登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

「幸せな人生を」と願うけど 会報 ふれんず271号より

2022-12-13 18:05:57 | 会報「ふれんず」から

💓参加して思うこと

     「幸せな人生を」と願うけど 
                                    K.I

 将来を見据えて最善の子育てが出来れば、私もそうしたいと願うが、はたしてそんなことが出来るのだろうか。
 私の母の子育てを思い出すと、彼女はそんなに強い人には見えなかったが、自分が思い描く「幸せな人生」、つまり「食べることに不自由しない高収入、高学歴の人との人生」を我が子に送らせようと、策略を巡らしていたように思う。それは多分、戦中戦後を生き抜く中で、自分自身がひどく苦労したからこそつかみ取った価値観によるものだと思う。
 だけど、へそ曲がりな私は、ことごとく母の願いに逆らった。その結果、どうなったか・・・。まだ、その結論は出ていない。
 人の人生は山あり谷あり、決して平坦ではない。多分、これは多くの人に共通することだと思う。だから、どこで終わりを迎えるかで、その人の人生に対する周りの評価は変ってくる。絶頂期に終われば、「いい人生だった」と言われるのかもしれない。でも私としては、他人からの評価はどうでもいい。できるだけ、ワクワクする瞬間が多いことを望むだけだ。
 人の描く「幸せ」は、人の数だけあるのだと思う。親が「あなたの幸せを願って私は提案してるのよ」なんて言っても、子どもにはピンとこないだろう。ましてや、こんなに激しく変化している時代の数十年先のことなど、正確に読める大人がいるだろうか。

 いつの時代も、生きていくのは結構大変。だから、生きていること、生きていこうとしていることに、もっと感謝し、感動したら、心が熱くなり、はじけるような気がする。
 私は最近、中村哲さんの映画を観て、覚醒している自分を自覚した。目覚めた気がした。それまでも、何度かステキな人と出会ったり、ステキな唄を聴いたりして覚醒したことはあるが、コロナのようなことが続くと、気力が消えかかる。だから人は何度も山と谷をくりかえす。そして、その度に何かに助けられる。
 それは時に、情熱だったり、優しさだったり、美味しさだったりする。そして、自分自身のやる気を観察するとき、それは体調と密接な関係がある。体が先か、心が先かは分からないが、切り離しては考えられない。

 母は晩年認知症になって、たまにしか会わない私を、空襲で亡くなった自分の妹と勘違いしたり、「この人いい人よ」と老人ホームの仲間に紹介したりした。認知症も悪いことばかりではない。こだわりを忘れた母に褒められたのだから、私は幸せ者なのかもしれない。

 

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先を見据えると 会報ふれんず271号

2022-12-09 21:13:34 | 不登校についての考え

親の会 報告 より

1 先を見据えると 

: 中2の娘が小6の2学期から不登校です。中1の2学期は保健室登校をしていました。その頃はラインとかで友達と繫がっていました。勉強も、学校の時間割に合わせて自分で教科書を開いたりしていました。
  2年生になって、どこを勉強しているのかわからないと言うので、その事を担任の先生に私が伝えました。でも私の伝え方が悪かったようです。先生は娘のことを理解してくださっているし、いろいろ考えてもくださって、「プリントをだしてくれたら、先生たちに見てもらえるよ」と言われましたけど、本人は「ワークブックだけをやろう」と考えていたようで、「プリントをして」と言われたのをダメ出しと受け止めてしまったようです。涙が出ていました。
  娘は回復していると思っていましたけど、涙を見たらまだまだ真っ只中なんだと思いました。
  私は、不登校の「親コミュニティ」にも入っていて、勉強しています。そこで色々聞くなかで、目先のことだけでなく、先を見据えて、子どもがどう生きていけばいいかということを考えていかなければと感じています。
  皆さんの状況を教えてください。

進行: お勉強ができておられるのはすごいですね。今、不登校の子どもさんやご家族の状況をおたずねですか?

: 現実を教えてほしいです。先を見据えると少し視野が広がるかなと思って。学校に行かなくても生きていければと。

進行: 少し年齢層の高い方に聞いてみましょうか。

B : 私の子どもは今39才と41才になりました。上の子は小学5年生の頃から、下は中学の半ば頃から、それぞれ違う形の不登校でした。今は2人ともデザイン関係の仕事をしています。
  最初は七転八倒しました。たぶん子どもも。
  上の子は担任の先生が原因と思っていたけど、学校に魅力を感じられず行けば行くほど命を削られる感じだったようです。その後自分のやりたいことをみつけて、その為に高校に行くと決めたようです。今、生活はボチボチですね。
  下の子は過労気味で、自発的に学校を休みました。
  もう30年くらい前の話です。30年の間には色々ありました。けど、今は生きているだけで丸もうけと思っています。


C : うちは今37才で、小6の時、担任の先生からの体罰で学校に行けなくなりました。中学2年の2学期から完全不登校でした。学校は居心地が悪かった。その頃、学校の目標に「滅私奉公」「粉骨砕身」と掲げているような学校でした。
  26才ぐらいになって、いじめがあったこと、担任からの圧力があったことなどを吐き出すようになりました。
  高校は定時制で、とてもよい4年間でした。いい先生とも巡り会い、人に救われました。熊本地震の後、外に出て働くこともありました。祖母の介護も手伝ってくれました。
  今も、社会にいろいろあると敏感に反応します。私は、いつかもっと動くようになるんだろうなと思っています。盲人の方のサポートもしていて、外出のお手伝いをするときは、財布を預かったりもするようです。

進行: 人に安心して貰えるのは、自分自身の励みになりますね。信用されているということですね。

 

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日程

2022-12-03 16:13:58 | これからの日程

日程

※会場が使えなくなったら、中止します。

☀ フレンズ 親の会

12月 10日(土)

午後 (受付1:00~)

 1:30 ~ 4:00

ウェルパルくまもと

1階 会議セミナー室

運営委員会

12月24日(土) 

    午後1:30〜5:00

慶徳コミュニティーセンター

発送作業

1月5日(木)

13:00 ~ 15:00

パレア9階 印刷室

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