¦ 日 程 ¦
※残念ですが3月一杯会場が保険業務のみで、一般は使えないそうです。
3月夜の親の会も中止です。
☆フレンズ 夜の親の会 |
3月25日(金) 中止 午後 (受付6:15~) 6:30 ~ 8:30 |
ウェルパル くまもと 1F あいぽーと奥 会議セミナー室 同 上 |
¦ 日 程 ¦
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■ Mさん(18才)
・不登校の期間
2016年、地震の直前に熊本市の中学校に入学し、通ったのは(3年間で)1ヵ月ないと思います。
・不登校になったきっかけ
入学した中学校が、かなりルールが厳しくて、その時のルールをいろんな人に話すと「軍隊みたい」と言われました。給食を教室から給食室に取りに行って「いただきます」までを、5分以内で終わらせるとか、毎週1回ある集会の時に、学年で整列して誰か1人でも音を鳴らしたら「やり直し!」というような、厳しい学校だったんです。
6年間同じ学校に通っていたのに、急に卒業して入れ替わる時期だったので、いろいろ精神的にもきつい時期だったんです。環境に慣れないし、ルールがきつい学校だったのでしんどくて、夜はもう7、8時位にウトウトして寝ていたんです。
その時に熊本地震がきて、本震の後は2、3日車中泊してました。学校は1ヶ月半くらい休校になりました。やっぱりその環境の変化と、学校の校風と、熊本地震と、3つが合わさって、自分でも精神的にダメージくらっていった気がしました。
5月の連休明けから学校が再開したと思うんですけど、被害が大きかったので体育館でパーテーションで仕切って授業をしてたんです。さらに慣れない環境になってしまって、自分自身ストレスになっていました。
そして、その時期の体育祭は延期しようという学校がある中で、その学校は予定通りやろうと、学校再開後すぐ次の日練習でした。しかもその練習、組体操だったんです。相当力も体力もいる。元々体力も気力も低下していて無理してしまい、保健室に休みに行く頻度が増えていって、保健室の先生から「また来たとね」と言われて、担任の先生からも「そんなに頻繁に休んでると、行きたい高校も行けなくなるよ」と言われたりして、「中1で、そんなことないと思うけどな」と、私は思ったんですけど、そういうことを言われ続けて精神的にダメージをくらっていたんです。
・当時どのような日々を過ごしていたか
最初の頃は、もう昼夜逆転の生活をしてました。学校に行かないと、自分のリズムが崩れるわけですね。ずっと夜遅く起きて、朝寝てというリズムがドンドン進んで、昼夜逆転になってしまう感じでした。
・どんなことを思っていたか
自分でもあまり覚えてないんです。自分の中でもしんどくて、精一杯過ごしていました。
そして夏ごろに、学校のカウンセラーの方から紹介された病院の精神科に行くことになり、私も母親も「なんで精神科なんだろう?」と疑問を感じてたんです。
検査を受けて「どこどこがおかしいから対処してあげてください」と(母に)言われたんですけど、すごくモヤモヤして、そのあたりから中学校に対する不信感がだんだんと芽生えてきました。病院へは1、2週間に1回位通っていたんですけど、だんだん自分も母親も何でだろうと思い始め、9月頃行くのを止めました。
・転機
①中学1年生の12月に、市の適応指導教室という所の紹介のプリントをもらって、行ってみました。すると今までの中学と全然違う環境に、最初衝撃を覚えたんです。中学校の先生というと、やっぱり学校に戻そうとして、強引なところがあって戸惑いますが、そこの先生は「無理しないで」とか、すごく自分に寄り添ってくれて、自然とその教室に溶け込んでいきましたね。1月に正式に入所して、だんだんと週4くらいにペースも上がっていって、生活リズムも整いました。
②学力面が心配で、やはり「学校に通いたい」という思いがあって、通信制高校という道を選んで、インターネットで自分に合う所を見つけて、中学校の時に出来なかったことをやろうと、積極的に通うことになりました。
難しいこと、新しいことをしてみたいなぁと、生徒会で様々なイベントを企画したり、仕切ったりとかしてきました。
先輩たちの姿を見て、私も何かできる事はないかなと思い、自分の中学校での不登校経験や高校での経験をお話しして、今困っている皆さんの支えになればいいかなと、3年生になってからは、こういうお話をする活動を、繰り返しさせていただくようになりました。
それで、大学の入学試験で総合型選抜という、今までの活動の成果をアピールすることができる試験で受験して、認められ、今年の4月から大学に行きます。
中学でしたい事があったけど出来ず、その反動で高校でいろんな活動して、次のステップに踏み出す事ができたというのが、私の今の経過です。
不登校経験者からの話
~不登校を経験した私が今、伝えられること~
■ Uさん(27才)
・不登校の期間
小学校4年生から中学卒業まで6年間殆ど不登校状態で、中学の入学式にちょっと顔を出したくらいで、それ以降は一切行っていません。
・不登校になったきっかけ
小さなからかいがあったり、学校での事が面白くなかったり、なんで学校に行くのか分からなくなったり、小さなきっかけが色々と重なって、行くのが嫌になり、全然朝も起きれないし、着替えも出来なくなりました。たまに朝早く起きても、学校に行く時は苦痛で「今日もやっぱりやめます」みたいなことが続いておりました。
・当時どのような日々を過ごしていたか
1日中ゲームをしたりインターネットの掲示板を見たりしていました。自分はそこに参加して発言する事はなく、1日中見ているだけという形でした。
・どんなことを思っていたか
当時、進学とか就職とか考えたくなくて、ずっとゲームをしたり寝てたりという状況でした。「このまま何も変わらずいられたらいい」そういう気持ちと、もう半分に「何かしなくてはいけない」という自分を責めるような気持ちがありました。ですが実際には朝は動けないし、朝食は摂れないし、着替えることもしないというようなことが3年間ずっと続いていました。
・大きな転機
①中学校に入ってすぐにスクールカウンセラーの先生に出会いました。それまでだったら“学校にどうやって行くか”という話が1番多かったんですが、その先生は学校の話をせずに、ゲームの話をしていただきまして、それによって自分の中でも若干の“安心”が生まれました。その“安心”を持てたことによって支援センターなど少しずつ外に出られるようになっていきました。
②中学3年生になり、中学生という身分を離れて進路を迫られる時期になって、担任の先生から定時制という高校について紹介していただきました。
私はその頃、もう学校に行かないと決めていたので、完全に朝起きなくなっていました。そのタイミングで「定時制は夜に行くところだから夕方に起きても行けますよ」という紹介があり「だったら少しは楽かな」と考えて、体験入学したり、情報を集めました。
ですが、いきなり提案されても断っていたかなと思います。それまで経験が少しずつ積み重なっていったことが大きいと思っています。
・大きな転機の前の 小さな転機
小学校の頃、フリースクールに出かけたりとか、同じ不登校の経験者とちょっと話をしたりとか、ネットで見たイベントが偶然いいタイミングに行われていたとか、そういう小さなことが何かしらきれいに収まった時に「じゃ、やってみようかな」と思います。なので、その経験の1つ1つが小さなパズルのピースで、このピースが、もしかしたら違う形になっていたかもしれませんが、そこに繋がったと感じております。そして今、私は教員をさせていただいております。
定時制高校に入学して学生証を作る際、私は住所を書くことができず、心配だらけの初日でした。そして定時制で授業についていけるかなと大変不安に思っておりましたが、頑張って続けていく内に「何とかついて行こう」という気持ちになってきまして、それが「何とか新しく踏み出そう!」という気持ちになって、やりました。
何度かきついなと思った事はあったんですが、それを乗り越えることができたのは、「ここで止めたら同じことを繰り返してしまう」、そういう気持ちを持っていた事にあると思います。
実際つな渡りみたいな状態で、雨が降ってるから行きたくないと思ったこともありました。ですが、それを乗り越えることができたのはネットに載っていた話しとか、他にも不登校を経験した人がいるんだなと思ったりとか、そんな積み重ねがあったので、「明日まで頑張ろうかな」、そんな気持ちを持てたと感じています。おそらく、こういった経験をしてこられなかったら、ここで喋っていることもないし、卒業することも厳しかったかもしれません。
〈心の変化〉
そして次第に付いて行けるようになって、何か新しい事にも踏み出せるようになっていました。それまでであれば「今日はやめといて明日にしようかな」と思っていたようなことでも「よしやってみよう。ダメで元々!」と、心がもう一歩あと押しをしてくれるようになっていました。
そして1年生の間、何とか学校に行けるようになり、資格試験に申し込みました。多分これまでの自分だったら勉強せずに終わるところだったんですが、もしかしたらいけるんじゃないだろうか、そういうような気持ちが少し湧いて、学校に行く前に少しずつ自分で勉強して、試験の前日位には「もう絶対受かるんじゃないだろうか」と余裕のある気持ちで受けることができました。で、合格の通知をもらった時「自分でもやれるんだ!」と思って、心が軽くなりました。
高校卒業する時に、このままじゃダメだと思っている人が一杯いるんだなと思って、「出来ないことで苦しんでいる人たちを支えられる先生になりたい」と思いまして、大学を卒業して教員(4年目)をさせていただいております。毎日、大変と思うこともありますが、自分の経験を生かして少しでも人のためになれるようにと思って、今を過ごしております。