しましまのドレミ・カフェ

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花の色は

2021-05-27 21:17:00 | 学び
高校時代、古文のM先生はみんなからとても怖がられていた。

理不尽なことを言うわけではなく、きりっとしたお人柄。

何か言われたら、自分の方が悪い。

そんなふうに思わせる厳しさなので、怖がる一方で、嫌われたり恨まれるようなことは一切なかったように思う。

なので、同窓会などで「M先生は怖かった」と男子たち(今はおじさんだけど)はそれは嬉しそうに言い合う。

M先生は、今思えば当時40歳そこそこの女性。独身だった。

「独身の女性って、かっこいいんだな」女子高生だった自分は、なんとなくそんなふうに思っていた。



古文なので、平安時代の和歌など当然習う。

「文法」「掛け言葉」などの基本を教わったのち、暗記などもさせられた。

それは、「百人一首」ならぬ「一人一首」

A君はこの一首。

Bさんはこの一首。

誰がどの歌かは、先生が決める。

その生徒はその歌を暗記して、いつ指名されてもそれを暗誦しないといけないのだ。

百首覚えるのは大変でも、「自分の一首」を暗誦することで、古文に興味を持つように、と言う思いだったのだろうか。

今になって、そんなふうに思う。




自分の一首が示されたのは、他の人の一首が次々決まった後だった。


それは小野小町の歌。

「花の色は 移りにけりな いたづらに

我が身 世にふる ながめせしまに」



花の色は色あせてしまったことよ、長雨が降り続く間に。むなしく私もこの世で月日を過ごしてしまった、物思いにふけっている間に。 


なんて口語訳がよく知られている。


「絶世の美女」と言われる小野小町の一首を、地味な女子高生だった自分になぜ選んだのか。

自分には不思議だったが、でもその歌をもらって、元々好きだった古文が、より好きになった。



今では当時のM先生より随分年上になってしまった。

自分は結婚して、子どもも産んで、M先生のようなかっこいい生き方をしてきたわけではない。


10年以上前のことだが、SNSで同級生と思い出話をする機会があり、それをきっかけに先生の住所を聞いて、手紙を出した。


高校卒業後、進学して、就職して、結婚して、
子育てして、PTAやボランティアをして、音楽もして、なんて平凡な近況を精一杯書いた。


M先生は喜ばれたようで、すぐに返事をくださった。

国語の先生らしく美しい字で、「あなたの生きている様子がわかりました。変な言い方かもしれませんが、いい女ってこういうことを言うのか、と思いました」と書いてあった。


私は飛び上がるほどうれしくて、うれしくて、その思いは今も消えない。

時々思い出して、「あのM先生に、いい女といってもらった!」と、励まされている。


今も存命なのかな。

それはわからない。

でも、私の心に残るM先生の思い出は、いつまでも絶対に消えない。

心の奥深くに、思い出の灯火はいつまでも灯り続ける。







コメント (2)
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