登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

“キレた”時の子どもの気持ちは? 会報 ふれんず122号より

2019-07-20 22:45:39 | 会報「ふれんず」から

10年前の会報より

 

フレンズ親の会 報告

119回 フレンズ親の会 09年7月11日 13:30-16:30 パレア10F和室

参加者16名 (初参加者3名)

 

 今回は会場が空いてなくて初めて使用するパレア10階の和室でした。40畳に板の間と大鏡のついた踊りでもできそうな部屋で、会場費もちょっと高めでした。産文会館が建て替えとかで4月より使えなくなり、とても不便になりました。しかし今年の冬より大江の交通局跡にできたウェルパルが使えるようになったそうです。

 今回は梅雨のさなか、皆さん傘をさしておいでいただきました。

 

・・・一部省略・・・


3 “キレた”時の子どもの気持ちは?

 

:息子は一人息子で何でも出来る子だったので親の期待が大きくて、特に主人は完璧主義者で子どもに厳しかったですね。母親は一流の大学にやって一流のコ-スに乗せようと、小学校のときは塾漬けでしたから可愛そうなことをしましたよ。中2で不登校になったとき親も受け入れられず、してはいけないことや間違ったことを何でもしました。当時は家庭内暴力で大変でした。優等生の姉がいまして、その姉に対する嫌がらせをしていました。年度始めに母親が息子の教科書をそろえます。そのとき姉が「お母さんが苦労して準備してくれているのに何で教科書を開かないの」と言いました。息子はそれまで姉は自分の味方だと思っていましたから、その言葉に腹を立て教科書を破ってしまい、姉の部屋のガラスを割りベッドの上をガラスだらけにしました。それから自分の部屋に引きこもってしまいました。食事にも出てこないので、息子のご飯はドアの前に置いていました。夜みんなが寝てしまってから食べていたようです。

いろいろありましたが今思うと懐かしい思い出です。本人も「人間落ちるときは徹底して落ちたがいい」と言っています。家族のほうも、そういう地獄のような暮らしがあったから県外にいる子どもたちともつながりが強くなったと思っています。

 

:うちは真っ只中にいるので台風がいつ去るかと耐えています。気分に波があって娘は溜めるほうだから、爆発したらもう大変です。いつの間にか壁に穴が開いていたりします。そのときのことは覚えていないと言います。息子さんが窓を割った時はどういう気持ちなのでしょうか。溜ったものを発散するのですか?

 

:そうですね、うちの子も頭が真っ白になると言っていました。目はつり上って顔つきが変るんですよ。そんな時「アーっそんなことしてダメでしょう」と言ったり、親が怖がったり脅えたりすると子どもは不安になるんでしょうね。さらにひどくなりました。息子は父親に刃物を向けたこともあったんですよ。父親に対する最後の反抗手段だったのでしょうね。一歩間違えば新聞沙汰でした。父親は逃げずに息子の前に立ちはだかったんですよ。父親が逃げなかったから息子は変ったと思います。今では息子は「オヤジを尊敬している」と言います。

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第24回全国のつどいin長崎

2019-07-14 11:58:26 | お知らせ

全国からの参加があります。フレンズネットワークの運営委員も参加します。

水族館や遊覧船の出る港や温泉が目の前です。九十九島に沈む夕日は格別です。

時間に余裕のある方は、ゆっくりされるのもいいかと思います。

 

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きらりキャンプin阿蘇

2019-07-14 11:32:57 | お知らせ

国立阿蘇青少年交流の家主催のキャンプです。

「自然体験を通して、心に悩みを持つ青少年に自然体験の楽しさや達成感を感じさせ、自己肯定感を育む」という趣旨で開催されます。

1日目夜の保護者の座談会には、フレンズネットワークの江藤代表も参加します。

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シンポジウムの感想 会報ふれんず233号より ②

2019-07-12 22:38:19 | 会報「ふれんず」から

6月2日のシンポジウムで経験者の話を聞いての感想です。

(最近、このブログを読まれる方が増えてきているようですありがとうございます)

 

アンケートから

●20代 不登校経験者・教員 

一部省略 これからの生徒への声かけに活かして、生徒の声に耳を傾けて、話してもらえる教員を目指して頑張ろうと思います。

また、勉強をさせるのではなく、体験を多めにした楽しめる授業をこころがけます。

 

●40代 父親

心の休養が出来て、体が動くまで信じて待つ

保護者として 休養が出来る空間を作ってあげる事が大切と思いました。

              

●50代 母親 

現在中1の次女は小1から不登校ですが、今春より中1に進級して、中学校の体制には全く馴染めず、ゴールデンウィーク明けにまた完全不登校になりました。今回のお話でもありましたようにもはや中学校の根本に問題があると思います。社会の大きな問題です。子ども達が安心できる居場所、本人に合う場所はなかなかありません。

今日のお話を聴いて、自分らしくいられる場所があればパワーが出るし、大きく成長できるということを確信しました。

学校はもっと個人の人格を大切にして欲しいと思います。

 

●50代  母親 

不登校を経験された方のお話が聞けたのがとても良かったです。子供といえども1人の人間。親はどうにかしたいと思ってしまいますが、それは無理な話だと。

ゆっくりですが前に進んでいる息子を見守っていこうと思います。

プレッシャーをかけないようにします。

 

●50代  母親 

つぼみさんの発表で心に残った事 

「子供の命を守ってください、いつか笑える日が来ます」涙が出そうです

末本さん親子お二人とも、話してくれて有難う。娘も同じ別室にいたので、胸がいっぱいになりました。お2人の話を聞いて、救われる人達が居ると思います。一部省略

●70代 祖母  

参加させていただき本当に良かったです。ほんの少しだけど光が見えた様な気持ちになりました。「自分が変わる」「信じて待つ」努力を続けたいと思っています。

ただ、今、孫(特に高2の方)のスマホ漬けが「いつまで?」と不安いっぱいになります。「待つ」気持ちを大切にしたいと思う反面、昼間、家での過ごし方を改善していく気持ちが孫達に出るのか、お二人の話を聞きながら特に思いました。

 

●60代 相談員 

学校だけが学ぶ場でないということを再認識しました。一部省略

プレッシャーなく十二分に休むことによって、自分で動き始められるという言葉、とても納得できました。

  

●30代 支援者 

不登校の現状だけを見るのではなく、少し先も見据えて必ずよくなると信じて周り(大人)が関わることが大切だと思いました。

不登校は問題ではない、学校に行くだけが学びではないという話を聴きますが、学校に代わる社会資源も選択肢も保障されていないと思います。  一部省略 

 

●50代 行政職員  

それぞれに大変つらいご経験をされて、試行錯誤の結果、自分の居場所を見つけられたことに感動し、敬意を感じました。それぞれのご事情に応じた一時的(急性期の)な避難所や居場所をつくっていくことが大切だと感じました。 一部省略

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現在大学二年生の話 会報ふれんず 233号より

2019-07-08 21:50:04 | 会報「ふれんず」から

会報から一部  


パネラー2組のお話 より

 

■○○さん 中学1年の途中から 不登校 高校は全日制から定時制へ編入 現在大学2年

 

„部活がすごくきつくて

私は小学生の時は風邪以外で休むこともなく、朝は校門が開くのを待って入るくらいで、友達とも良好で元気でした。

中学校に入って部活での練習がすごくきつくて、そこから体調をくずしました。でも、きつくても休むという選択肢が私にはなく、ずっと我慢して朝練にも参加していました。

ある朝、起きようとしても起きれず朝練を休んだのから始まって、どんどんきつくなって休みがちになり、中1の後半は1日置きに休むような感じでした。それでもまだ仲のいい子がいたので何とか頑張れたけど、2年でクラス替えがあって、1週間頑張って糸が切れたように「もういいかぁ」ってなりました。

母から「なんで行かないの」とせかされ、父からは「大名出勤かぁ」と嫌みを言われ、家には引きこもる部屋もなく、みんなは学校で勉強してるのに昼間っからテレビを観ている自分がイヤでした。

„保健室へ

やがて学校のすすめで給食だけ食べに行くことになり、休み時間にかぶらないように保健室に行って、食べたら帰るみたいな生活をしてました。保健室の先生とのおしゃべりは苦じゃなかったので、やがて10時位から行くようになり、中2の時は何人か不登校の子がいて、保健室にずっと行ってました。

今回お話するので思い出そうとしたけど、相当にきついことは忘れるみたいで、不登校なりたての頃の記憶があんまりありません。

„別室へ

学年が上がるにつれ不登校が増えて、保健室がいっぱいになったら教務の先生が来て「保健室は体の具合が悪い人が利用する所。元気だから明日からここには来れない」と言われ、物置みたいになっている教室に移ることになりました。「人数も増えてきたから」とか言いようもあるだろうにと思いつつ別室に移ったら、教室に入れない子だけのコミュティーが出来て、中3はルンルンで別室に行ってました。進路の事や先生の事なんか、行けない者同士だからこその話が出来ました。

そして普通に教室に行ってる子が駆け込んでくることもあり、そういう意味では「誰でも駆け込める別室」がどの学校にもあっていいと思いました。

„窮屈なところ

中3の時の先生はきつ過ぎてあまり覚えてないけど「ただ教室に入るだけじゃないですか!どうして出来ないんですか」と顔がつきそうなくらい近くでまくしたて、すごく強引でとても嫌だった。「何が嫌?」とか「どうしたらいい?」とか生徒の気持ちを汲み取ろうとしてくれれば、色々説明できたのに。

それから靴下の履き方や髪型まで細かく管理されて「何故こんな窮屈な所にいなきゃいけないの!?」と考えるようになっていました。

そして別室にいすぎて普通の友達とどう会話していいか分らないようになっていました。

„気楽で嬉しいところ

本を読むのは好きだったので、学校に行ってない日は図書館にずっといました。母も図書館なら機嫌よく送り出してくれるので。

そして大学生が家か学校で会ってくれるユアフレンドがよかったです。年上のお姉さんと他愛無い話で笑ったりして気が楽でした。

母がボランティアをしてたから、その手伝いや近所のスーパーのお手伝いとかをして「ありがとう」「助かった」と言われると自分が役に立ったと思えて嬉しかった。

学校と家以外で利害関係のない大人と関わ


れたことが刺激になりました。学校にいると分の存在が分からなくなるけど、家と学校以外の世界は自分を創っていく上で欠かせないものだったかなと思ってます。

„憧れて全日の学校へ

不登校して「皆と違っていい」と思いつつ、皆が出来てることが出来てないのが悔しくて、普通に朝早く登校して部活もある生活にあこがれて、高校は引っ越し先の全日の学校を選び頑張って一般で受験しました。

でも、校長先生が替わると学校の方針も変わって朝課外が必修になって、電車とバスを使って行く所だったので、朝起きられなかったらどうしようと思って心から体にもくるし、「頑張りなよ」と言われることも多く、朝課外で授業も進むから、課外を休むと授業も分からなくなるし、体育の先生から2回目の授業なのに「なんで出来ないの、単位やらんよ!」と怒られたり、自分で選んだ学校なのにきつかったです。

„単位制の定時制高校に編入

結局11単位取って高1の3月に、公立の単位制の定時制に編入しました。そこがすごく合っていて、初めて「学校が楽しい」と感じました。校則も制服もなくて、朝が苦手なので2時限からとか自分のペースで出来ました。

自分の意思を持っている生徒が多く、60才の方も生徒でいたり、同好会の部長になったり、先生も上からの感じがなく教えてくれて、大学は自己推薦で入れました。

„これからは

今は不登校の居場所づくりに関わっています。中学校の時の別室みたいな安心できる場所が欲しいなぁと思って、活動しています。

不登校の親の会や、自由な時間を過ごすおしゃべり会をして、たまにピクニックに行ったり、パーティーをしたりしています。

不登校を知らない人の壁を壊していきたいと思っています。

 

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