DANの元同僚のお葬式のあった翌日、今度は若旦那の会社の上司が亡くなった。
若旦那は会社の休みの合う連中と、朝も早よから釣りに出かけていたのだ。
普段は起きる、起きないで親子バトルを勃発させているというのに、遊びに行く日は5時台から普通に起きている。まったく、勝手なヤツ。
私がウォーキングに出ていた最中にメールが入った。
「上司が亡くなったので喪服を出しておいて」と。
ええ、ええ、何でもさせていただきますわ!
ところがそれっきりなかなか帰ってこない。
琵琶湖沿いの道路が混みこみだったとかで、家に帰ってきたのが7時からのお通夜の20分ほど前だった。
どたばたと着替えして、日焼けで赤くなった顔はどうしようもなく、お通夜の会場に駆けつけ、10時頃に戻ってきた。
スーパーのいろいろな取り扱い商品の(青果・精肉・鮮魚・日配など)・・・若旦那にとっては直属の上司だったとか。
享年42歳。 小学生を筆頭に4人のお子さんがいらしたとか。
仕事中の心臓麻痺。 これって過労死なんだろうか?
きっと、誰かから仕入れてきた知識なんだろう。
「厄年やって。 やっぱり厄年ってあるんやな」
「そうだよ、男の人だと、ちょうどその頃からはっきりと中年になって、今までみたいに無理がきかなくなるよ、体の変わり目の歳ですよって、そういう時なの」なんて説明しときましたけど。
私の33歳のときはどうだったんだろう? あまりに昔過ぎて忘れたけど(笑)やっぱり、体の変わり目だったのだろうと思う。
それにしても、私は迷信や言い伝えと言ったものをそれほど細かく覚えてもいないし、そんなに気にもしてないつもりなのに、厄年ときくと、ああ、それもありかな、なんて納得するほどには大人になった(??)
若旦那が数えで25歳の時、初詣の厄年表のようなものやら、神社からの厄除け祈祷の葉書も届いて、そんなに高くつくものでもないし、気持ちやから・・と神主さんにお祓いをしてもらった。 あの時、若旦那、あんまりいい顔してなかったのよね。
でも、実際、こんな風に厄年の上司の急逝を知って、お祓いに行っといて良かった、だなんてのたもうた・・・。 そう、あなたは母親の事を時々小バカにするけれど、たまには年長者のいう事も聞いておくもんよ・・・と、これは喧嘩になりそうなので飲み込んだ。
若旦那は会社の休みの合う連中と、朝も早よから釣りに出かけていたのだ。
普段は起きる、起きないで親子バトルを勃発させているというのに、遊びに行く日は5時台から普通に起きている。まったく、勝手なヤツ。
私がウォーキングに出ていた最中にメールが入った。
「上司が亡くなったので喪服を出しておいて」と。
ええ、ええ、何でもさせていただきますわ!
ところがそれっきりなかなか帰ってこない。
琵琶湖沿いの道路が混みこみだったとかで、家に帰ってきたのが7時からのお通夜の20分ほど前だった。
どたばたと着替えして、日焼けで赤くなった顔はどうしようもなく、お通夜の会場に駆けつけ、10時頃に戻ってきた。
スーパーのいろいろな取り扱い商品の(青果・精肉・鮮魚・日配など)・・・若旦那にとっては直属の上司だったとか。
享年42歳。 小学生を筆頭に4人のお子さんがいらしたとか。
仕事中の心臓麻痺。 これって過労死なんだろうか?
きっと、誰かから仕入れてきた知識なんだろう。
「厄年やって。 やっぱり厄年ってあるんやな」
「そうだよ、男の人だと、ちょうどその頃からはっきりと中年になって、今までみたいに無理がきかなくなるよ、体の変わり目の歳ですよって、そういう時なの」なんて説明しときましたけど。
私の33歳のときはどうだったんだろう? あまりに昔過ぎて忘れたけど(笑)やっぱり、体の変わり目だったのだろうと思う。
それにしても、私は迷信や言い伝えと言ったものをそれほど細かく覚えてもいないし、そんなに気にもしてないつもりなのに、厄年ときくと、ああ、それもありかな、なんて納得するほどには大人になった(??)
若旦那が数えで25歳の時、初詣の厄年表のようなものやら、神社からの厄除け祈祷の葉書も届いて、そんなに高くつくものでもないし、気持ちやから・・と神主さんにお祓いをしてもらった。 あの時、若旦那、あんまりいい顔してなかったのよね。
でも、実際、こんな風に厄年の上司の急逝を知って、お祓いに行っといて良かった、だなんてのたもうた・・・。 そう、あなたは母親の事を時々小バカにするけれど、たまには年長者のいう事も聞いておくもんよ・・・と、これは喧嘩になりそうなので飲み込んだ。
昔の人はうまく考えたものですよね。 その年齢というのは丁度一生懸命働いてきて、身体のどこかに無理が掛かってくる頃だってことを知ってたんでしょうね。
僕らの方では厄年も然ることながら前厄後厄と言って、その前後を気をつけなさいと言います。何事も油断が大敵ということなんでしょうかね。
京都も前厄・本厄・後厄・と3年間はなんとなく
注意するように言われますね。
で、翌年の『お礼参り』
この言葉聞くたび893さんを思い浮かべる・・・。
それにしても、42歳って、若すぎますよね。
夜更かしをし過ぎて、ちょっと眠い朝です!
それでなくとも、「春眠暁を覚えず」なのに・・・。
ウチの田舎でも、厄年の人たちが集まって「合同厄払い」があります。
町を出ている人も、たいていその日には帰省して参加しますし、式典後には、クラス会をして旧交を温めます。
ちょうど、青年期から壮年期、老年期と変化していく変わり目のときなのかもしれません。。。
どうでもいいことは言ったとおりにならないのに肝心なことに限って言ったとおりになるから調子に乗るし。
「お母さんの言うことは絶対だから」とかうぜー。
喧嘩にはならんけどね。
俺は「あっそ、はいはいよかったね」で流すし。
ウチの研究室のボスも去年厄年で、尿道結石とか大腸にポリーブ(だったかな?)とか色々トラブル起きてましたよ。
コレなんですよね。
倅を持った母親の共通点は。うちの女房とそっくりです。
なんだかんだと言いながら、結局は言われた通りになってしまう。
でも、楽母さんのこの文章を最後まで読んでみて、“いろいろと不平を言いつつも結局は息子から離れられない”のが母親だと再認識しました。
男の私には理解できるようで理解できないんですよ。「もう1人前の男なのに!」と考えてしまって。
まあ、父親の愛情と母親の愛情、2種類の愛情があっていいかもしれませんが・・・。
一家の担い手のお父さんが急死なんて、辛いですね。
42歳という、数字も嫌いだわ・・語呂が悪い!
うちの夫の場合、41歳の前厄に某お寺で3500円也のご祈祷をして頂き、本厄後厄は勿論、以後毎年お正月に、家内安全のご祈祷をして貰います。中止するのが、気持悪くって!
20年位前、近所のご主人が厄年の時、おぜんざいを炊いて、
近所の人に振舞ってくれました。108個のお餅を食べて貰うって言ってましたっけ・・
私が33歳の本厄だった時、母や姑から、7色の帯締めや、伊達締めを贈ってもらいました。七色の物を贈ると良いそうで、
今は、7色のビーズ飾りの付いた、キーホルダーやストラップが
デパートに並んでましたよ。
って思うわけですが、いつまでたっても息子は可愛いものなんでしょうね。
これは仕方ないことですな。
ね。
う~ん。可愛いというより男の子は手がかかるのだ。
女の子を持った母親友にも聞くけど、女の子はしっかりしてて、自分でなんでもチャッチャとするけど、男の子はあかんたれでドン臭いんやわ。 で、手伝わざるを得ないの。それがね、はたからみれば、可愛くて手をかけているように思われがちなんだけど、私はね、強がりめいて思われるのを承知で書けば、手がかかるから、というのが本音なんだけど。