オランダの歴史について、写真や絵がついた本を読んでいたところ、日本語になったことばが記されていた。
wikiで調べると、こんなことばも、というほどありました。
コブレンツから急行に乗り再び車窓からライン川を眺めながら中央駅に向かっていた。
旅行客だから現地の座席についても無知なのには仕方なかったけれど、どうやら私は他人の区間指定席に座っていたようだ。それなのに、そばでチケットを握っていたご婦人に、「まあ、私よりも
年長だわ、どうぞ座ってください」などと言っていた。
元のスペースで、「ピクニック気分だわね」「でもここがいちばん見晴らしがいいじゃない」とユーモアに乗じてくれるとドイツ婦人と
会話していると、「あなた、来なさい」と声をかけた婦人がいた。 「ドイツのシステムについてわかっていないわね、あなたはここに座れるわよ」と伝えてくれた。
私は指定席の指示をドイツ語で理解していなかったからだった。周囲には、ゆうゆうと独り占めしている客もいれば、席もなくてまだ空きスペースに1時間以上も座っているアラブ人もいた。
(荷物を上にあげれば、他の人が座れるじゃない)と悠然としている若い乗客を見ては、怪訝だった。
中央駅から電車で2,30分すると、地方のローカル駅であるかもようなクロンベルグという駅に着いた。車内にいた客も数えるほどで、ここにお城のホテルがあるだろうかと心配するほど寂れた駅だった。
雨も降っていて、タクシーも呼ばなくてはやってこない。通りかかったバスドライバーに訊ねたけれど、待っているうちにタクシーを捕まえることができた。(ホテルにどうして連絡しなかったのだろう。)
ゴルフコースがお城の周囲にめぐらされ、宿泊者が楽しんでいた。
8月25日ときどき小雨も混じり、今10月20日に綴るような気温だったでしょう。戸外の空気を浴びながらお茶を楽しむには、いささか寒く、8月という夏のイメージは
、アジア人の私には多少の忍耐加減も必要で、部屋の中で遅いランチを注文すると、メニューが異なった。 お城ステイは、夏場のハイシーズンにかぎるのだろう。
馬屋
書庫を覗くと、住んでいた過去の人物がそこにいるかのように、当時の息が感じられそうです。
フレンチは、物足りなくて・・・選び方の問題でしょうか。現地の魚で、衣の歯ごたえ具合は数センチの身でも楽しめたけれど、野菜食材の姿も見えず、歯ごたえに堪えないのには、なんとも食べた気がしなくて満足とは言えなかった。・・・・・写真付きではない活字のメニューに、どんなお皿が運ばれてくるかわからず、後で説明されても、「そうですか」と返し、有無も言えないから、仕方がありません。生クリームを隠し味ベースに効かせたような味に思われた。 「たくさん食べられないから」のひとことがこうした結果になったのかもしれません。コーディネーターが決め上手だったけれど、ARAMA! 因みに、ディッシュの皿以外は、店の心付け。とはいうものの、旅行中に家庭料理を食べていれば、こうした感想も生じなかったのかもしれません。外食は、日常から捉えた非日常エンタメ要素を楽しむ場であるかもしれません。
次回は、自分の好みをきちんと、わかるように伝えよう。 食材の旨味をひきだす温かい料理が食べたい、とか。お洒落にすれば、全てがオフレンチとみなされるのは、どうも好かないのが私の本音でもある。
まあ、懐石料理も旅行者にはおフレンチバージョンに見えるかもしれませんが。
家でできそうもない料理の食事を摂りたいけれど、これも多分に懐相談かもしれない。ただ、代価に見合った満足料理に、どこで遇うでしょう。時たま出かけるお店を思い出していた。
周囲を歩いて楽しめる。
I brrowed a book [ 世界の名建築分解図巻」
I watched pages of the book and am enjoying to see details of some architectures.
But 細部はいつどのように作られたのでしょう。 室内あるいは、室外に設置するのに、どのように行ったでしょう。
木枠に張り付けられているように見えたり、漆喰にくっついているように見えたりします。彫刻? パテ? けれど素人にはわかりません。
世界遺産に登録されている建築物を別の視線で描き出せないでしょうか。
日本の建築物にしても、中国の明の建築物にしても、素材と環境、技術などわかると、より身近になり、新たな観光遺産と生活財保護にもなれるのでは。
作った当時とは、変わっているのも、見どころですが、それをCGなら描けると思うのです。 どれくらい当時に近づき、当時の人の物の見え方まで迫れれば、面白いです。
私たちの歴史ですね。
本、ないでしょうかねえ。
5月頃から旅の計画を立てているうちに、ストックホルムからさて、次は、と交通機関を探しながら考えあぐねていた。
帰りの飛行機はフランクフルトなので、ハンブルクやブレーメンに寄りたかったけれど、結局は、フランクフルトに飛んでしまった。
フランクフルト駅の案内書で行動予定を見せて、適当なチケットを相談して購入した。日本が抱える社会問題と同じように、高齢者に優しいものを見つけました。
このSOSに声を出すと、プラットフォームに行かなくても連絡が取れるようです。が、部署に人がいるかどうかは、見えませんが。
宿泊は、中央駅から一駅にも関わらず、裏庭にはウサギがいて、グミのような果実をつけた樹木がたわみ、日頃見かけることもなくて、カメラで追ってみた。脚がはやい、速い。茂みにぴょんぴょんと、
こちらのカメラか足音に気づいたのだろう。ドイツのグミは何も利用されないのだろうか。韓国を思い出した。
フランクフルト自体は、それほど大きな街ではなくて、ホテルの供給が必要だそうです。
歩いている時にも街の一角から、クレーン車やシートが掛けられ、工事だとすぐにわかります。
旧市街を歩き、旧オペラ座の彫刻を見ては、「ああ、この国では女性が認められている」と、ひとり感嘆したのです。
そして、歩行者・バギー・自転車・自動車・電車とそれぞれの交通路が整理されていて、自然と大いに一体になれる環境が整備されているようです。
絶景の場所では、「すばらしい」と日本語が口から飛びだし、「ヴンダフル」とドイツ語を知る。 ガイドさんはとてもユーモアと機転が利く中年男性だった。
「マダム、私は経験しているからわかります」そう、一文を放ったのだった。 生粋のドイツ人でもなさそうに思われたので、訊ねると、チトー政権の国からやってきたそうだ。首に右手を平にかざしたりなどしたっけ。
アメリカから来た参加者や、クウェートからやってきた家族もいて、軽食を一緒にとり、おしゃべりを楽しみ、新しいことも知った。
クウェートからツアーに参加していた家族から気温差を聞いて、軽い冗談を・・・「そんなに気温が違うと、風をひいてしまいますね」と、まさに、「本当ですよ、でも快適です」と。家族の小学生男児は笑い続けていて、受けたんですね!
節電はなさそうで、どこもエアコンが設備されているようで、日本も親睦を繋いでいるのだから、その発展が期待されているに違いない。
その後、コブレンツに電車で出かける。 ライン川沿いの散策路。 川沿いにそってお洒落な家並みが続いている。(写真は3Dでどう張り付けるか、ピクチャーファイルはすぐに張り付く)
とても気持ち良い。
太い木に記されたのは、Rで、ライン川を示すそうです。
皇帝が存命の頃からの樹木だと思うと、感慨深いです。
朝、太極拳を行っているグループがいました。
コブレンツからケーブルを使って反対側に行ったものの、雨が降り出し、帰りは雨宿り。それでも傘なしで歩く人もいる。
大かたの旅行客は雨にあっただろう。アウトドア用の帽子とゴアテックスを身につけていたけれど、雨宿りするほどだった。80代の5,6人のグループが場所を訪ねて歩いていた。私よりも無残な姿で雨を体に浴び、夏服は体に張り付いていた。あの年齢で、大丈夫だろうかと心配してはいたけれど、道行く人に当たり、急いでいるようだった。
近くのホテルに避難し、やってきた自動車で宿泊先に向かい、5分もすると、荷物を置いた部屋のホテルに着いた。古いホテルならバスタブつきも十分備わっているのだろうけれど、わざわざリクエストしていたのに、到着するや、「備わっていません」との声だったので、雨の後、シャワーをあびることになった。小さな咳に気づき、朝型お湯が欲しいとお願いしたが、7時前だったので、「7時からです」とお休み中宣言をされた。 事情を話しても、受け付けてもらえなかった。ホテルのスタッフは終日館内にいただろう。「疲れていた」も、彼女の言い分だったかもしれない。 昨日の観光客はずぶ濡れだった。現地人が語る「温かい雨」が旅行客にどれほどかは知りようもないが・・・
翌朝、ライン川沿いに向かって再び歩いた。
早朝、はやくも歩きだすグループあり。朝、見かけたコスプレ(?)男性!? お祭り?宿泊先の反対側には、教会がある。
レンタルバイクサービスがあり、昨日ホテルの手配で利用しただろう返却自転車をトラックで回収し、ホテルから積み込んでいた。だから、早朝のレンタルバイクは叶わなかったのだと、わかった。