、お勝手に繰り広げているからだろう。
上手にはなったけれど、まだまだの担当先も多いに見受けられる。
「ぐちや失敗を描けば会員には喜ばれるだろう」、それが、長老たちに寄せた私自身の謙虚さだった。
当時の会の多くの長老や会をヨイショして(わびしく感じられたから)道化まがい姿勢も多分にあった創作ではあったけれど、
最終的な製本の段階に本名で出版するように言われて、そのように行った挙句が、メディア旋風だったから、頼りになる声を聞きたかった。 確かに、名編集長でもある。
(弁護士3人にあって、「早くやめなければ・・」との声も届き、そのとおりに講師にアクションし、直接の担当者の耳に届いたと、私にも返ってきた。ひとりだけ若かった?
I was also a so-to-be called ' an instructor' who was given to write some book review and corrections of a pre-publishment, and
my name had been printed on the social papers introducing the assembly's ads and so on.
I had kept the valuable receipts of my job, which might have been used as a tie of people (?).
But later I phoned to delete it . Why so? A misty sudden famous instructor was suffered from surrounding cuorisity
simply becaue of being a widow, when I had got a job outside . )
4人目の弁護士に会った時には、望まれた「ち」の原稿を手渡す直前だった。きちんと声が返ってきた。それが、退会表示と決意。
留保金以上のウワズミ額が後に請求された出パンでもあった。
で、執筆と出版に費用がかかったのに、売上の報酬は? 皆無。 とんでもない、無駄蘆ともいえるのは、出版したこと自体が私にとって
実際、益に働いただろうかと思われるほどの視聴率かせぎ(?)の現状が未だに多々みられるからだ。 でも、励まされたし、助けられたのだろう。これも、二面性を示している。
が、見聞を広めることは多いに有意義で、たのしく甲斐がある。 いまだに間違いをシに見つけるけれど、 何にも変えられないほどの私ひとり誇る成果でもある。
「ああ、今ご飯を食べるところなの。 今帰ってきたところよ」と、いちおうにあちこちでこだまする。
一億 金縛り化現象会話 本当に繋ぐだろうか
渋谷の路上では、こんな会話が後ろから届いた。「編集に責任があるわよねえ・・」 なんの話題でしょうかねえ。
Who will agree to get some bit after spending a billion, or willl it succed to the future proper stage, I wonder.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます