登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

7月28日の夜の親の会 場所変更

2022-07-27 20:38:15 | これからの日程

7月28日(木)午後 (受付6:15~)6:30 ~ 8:30 

夜の親の会 場所

白川地域コミュニティーセンター会議室に変更になりました。 

熊本市中央区新屋敷1丁目18−27

 
急なことでごめんなさい
 
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会報ふれんず155号より 本当に「待つ」のは難しい

2022-07-25 21:30:17 | 不登校についての考え

 参加して思うこと

                                       本当に「待つ」のは難しい
                                         石井嘉寿絵
 私たちは、エンジンがかからない車がバッテリー切れだと気づいたら、バッテリーに充電します。それは少し時間がかかる作業ですが、どれ位で終わると分かっていれば、充電中に車を動かそうとしたりはしないで、多分、楽しいおしゃべりでもしながら待つと思います。
 不登校の子ども達も、こんなふうに待ってもらえれば、わりと短期間にエネルギーの充電が終わると思うのですけど、不登校の場合、この「待つ」という作業がそう簡単ではありません。色々な人が、充電を待ちきれず動かそうと試みます。直接関係ない人まで心配していじくりまわします。その度に無駄にエネルギーを使って、時間ばかり掛かってしまうことがあると思います。
 不登校の子どもが元気を取り戻すのに時間がかかるのは、実は「ゆったりと待つ」ことができなくて、時間がかかっているのではないでしょうか。「待ってばかりいても」と心配される多くの場合、どんな風に待っているのか振り返ってみる必要があるかもしれません。でも、この辺のことは、なかなか分かりづらいようです。一応頭で分かる人はあるのですけど、心底理解して、実践できる人は稀だと思います。
 では、どんな人がそうできるのかと考えると、不登校と同じような経験のある人、あるいは、子どもが死にそうになったりして、命の尊さを骨身にしみて感じたことのある人、などではないでしょうか。愛情があるとか、優しいとかだけでは、とても難しいのだと思います。
だから、本当の意味で「待つ」ことなんて、なかなか、誰もすぐにはできないのです。「ゆったりと待つ」のは、とても難しいことだということを知って、待てない自分を責めないようにして欲しいと思います。
 不登校の苦しみから早く脱しようとするより、失敗を繰り返しながら、少しずつでも親として成長できたら、子どもはそんな親の変化を敏感に感じ取り、親を尊敬し、自信を取り戻すかもしれません。
 もし腹をすえて、子どもを信じて穏やかな気持ちで「待つ」ことができ、それを周りも認めてくだされば、ほどなく子どものエネルギーも充電できて、「何かしたい」というサインを出すと思います。
 子どもがサインを出した時に、それをしっかり受け止めて、適切に次の手を打てばいいのではないでしょうか。

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生徒たちから学んだこと ふれんず267号 より

2022-07-19 13:28:02 | 会報「ふれんず」から

齋藤眞人先生の講演内容から

■生徒たちから学んだこと
 ▼マラソン大会で
省略

▼隣の学校の体育祭の練習
隣の中学校で体育祭の練習があってて、先生たちが「急がんかい!」と怒鳴っている。それを聞いてうちの生徒が、
「あんなに怒鳴らんでもよかろう?でも先生たちも必死なんやね。だけど、あの中の3分の1は数ヶ月前まで小学生やったとよ。大人って、かけた言葉を刈り取らん。『よう急いだね』と、一言いうてやればいいやん。要求を出しとっとやけん、その結果を認めてやらな」と、言いました。僕より1枚上手でした。
「出来てることに『できてるね』と言ってやってるだけ」、これ、褒め上手の人の言葉です。
▼カラオケに行って
ある時、生徒5、6人がご丁寧に制服を着たままカラオケに行って、午前1時半過ぎに深夜徘徊で補導され、朝学校に電話がありました。それで、  私が子どもたちの家庭に連絡したんですが、そしたら、一晩中心配されていた一人のお母さんが、嘆かれるのかと思ったら「うちの子、カラオケに一緒に行くようなお友だちが出来たんですか!!」と、嬉し泣きでした。本当はいかんとですよ。でも一つの出来事も、捉え方一つでどちらにも転びます。
▼シュークリーム事件
ある中学校の生徒から「よさこいを教えに来て」と依頼があって、総合学習としてマイクロバスで行きました。とても感動されて、お礼にシュークリームを一個ずつ頂いたんです。
一人の女の子が、「これ弟に持って帰る」と言ってティッシュで何重にも包んでいるんです。
彼女は施設で弟と2人暮らし。僕は自分のをその子にあげました。そしたら一口食べて、立ち上がって叫んだんですよ。「ワーッ美味しーい!うち初めて食べた!」と。コンビニでも買えるようなシュークリームでしたけど、この子17年間食べたことがなかったのに、弟に持って帰ろうとしていた。
「あんた優しいねぇ」と言ったら「うち中学生の頃、優しいだけじゃ社会に出て通用せん、と言われた。校長ちゃん、うち変わらんでいいと?」と言いました。もうたまらんかったです。その時(彼女にそう言わせてしまう社会に)ムカついたのを覚えています。そして車を止めて、引率の先生とひとしきり泣き切りました。
それから大きく変わりました。私は、この子たちの優しさが活きるような大らかな社会にしていきたいと、本気で思いました。
求人票に合うように子どもたちを育てようと思っていたけど、この子たちに合うような求人票を探していこうと決めました。子どもたちは光です。子どもの声に耳を傾けて世の中が変わっていく。

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「いいんだよ!」 と言えなくても 会報ふれんず267号

2022-07-13 17:58:30 | 会報「ふれんず」から

講演内容 

 「いいんだよ!」 と言えなくても

 ―「ダメだなぁ」と思ってしまう、あなたのために ―

講師 / 齋藤眞人 立花高等学校 校長

今日は、フレンズさんが提案されたこの演題に合わせて「よーし、頑張ろう!」と全部新しく書き直して来ました。でも、肩に力が入ってたら、ろくな事ありません。肩の力を抜いていきます。

省略

■実践例

¦対価を支払う 省略

¦チーム担任制導入

担任と合う、合わないということがあるし、力のある教員に限ってこの教室はおれの城だと頑張ったりするので、チーム担任制を導入しました。3人一組で2クラスを担当し、週ごとに一人ずつ入れ替わって、4週目に最初のクラスに戻ってくる。これが大当たりで、他校にも広がっていくんじゃないかと楽しみです。

¦フリースクール設置 省略

¦「ママズカフェ」就労支援施設A型 省略

■問題提起

学校や社会は、もうちょっと柔らかくてもいいんじゃない?

▼特別扱い?

うちは今、針時計とデジタル時計、両方を設置しています。最初は図形が苦手な学習障がいの有る生徒への配慮でした。その子は時間を守れないのではなくて、分からなかったのです。問題は、その子が学習障がいだということではなく、“無理解の中で義務教育を終えていること”です。

ある小学生のお母さんが「うちの子にデジタル時計を持たせたい」と学校にお願いしたら「この子だけ特別扱いはできません」と断られたそうです。だけど、メガネをしていて「あんた卑怯、外せ」とは言われませんよね。メガネは市民権を得ている。

 又、本校ではケータイを禁止したことはないです。黒板の文字を書き写すのが苦手な子も、カシャッと撮れば一瞬です。とても便利。

でも、ケータイで問題が起きるからと禁止すると、問題が水面下に沈むだけです。

▼素直で従順でないとダメ?

社会を安定して保持するためには集団性の維持が前提だとして、日本の教育は“素直で従順な人間を育てること”に重きを置いてきた気がすします。僕もそうでした。

例えば全校集会、「静かにしなさい!」「ちゃんとしなさい!」と飛び交う怒号。一糸乱れぬ見事な集団。目的はそこですか?内容を理解しようと意欲を持って参加することではないですか?

 あまりにも揃えようとして指示するから、自律ではなく他律になってしまって、自分で考えることが出来ていない。だから、社会に出て投票率が低い。同調教育は限界が来ていると、私は思います。

一定の範囲内に入れない子どもたちの居心地が悪くなっている。裏返してみると、同じであることを実践している子どもたちをもっと賞賛していいのに、それを当たり前にすり替えられ、何かが突出していないと認めてもらえない社会になっている。

▼自由は我がまま?

大人は、自由を我がままだと曲解している。自分の自由が尊重されるから、他者の自由も尊重できるはず。指導に従う従順な子だけが賞賛されてしまうのは“社会側の悪気のない最悪文化”。

従順でなければ教育を受ける権利はないんでしょうか?子どもは未成熟であることが許される。それが彼らの特権です。

▼問題の本質は?

昨年10月に文部科学省が発表した「令和2年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」というのがあって、問題行動と不登校を一緒くたにしているのはどうかと思いますが、「不登校のきっかけとして次の数字を発表しました。

先生がきっかけ27.5% (昨年10月・生徒対象

先生がきっかけ  0.9% (昨年11月・教員対象

つまり教員は自分たちが不登校にさせている意識がないんです。(30倍以上の)この意識の乖離(かいり)が、問題の本質だと思います。

一定数の子どもが学校に行かない選択をするのは自然です。「学校に行くのが当たり前」という考えから脱却していきましょう。大人の仕事は可能性を示すこと。「克服」に拘らない柔らかさを!

平等は公平?

多くの大人が平等と公平を取り違えている

例えば塀の向こうの野球の試合を観るために、背の高い子、中くらいの子、低い子それぞれに、大人は、同じ高さの台を平等に1個ずつ与えがち。でも1番低い子は、台1個では塀の上まで届かない。1番高い子は台がなくても見える。こんな場合どうしますか?見える子の台を見えない子に譲れば、3人とも公平に野球観戦できますよね。

◆バラバラではいけない?  

ここに昭和2年の、ある教室の授業風景を撮った写真があります。オルガンを弾いている子たち、カルタ遊びをしている子たち、赤ん坊の世話をしている子たち、友だちの髪を結ってる子たち、バリカンで髪を刈っている子たち、それから机で静かに勉強している子たち、皆バラバラ。だけどこの先生は悲壮感なく穏やかに見守っている。これこそ本校創設者、安部清美先生27才の時の授業風景です。鳥肌が立ちます。全国から2800人見学に来て、「愛の教育と呼ばれていたそうです。

この写真を見て、当時の生徒さんが、

「いいクラスでした。みんな思いやりがあって」と、懐かしがっていらっしゃいました。

▼不登校は不幸?

30日以上休んだら不登校。では 29日ではどうなのか?200日休んでいても自分らしく生きている子もいれば、1日も休まず学校へ行っていても、心がすっかり折れている子もいます。

学校に行かなかったら不幸になるというのは、大人の思い込みです。

²迷惑をかけてはいけない?

他人に迷惑をかけてはいけないと言いますけど、本当にそうですか?私は「助けて欲しい時は、誰かにすがりなさい」と言います。誰にも迷惑をかけないように一人で生きろ、とは言えない。むしろ、互いに支え合って生きていることを、伝えたい。

“元気と迷惑は貸し借りできる”のです。いつからですかね、大人が立派にならなくちゃいけないと思い込んでいるのは。「出来て当たり前」と思っていたら、いろんなことを見逃すと思います。自分自身の頑張りにも気づいてください!

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7月の日程

2022-07-01 21:25:08 | これからの日程

Ì  日 程  Ì

感染予防対策をしてお越し下さい。

☀ フレンズ 親の会

 7月 9日()

午後 (受付1:00~) 

        1:30 ~ 4:00

ウェルパル くまもと 1F

あいぽーと奥 

会議セミナー室 

運営委員会

7月23日(土) 午後1:30〜17:00

黒髪西老人いこいの家

☆フレンズ

    の親の会

 7月28日(木)

午後 (受付6:15~) 

        6:30 ~ 8:30

ウェルパル くまもと 1F

白川地域コミュニティーセンター

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