朝食をいただいた後、間を置かずして出発しました。遠くから来ている身には、大洗に滞在中の時間がとても貴重です。
まずは神磯の鳥居を拝みに行きました。これをやらないと大洗に来た意味がありません。
いいですね。この景色に接すると、大洗に居るという実感が持てます。
この日の鹿島灘は、穏やかにみえてかなりの波浪があり、砂浜に打ち寄せる海水が時に長く延びていました。風も多少ありました。
しばらく、神磯に寄せる白波の変転を眺めていました。
大洗磯前神社の大鳥居です。
参道石段を登る事にしました。
石段の途中で、泊まってきた宿を振り返りました。
石段を登り切って、鹿島灘の海原を顧みました。波がけっこう高いのがよく見えました。
石段端の鳥居です。参道石段の帰結点に位置して境内の結界を示す役割を担っています。
随身門です。
随身門の前に侍立する備前焼の狛犬です。
随身門の籠彫装飾です。
拝殿です。
干支の大絵馬は、すでに新年の酉年の図柄に差し替えられてありました。酉年は災いが起こりやすい年ですが、安寧であって欲しいものです。特に地震には備えが必須ですね。
大学時代の知人に災害考古学をやっている研究者が居ますが、彼の話によれば、日本の地震活動は、大半が過去に起きた地震の順番と近似しており、例えば江戸期の慶長三陸沖地震が起きた8年後に熊本地方で城郭などが崩壊する大地震が発生している、東日本大震災と去年の熊本地震とのケースに良く似ている、江戸期の熊本地震の6年後に広島や愛媛エリアで地震が多発し、四国中国大地震と命名されている、その8年後に神奈川で大地震が起きて小田原城下が壊滅している、ということでした。
これらは予想される南海トラフ巨大地震の想定範囲とピッタリ重なっており、去年の熊本地震から数えて6年前後ぐらいに、おそらく江戸期の四国中国大地震のような地震が予想される、ということです。
これらの地震、これから予想される地震の全てが、中央構造線断層帯エリア上にありますので、酉年のジンクスが本物であれば、大きな地震が必ず発生する、ということになるでしょう。鳥取中部地震はその前触れかもしれません・・・。
第一、茨城地方ではまだ東日本大震災の余震が断続的に発生しているわけですから、大洗でもそれなりの備えと覚悟が必要でしょう。
拝殿内では「朝拝(ちょうはい)」の儀式が行われていました。奥の本殿の戸は開かれ、神棚にはお供えが並べられ、今日一日の平和と安寧を祈する祝詞が詠まれていました。 (続く)