登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

会報 ふれんず278号より

2023-07-18 22:31:46 | 不登校についての考え

ゆるり語ろう会 特集 より

■子ども地域食堂 おうち食堂 竹ちゃんち

 代表 竹下さん (一般社団法人熊本県こども食堂ネットワーク 会長)
<自己紹介>
長崎県の小さな島で生まれ育ちました。6x歳です。6人姉弟で大勢の中で育ちました。島では、隠れキリシタンということがあって、堕胎が許されなくて、6人は少ない方で、みんな貧乏でした。波乱万丈の人生です。
島では何か行事があれば島中総出で参加して、皆で助け合って生活していました。私の今の活動にも影響があると思ってます。
勉強は嫌いだったけど、目立つことが好きで、弁論大会に2回出て、2回とも優勝して、卒業式で答辞を読ませてもらいました。
当時は集団就職が主流で、高校を卒業して、働きながら看護学校へ行き、看護士の資格を取りましたが、すぐ結婚を機に辞め、夫の職場の京都で暮らし始めました。
3人の子ができ、一番上の子が3歳になった頃、パートで近所の病院に勤め始めました。

幸い、社宅に同じ位の子どもがいる家庭が多かったので、皆で助け合いながら、協力しながら子育てができて、とても救われました。この時の経験も今役に立っていると思います。
31歳の時に夫の里の熊本に帰ってきて、仕事をしながら、大好きなボランティアを始めました。子育てサークルでお母さん達の居場所作りをして、子ども食堂へと間口を広げて行った感じです。

<居場所作り>
子ども食堂は熊本県内に何カ所あると思われますか?現在150箇所以上です。
私は今、2拠点で子ども食堂の活動をしてます。駄菓子屋カフェもオープンしました。
子ども食堂は、貧しい人に食事を提供するところではありません。子どもだけでなくお年寄りも来られて、地域のコミュニティが取れたらいいなと思ってます。地域の方の居場所だと思って頂けるといいです。

<私の思い>
私は、親支援が子ども支援と思ってます。子ども達を育てている親をしっかりサポートする事が、子どものサポートにも繋がると思います。
お母さん達に時間の余裕、心の余裕を持ってもらいたいので、困ったらすぐに相談できて、立ち寄れる場所にしたいです。
今はネットで何でも検索できる世の中ですが、いろんな方々の育児の体験とか経験の話を聴いて、役立ててもらって、そこから学んで自分の子育てに生かして欲しいです。
「幅広い世代の人達と交流をもてる場所」にしたいです。「無理をせず出来ることを出来るしこ」と思ってます。
良き時代を知ってる私達だからこそ、生き辛さを感じる子ども達に伝えていく事が大切
かなと。自分の周りにこんな居場所があるのを知って頂きたいです。
 子どもが不登校やひきこもりの生活になって家族が悩んだ時、行く場所がある、話せる場所があるのが理想だと思います。もっと理想を言えば、学校の中にそんな居場所があるといいと思ってます。学校の中に子ども食堂があるのが私の夢です。
 私がやってる活動をこれからもやり続けていくためには、地域の活動としてやらないと意味がないと思い、自治体とかに言い続けてきて、やっと少しだけ受け入れてもらえてきてる状況です。

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ゆるり語ろう会 「顔の見える支援ネットを編む」より

2023-07-10 17:21:45 | 会報「ふれんず」から

 顔の見える支援ネットを編む 

   ―― みんなで子育てするために ――


講話内容 
■一般社団法人 オルタナ 施設長 中村さん 
「家族が、ひきこもりや精神病になったら、あなたはどうしますか?」・・・私はいつもこの質問から始めています。

<自己紹介>
 省略 大切にしている言葉は「日々是新(ヒビコレアラタ)」です。毎日がお正月のように新しい、毎日が門出だという意味です。

<うつ病を発症>
 大学を卒業して営業の仕事をしていたのですが、27歳の頃急に眠れなくなり不眠に悩まされるようになりました。活発だった自分が自宅で過ごす事が増え、人と接する事が好きだったはずなのに怖くなりました。
 仕事の評価が気になってネガティブな思考になり、眠れないので朝起きれず、仕事を休みがちになりました。誰にも相談出来ず自分の中で悩む日々でした。
 30歳の頃、会社の健康診断で行った病院で初めて相談したら、精神的なものではと言われ、精神科を受診して「うつ病」と診断されました。会社は休職しました。毎日とにかく寝てばかりいました。食事も1日1食で、風呂に入る意欲もなかったです。
 家族や友人に、病気や休職している事を何も話していませんでした。隠していた方が楽だったからです。でも逆に、隠している事が凄く辛くもありました。嘘をつかないといけないので。
<ひきこもりの生活>
 約半年後に復職しましたが2日で行けなくなりました。体の震え、人への恐怖心、生きてる価値がない、情けない、笑えない、他人の幸せな姿を見て自分の不幸さを感じるような心境でした。
 結果的に辞職をしましたが、正直、気持ちが凄く楽になりました。
 医師のアドバイスで、生活環境を見直して治療に専念したらということで、実家に戻りました。
 両親は応援はしてくれましたが、理解はしてもらえてなかったです。独り暮らしの時以上にひきこもりの生活になりました。今度は部屋から出なくなりました。
 親から「体調はどうか」「いつから仕事へ行くのか」「いつまでこの生活をするのか」と聞かれて、答えるのがしんどかったからです。そんな生活が6年間続きました。

<オルタナとの出会い>
 私は無職で結婚しました。妻は良き理解者です。
 少しずつ前向きに考えられるようになった                          頃、ある相談員さんとの出会いがありました。その方もうつ病の当事者で、私にその時の体験を語って下さいました。
 その方が一緒に仕事や支援機関を探してくださったのが、自分の人生の転機になりました。
そんな中、ピアサポーターという、うつ病の当事者同士が支え合う活動をしてみませんか?と、声かけがありました。
 私はピアサポーターという言葉をその時初めて知りましたが、「自分が病気になったことを強みにして、何かできる事があるのでは」と思い、医療機関や福祉関係の仕事を探して、オルタナに出会い就職しました。
 妻が書いてくれたリカバリーのためのその日の行動のメモを持って通ったのを、覚えてます。勤めて今年で11年目になります。

<私の思い>
 私が皆さんに伝えたいのは「自分の物語を誰かに伝え続ける事で、それが自身にとって大きな一歩になる可能性がある」ということです。
 私も自分に出来ることは、人前で自身の体験を話して伝える事だと思ってやってきました。沢山の方が聴いて下さり、共感して頂き、自分だけではなかったと気づきになりました。

<対話の大切さ>
 うちの事業所には、過去に不登校やひきこもりの生活をしてた方が通って来られます。
 理由はいろんなケースがありますが、私は対話をする事に着目して、その人と話をする機会を強く持つように意識してます。「会話ではなく、対話」という考え方です。
 実際に体験された方やご家族から得る学びが、一番大事だと思います。リアルな体験談に解決のヒントがあると感じています。
 不登校=発達障がい、ひきこもり=うつ病、といったイメージが社会の中に根付いているような気がします。しかし、もっと客観視していろんな視点を持つべきだと思います。
 学校へ行く事がゴールではないし、どうすればリカバリー出来るかを、一緒に考える。信頼関係の構築が、先ずは大切だと思います。

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7月の日程

2023-07-05 19:46:17 | 不登校についての考え

Ì  日 程  Ì

大雨で、急な変更があるかもしれません。皆さま、何より安全を優先してください!!

☀ フレンズ 親の会

7月 8日()

午後 (受付1:00~) 1:30 ~ 4:00

ウェルパル くまもと 1F

あいぽーと奥 会議セミナー室 

運営委員会

7月22日(土)午後1:30〜5:00

くまもと県民交流館 9Fパレアルーム

☆フレンズ

夜の親の会

 7月28日(金)

午後 (受付6:15~) 6:30 ~ 8:30

ウェルパル くまもと 1F

あいぽーと奥 会議セミナー室 

発送作業

7月30日(日)午後1:30 ~ 3:30 

 パレア 印刷所

 

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