リュステム パシャはクロアチア出身だそうだが、幼少時に連れてこられ、コンスタンチノープルでデウシルメ(強制教育)され、出世。スレイマンⅠ(大スレイマン)の娘と結婚し、宰相に任命。大変な財(賄賂他)を築き、1563年にミマール シナンによりモスク建造が完遂。
リュステム パシャのモスクは混雑したバザーの通路にやっと見つけた入り口。建物の外に出れば、バザー沿いに繋がっている。スルタンではなかったので、敷地はなくて、財は内部装飾に費やされたとか。
スレイマニエ モスク 建物のスタイルは写真のようで、そのうちに、写真と名前の一致に自信が持てなくなってくる・・・・
スレイマンはトラブゾンに生まれ、7歳の時に母親が死去し、デウシルメ(改宗し、教育)という制度により徴用される。父、セリムⅠを継ぎ、即位。歴史家によると、若者いころから、アレクサンダーを理想としていたらしい。上記 リュステム パシャと嫁いだのは娘のミフリマ。
1970年、ドイツ人画家により描かれた大スレイマンと妻のフルラム(フルラムは描かれたように楽器を弾く、スラブ系ロシア人で、タタール人がロシアを荒らしていたころにさらわれ、宮廷でスレイマンに遣え、寵愛をうける) 氏・出生に関係なく資質を徴用していたことが分かり、古の進歩的ともとれる。これも人口・人材が財産だから自由発想だった?と! アヤ ソフィアにあり、シナンが建造したハマム(浴場)は、フルラムが関わった。 ひとりで入湯するコースを選んだけれど、それだっただろうか。アヤ ソフィアの財源。ここが、シェザーデ(王子)モスクだったか。
上記、ミフリマの王子 メフメットは知事在任中に21歳で死去。「選ばれた王子」という称号があったそうで、シナンが建造。