5月3日、8日目 北海道江差町。
この日は、低気圧の接近により波高し。
午前7:00頃、江差沖に到着。
オプショナルツアーに参加の人たちは、通船で江差に上陸するも、
12:00以降の帰船は無理と判断。
急遽、「にっぽん丸」は、函館へ。
18:00入港し、ツアー客は函館から乗船することに。
21:30 函館を出港した。
船旅には、天候によっては、このようなケースがある。
私たちは、何回か訪れたことがあるので、船内で過ごすことにした。
船内から江差町を望む。
通船で江差港上陸。
船内に貼られていた江差町のポスター。
<江差町の歴史>~江差町観光パンフレットより
江差町に和人が住み着くようになったのは、
歴史上では、1189年、源義経が衣川(岩手県平泉町にある衣川館)で自刃した後、
藤原泰衡の一族がこの地に上陸(渡党)したといわれており、
北海道文化の発祥の地と呼ばれている。
江戸時代には、日本海航路の北前船による、
ヒノキアスナロ、ニシンの交易により人口も3万人を超え、
いわゆる「江戸の5月は江戸にもない」とうたわれた。
商業の町、文化の町として発展、栄華を極め、
民謡の王様といわれる「江差追分」をはじめとする伝統芸能や生活文化など
有形・無形の遺産が数多く伝承・保存されている。
また、江差沖で座礁沈没した江戸幕府の軍艦「開陽丸」が復元され、
幕末のロマンを漂わせている。
江差追分の一節
<前唄>
大島小島の 間(あい)通る船は ヤンサノエ 江差通いか 懐かしや
北山おろしで 行く先曇るネー 面舵頼むよ 先頭さん
<本唄>
鴎の鳴く音に ふと目を覚まし あれが蝦夷地の 山かいな
<後唄>
何を夢見て 鳴くかよ千鳥ネー ここは江差の 仮の宿 (実際は、かなり長い)
追分節は、江戸時代の頃から信州中仙道で唄われていた馬子唄が、
一種のはやり唄として全国各地に広まり、
越後に伝わったものが舟歌となって船頭にうたわれるになり、
やがて今から200年ほど前に北前船によって江差に運ばれてきたと言われている。
現役のころ、ちょっとだけ街づくりのお手伝いをしたことがあり、
「江差追分」全国大会を聴きに行った。
その時、懇親会の席で江差追分の名人が見事な唄を披露してくれ、
感動した素晴らしい思い出がある。
子どもの日にちなみ、船内には、こんな飾りも。
この日は、船内で船友とお茶したり、
ピアノのを弾くクルーズスタッフの指導で歌を唄ったり、
のんびり過ごした。
夜は「高橋孝民謡団」のコンサート第二夜で、
北海道・東北の民謡を楽しんだ。
津軽三味線の音色が大好き!