高校時代、古文のM先生はみんなからとても怖がられていた。
理不尽なことを言うわけではなく、きりっとしたお人柄。
何か言われたら、自分の方が悪い。
そんなふうに思わせる厳しさなので、怖がる一方で、嫌われたり恨まれるようなことは一切なかったように思う。
なので、同窓会などで「M先生は怖かった」と男子たち(今はおじさんだけど)はそれは嬉しそうに言い合う。
M先生は、今思えば当時40歳そこそこの女性。独身だった。
「独身の女性って、かっこいいんだな」女子高生だった自分は、なんとなくそんなふうに思っていた。
古文なので、平安時代の和歌など当然習う。
「文法」「掛け言葉」などの基本を教わったのち、暗記などもさせられた。
それは、「百人一首」ならぬ「一人一首」
A君はこの一首。
Bさんはこの一首。
誰がどの歌かは、先生が決める。
その生徒はその歌を暗記して、いつ指名されてもそれを暗誦しないといけないのだ。
百首覚えるのは大変でも、「自分の一首」を暗誦することで、古文に興味を持つように、と言う思いだったのだろうか。
今になって、そんなふうに思う。
自分の一首が示されたのは、他の人の一首が次々決まった後だった。
それは小野小町の歌。
「花の色は 移りにけりな いたづらに
我が身 世にふる ながめせしまに」
花の色は色あせてしまったことよ、長雨が降り続く間に。むなしく私もこの世で月日を過ごしてしまった、物思いにふけっている間に。
なんて口語訳がよく知られている。
「絶世の美女」と言われる小野小町の一首を、地味な女子高生だった自分になぜ選んだのか。
自分には不思議だったが、でもその歌をもらって、元々好きだった古文が、より好きになった。
今では当時のM先生より随分年上になってしまった。
自分は結婚して、子どもも産んで、M先生のようなかっこいい生き方をしてきたわけではない。
10年以上前のことだが、SNSで同級生と思い出話をする機会があり、それをきっかけに先生の住所を聞いて、手紙を出した。
高校卒業後、進学して、就職して、結婚して、
子育てして、PTAやボランティアをして、音楽もして、なんて平凡な近況を精一杯書いた。
M先生は喜ばれたようで、すぐに返事をくださった。
国語の先生らしく美しい字で、「あなたの生きている様子がわかりました。変な言い方かもしれませんが、いい女ってこういうことを言うのか、と思いました」と書いてあった。
私は飛び上がるほどうれしくて、うれしくて、その思いは今も消えない。
時々思い出して、「あのM先生に、いい女といってもらった!」と、励まされている。
今も存命なのかな。
それはわからない。
でも、私の心に残るM先生の思い出は、いつまでも絶対に消えない。
心の奥深くに、思い出の灯火はいつまでも灯り続ける。