会報から
5 夫には責められるばかり
C母: 夫は経済的には支えてくれているけど、(子どものことでは)責められるばかりだった。今でも「予備校なんて行けるのか」と言います。
「なぜ(学校に)行かせられないのだ。お前は仕事を辞めろ」と言われました。「仕事を辞めろと言われたのがきつかった」と夫に言ったけど、だめでした。
E父: 私の場合は、妻がうつみたいになって、自分が倒れたら家族全員アウトと思って、動じないようにと思ったので、逆に妻に共感しないようにしました。その分、妻はきつかった。
E母: その分、ここで聞いてもらいました。その頃は寂しかったけど、今はそれで良かったと思っています。
E父: 「不安だよね」と言うと、そのあとは「どうしよう、どうする?」となる。子どもが自分の判断で動こうという気持ちを待ってもらうためには、妻の不安には共感しない方がよいと思いました。たぶん、妻は冷たいと思っていたと思います。
B : 奥さんの不安に引きこまれないように、お父さんも必死だったんですね。
E父: 子どもと双方向の話ができないといけないと思っていました。小さい時から何気ない会話の積み重ねをしてきました。両親とも不安を持つと、子どもも不安になる。
C母: 夫も心配はしていると思うけど、「どうにかなるよ」と言ってほしかった。
E父: 妻と娘が右往左往しているのを見ているとどうにかなりそうで、私がつぶれると家族全員病院にかからなくてはならなくて、生活がなりたたないと、腹をくくりました。
娘は熊本地震の後、文化財修復をしたいので大学に行きたいと言い出しました。3年生の夏ごろからです。学校推薦とかいろいろ調べたけど、最初めざした大学は無理だと分かって、それからネットで見たりして今の大学を知り、受験手続きをして、私たちには事後報告してきました。
挫折したあとはダメージが大きい。私もケガをして、今でも走れないことがあるんですが、自分を責めました。思うようにいかなくて、親とか一番近い人に当たったりしました。
(Cさんは)部活のことをおっしゃってたけど、周りの人たちに対しては仲間意識があります。他の人のポジションに割り込むことは、そのポジションで頑張っている人たちもいるので、申し訳ないと思うと思います。でも、自分の中でそのことを消化しきれないでいる。
E母: 娘は、学年は他の子よりおくれましたけど、あの時期は必要だったと思います。
でもその間、私はおかしくなっていました。どうにもわからなくて、ぐちゃぐちゃになって、ずっと考えていました。
C母: 私はスクールカウンセラーに「お母さんが病院に行ってください」と言われました。何か一人だと、どこか行けるところがないと辛いかな、と思いました。仕事がないとだめです。
E母: ずっと(子どもと)一緒にいたらだめですね。
C母: 外に出ると、他愛のない話もしてあげられる。
E母: 1年間長かったけど、あの1年があって良かったと思います。休んで次のスタートがきれた。無駄じゃなかった。信じて待って良かった。
元気になると自然に考えられるようになって、出て行きました。同級生に遅れるのは気になったけど、あきらめると気にならなくなりました。