雑誌「昭和40年男」8月号(vol.62)は「俺たち腹ペコ世代」というタイトルで、“昔の食”に付いて特集している。当時夢中になって読んでいた漫画「包丁人味平」が紹介されている等、相変わらず懐かしい記事が多いのだけれど、“昔の給食”に付いての記事から、幾つか取り上げてみたい。
自分の世代で言えば、給食用の食器はアルマイト製が最初だった。途中からポリプロピレン製に変わった(元記事の中では、1977年から変わったと記されている。)けれど、当時は弁当箱もアルマイト製が主で、「中に入れられた梅干しのクエン酸で、弁当箱が溶ける。」という話を良く聞いたっけ。
給食で特に好きだったのは、揚げパンとソフト麺(ソフトスパゲッティ式麺)の2つ。当時、主食と言えば「米」という時代だったので、パンや麺というのが嬉しかった記憶が在る。揚げパンは1952年に、東京・大田区の小学校の給食として考案されたそうだ。自分が小学生だった頃、揚げパンを楽しみにしている同級生は多く、1週間(だったと思うが)のメニュー表が貼り出されて、其の中に揚げパンが出される日が記されていると、「〇日は揚げパンだ!」と楽しみにしていたもの。そんな好評の揚げパンだったが、出される頻度はそう多く無かった。其の理由が「給食センターや給食室の油の管理です。魚フライ(安くて、身崩れし難いメルルーサが多く使われていたそうだ。)を揚げた油で揚げパンを揚げると、パンが魚臭くなっちゃいますよね。其処で、油を新しくしたタイミングで揚げパンを遣る。そういうサイクルだったんです。」というのを、今回初めて知った。
ソフト麺も当時の子供達に好まれた給食だったが、揚げパン同様、出される頻度は高く無かった。「ナポリタンのケチャップ味は子供の大好物だが、玉葱とピーマンという概して子供達が嫌う“2大食材”が含まれている事に加え、炒めて混ぜるという手間が掛かる。」という事から、同じトマト味で、子供達自身が掛けて混ぜるスタイルのミート・ソースが尊ばれた結果、ソフト麺は生まれた様だ。自分もそうだったが、ソフト麺の上にミート・ソースを掛けるスタイルが普通だったけれど、“ミート・ソースにソフト麺を浸けるという浸け麺方式”が正しいのだとか。
パンに付けるマーガリンというのも、給食の定番だった。今では“植物性油脂”が中心だけれど、昔は“動物性油脂”が普通だった。と言うのも、現在の様に鯨を捕る規制が無く、鯨油を主成分にして作られていたので。
牛乳用調味料の「ミルメーク」、「給食で、良く出されてたよね。」と懐かしむ人も居るが、自分は給食で出された事が一度も無い。1967年発売と非常に歴史が在るけれど、全国的なメニューでは無かったと言う。ミルメークを体験した人は、少数派だったのだ。
給食費の推移も紹介されていた。埼玉県の場合、「昭和47年は『小学校:1,111円/月、中学校:1,421円/月』だが、昭和60年には『小学校:3,053円/月、中学校:3,695円/月』と、13年間で約2.6~2.7倍になっている。
実をいうと学校給食のメニュー、あまり覚えてないんです。
記憶にあるのは、脱脂粉乳、コッペパン、煮豆のシチューぐらい。
実際にはもっとバリエーションがあったはずなのに。
中学校では給食は無く、弁当持参か校内の購買部でパンを買って食べていました。
一度、本当にそれでいいのかと言う母親に無理を言って、わざと日の丸弁当(白飯の真ん中に梅干しひとつのみ)、を持って行ったことがあります。
この時はクラスメートの注目を浴びました(笑)。
脱脂粉乳、自分は飲んだ事が無いのですが、母曰く「あんな不味い物は無かった。」と。又、スープには“訳の判らない臓物”が入っていて、其れも信じられない位不味かったと言っていました。余りにも不味いので、其の臓物をこっそり紙に包み、鞄(ランドセル?)の中に入れて家に帰った所、鞄の中がとても臭くなって困ったそうです。
兎に角、其の頃の給食は「食べられれば良い。」という感じで、味に重点を置いていなかった様ですね。