登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

子どもの「声」を聴いて、読みかえる  ふれんず292号 より

2024-10-24 12:57:40 | 会報「ふれんず」から

活動報告 

A 困難を有する子ども・若者によりそいましょうin阿蘇 に参加

9年8日(日)13:00~15:30  阿蘇市就業改善センター 大会議室 

会場参加約50人 フレンズから3名

第1部 講演

  • 貧困、いじめ、不登校など子ども・若者の現状を知り、何ができるかを考えていきましょう

 子どもの「声」を聴いて、読みかえる          

白石陽一氏(元・熊本大学教育学部)

8頁に渡る講演のレジュメを元に語られました。会場に支援する立場の人が多かったようで、

殆ど支援者向けの話でしたが、印象に残った言葉を紹介します。

・子どもの言葉には翻訳が必要。例「死ね」という言葉は「かまって欲しい」「淋しい」などの意味がある。

教師から見て「困った」子は、当事者からすれば「困っている」子。殆ど「二次障害」をかかえている。

・「君のことをもっと知りたいと思い続けること」が、対話をすすめる鍵になる。

・語るとは、何かを伝えるだけでなく、「自分を知る」営み。 

・不登校の子どもは「自分を責めている」、楽しむことへの罪悪感がある

・学校からは逃げられても、「自分自身からは逃げられない」

・「いじめではない、いじりだ」と、加害者が言う時は自己弁護。被害者が言う時、恥や弱さを隠す。

「救ってあげたい」という救済願望や「感謝されて当然」という支援者の優越感が対等の関係を阻害

・反省文は、内面と向き合うチャンスを奪うから、「きれいな反省文」を書いているうちは「自分が傷ついている」ことの自覚がない。よって自分の痛みに鈍感、心が麻痺しているから他人の痛みにも鈍感、被害者の痛みが理解できない。

 ※来年1月25日には宇土市で、また白石氏が講演されます。

 今回逃した方、質問したい方、是非ご参加下さい。

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励ましたら行っていたのに ふれんず292号より

2024-10-17 15:09:01 | 会報「ふれんず」から

1 励ましたら行っていたのに

: 中3の子と小6の子がいます。中3の娘は中2の後半から学校に行かなくなりました。部活だけは行ってました。中3になったら部活も頑張って、進学塾にも行って、学校に行くようになってましたけど・・。
小6の子は仲良しの3人組の1人がいなくなったから、学校に行かなくなりました。忘れ物が多く、宿題もできず、授業も出れなくなりました。励ましたら、行っていたのですが、上の子がお腹が痛くなるタイプで行かなくなって、活発だった下の子も行かなくなったのでここ(親の会)に辿り着きました。

B : 一人ひとり、違いますからね。

: 上の子は新学期になってからは担任の先生が好きみたいで、学習ルームに行ったり、教室に行ったりしています。

: 上のお子さんは将来何をしたいとか希望はありますか? 

: 大学に行きたいみたいです。大学生になってキラキラしたいようで県外に出たいと、東京、広島、鹿児島でもいいなぁと言います。近所にある進学校があるのですが、特進で行けるところを探したり、「自分はここが良いんじゃないか」とか言って定まりません。担任の先生は楽しく行けるところがいいんじゃないかと言われます。ただ、先生が言われる高校は家から遠いんです。

B : 中学になってから、突然行かなくなったのですか?

: 小学校の時は年間に何日か行かなかったのが、中3になってから。

B : 何か好きなことはしてますか?

: 布団の上で携帯をいじっています。本は大好きで、だけど勉強は出来なくて、昼夜逆転はない。ご飯は起きてきて一緒に食べます。食べたら、また布団をかぶってます。

B : うちの子は小5でポツポツ休んでいたけど、好きなことが出来るのはいいですね。

: 部屋が荒れています。鬱の人は風呂には入らなかったりするでしょ、だから何か言わずにおれない。「買い物に行くよ」と言うと、おしゃれして出てきたりはしますが。

 

 

 

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「校長ちゃん」が本を出版 ふれんず290号 より

2024-08-18 14:35:40 | 会報「ふれんず」から

 お知らせ 

A 校長ちゃん」が本を出版

タイトル それで、よかよか

86の愛のメッセージ

 

「よかよか」で始まり「よかよか」で終わる愛のメッセージ (本文 第1部より)

 

o 子どもはそのままでいい。そのまま大人になればよい。

o 自分の弱さを知っている人こそ強いのかもしれませんね。

o 「待つこと」は「信じること」。

o 入学式はゴールだよ。今まで本当によく頑張ったね。もう大丈夫だよ。

o SOSが出せる勇気は、歯を食いしばって困難を乗り越える強さと同じくらい大切ですよね。

o 「らしさ」にこだわるならば、あなたらしさにこだわってほしいと思うのです。

 

● 著者  校長ちゃん

某私立高校校長。『寛容の精神が醸成される社会』の実現を願って、

不登校経験者が多数を占める同校の日常を語り広げている。

 

●第1部 詩・イラスト  とまと さん

何気ない日常の中で生まれたナイーブな作品で多くの人の共感を得る。

著書に「言葉のお守り1章」等。

 

2024年7月1日 第1刷発行

発行者/中村宏隆   ・ 発行所/株式会社 中村堂

〒 104-0043 東京都中央区湊 3-11-7湊92ビル 4F

Tel.03-5244-9939  Fax.03-5244-9938

編集・印刷・製本/株式会社丸井工文社

定価/2,200円   

  • 「校長ちゃん」から

「校長の名前がこれ以上走るのは私の価値観にはあいません。現場は各先生方の懸命の努力でなりたっていますので。従って匿名出版です」とメッセージが届きました。

 

 †早々と購入して読まれた会員さんの感想

  大人買いして配りたい! 知ってる話もありますが、何度でも感動しかしかない!

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フリースクール育海 

2024-07-23 16:18:18 | 会報「ふれんず」から

 堂野博之氏の講演内容 から一部分

■フリースクール育海(はぐくみ)
▶自分にとって逆境となる状況を、これって神様から与えられた宿題だと思うことにして、どんどん難しい宿題をクリアすると、またやってくる。すると、どんどん世界が広がっていくんです。無職になり、どうやって生活する?となったけど、せっかくクビになったから、トコトン自分の思う通りにやってやれと、単身で離島の飛島に移住しました。
この島で自分の好きなように学校を作ろう、と思って始めたのがフリースクール育海です。離島留学という仕組みを作って、全国の学校の行き辛さを抱えてる子どもを対象に、1年間、飛島の廃校で共同生活を送ってます。
▶1日のスケジュールは全部子どもたちが話し合いで決めます。印象に残っているのは去年。「スタッフは何にもしないから君たちでやるんだからね」と伝えてあるのに、夜7時、8時になっても誰も動こうとしない。お腹が空いてくるけど、スタッフはただニコニコ待ってます。
ある子が「お腹がすいたから、何かしない?」と言って、初対面の子がぞろぞろ台所へ行き、冷蔵庫の中を見て何ができるか相談が始まって、作り出しました。
1日が終わって、夜ミーティングをするのだけど、本当に自分たちでするんだと自覚して、一生懸命話し合ってスタートするのが離島留学の特徴です。

▶今の私の根っこにあるものは、自分の不登校の経験です。生きているといろいろありますが、それをどう受け止めて、どう向き合って、どう成長していくかに尽きると思います。
子どもたちの中にある“生きようとする力”“伸びようとする力”を、作物に水をやるように見守らせて頂くのが「フリースクール育海」です。

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■5年間やりつくして 堂野博之さん講演より

2024-07-15 21:00:04 | 会報「ふれんず」から

「あかね色の空を見たよ」
―― 不登校だった私が支援者として、今 ――
  
講師 / 堂野博之 フリースクール育海 代表

講演内容 より 一部分抜粋


■5年間やりつくして

中3になると、両親に少し変化が生まれてきました。“学校に行っていない博之を、家族の一員として認めて行こう”という心境に、5年間かかってたどり着いてくれました。真面目で一生懸命な両親にとって勇気がいる事だったと思います。5年間やりつくして、私が荒れつくして、もう認めるしかないという心境になったのでしょうね。

この1年間は、私にとって大きな変化でした。まず朝起こしにきません。朝から喧嘩する必要がなくなりました。家の仕事も手伝いました。学校には行ってないけど、自分の役割をこなす事で両親が喜んでくれる、それがとっても大きい1年でした。

 

夏休みに先生が進路の話をされ、定時制高校や通信制高校があると教えてくれました。私は、定時制高校に行けば家を出られるかもしれないと思いました。誰も知らない所でもう一度ゼロからチャレンジするしかない、と感じていたからです。でも、その気持ちを伝えることができないまま卒業の日になり「もう行ける所はない、もうどうにでもなりやがれ」という諦めの心境になってました。

 

その日の夕方、母が仕事から帰ると真っ先に私のとこへ来て、とてもスッキリした顔で「博ちゃん、あんた5年間よう頑張ったなぁ」と言いました。私が「何が頑張っただ、頑張らないから休んでると思ってるくせに」と内心思っていると、続けて母が「お母さんも頑張ったんよ。5年間辛かったろう、お母さんも辛かったんよ」と言ったんです。

その言葉が、バリアを張って大人の言葉を絶対聞き入れない私の心に、ストーンと入ってきて、なんだか温かい気持ちになったんです。「あぁそうやなぁ、僕頑張ったんやなぁ、お母さんも頑張ってくれたよなぁ」と。

その夜、自分の気持ちを伝えようと思って、両親に「俺はこの家を出ようと考えてる。定時制高校に行かせてもらえないか。独り暮らしをして、アルバイトで生活費も稼ぐ。迷惑はかけないからそうしたいんだ」と話すと、両親は涙を流して喜んでくれて「そうか、そんな風に考えとったんか。よし、先生にお願いしよう」と言って、翌日学校へ行ったのを憶えてます。

 

ö 当時、先生の不登校への理解も難しかった。でも私が一つ憶えているのが、小5年?の担任の先生。家に来た時、将棋を見つけて一緒にしてくれて「楽しかった、また来るわぁ」と言って、何で学校に行かないのかとか聞かないんです。そして学校で「堂野君は大丈夫。将棋ができるやつに悪いやつはおらん」と言われたそうで、後で知って凄く嬉しかったのを憶えてます。

 

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