第283回 親の会 報告 より
2 我が子が不登校だったので
B: 現役の頃、ご自分のお子さんの不登校については、学校でお話しされておられましたか?
A: はい、管理職の頃は、我が子の事を話して「こういう学校にしていきたい」という想いを話していました。保護者と話をするときも、「自分もこうです」と話していました。
我が子がそうだったので、学校の保健室とかにも様子を見に行ったりしていました。
B: フレンズが発行した「ありがとう不登校」という本には、ある不登校経験者が「もし自分の子が不登校になったら学校は休ませる」と書いています。お子さんはご自分の不登校時代を振り返ったりされますか?
A: 高校になってからは「なんで私は学校に行かなかったんだろう」と言っていました。高校の頃、先生や学校の仲間に恵まれたと思います。
私は、中1の頃から子どもとよく話をしていました。時差出勤できたので、学校に連れて行ったりもしました。私の方からいろいろ話をしました。内容はたわいもないようなことです。不登校にならなかったら、ここまで親子で話をしなかったかもしれませんね。
友人が個人塾をしていたので、そこに連れて行ったりもしました。
進行:学校の先生だと、立場上で、我が子の不登校のことで焦りはなかったですか?
A: 焦りというか、とても心配でした。部屋から出られなかったり、壁に穴が開いたりしました。
中学生になるとき、同じ小学校から2、3人しか行かない中学に行きました。その学校で体育大会の選手決めの時、なかなか決まらない選手に手を上げてなったんですが、勝てなくて後から悪口を言われました。
小学1年の頃も、行きしぶりがあって、何回か学校に連れて行ったことがありましたが、あとはそうでもなかった。
中1で不登校になって、中2で少し変わった気もしたけど、学校には行かなかった。熊本市の「フレンドリー」に行って、友だちができたりもしました。とにかく話をしました。
C: お父さんがそういう対応をしてくれるのは珍しい気がします。もしかしたら(不登校の期間は)いい時間だったのかもしれませんね?
A: はい。子どもは母親とも会話をしていましたが、母親とはバトルがあって壁に穴が開きました。
B: 以前関わっていた学校で、我が子の不登校を経験した校長先生は、子どもの話をよく聞こうとされていました。また「妻の方が焦っていたが、『大丈夫だから』と話してきかせた」と言っておられました。
A: 私は大丈夫とは言えなかったです。仕事が忙しい頃だったから、妻に任せていたところが多かったです。
B: 「宝くじの1等があたるより、我が子が1日学校に行ってほしい」と言った先生もいました。
A: 行ってほしいとは思っていました。嫌がるのを学校に連れて行ったりもしました。でも入れず、連れ帰りました。
C: そういうことは、多くの人がやりますよね。