明日10月6日(土)に行われる予定だった熊本日日新聞社主催の
「通信制・サポート校合同説明会」は、
台風接近のため、11月4日日曜日に延期になりました。
明日10月6日(土)に行われる予定だった熊本日日新聞社主催の
「通信制・サポート校合同説明会」は、
台風接近のため、11月4日日曜日に延期になりました。
会報より一部切り取りました。
4 生きててくれればいい
I母: 中3の夏休み前に不登校になり、保健室登校になりました。高校には行きたいと言ったので、高校には入りましたが、体育祭のあと行けなくなりました。2回目(の不登校)が来たとき、とてもショックでした。
娘は布団から起きられなくなって、学校に送ることも無理になって、学校に相談して休学とかにはせず、行けるときだけ行くことにしました。気が向いたときだけ先生と話をしに行っていました。
だんだん進級は無理とわかってきてからも、授業料は毎月払っていました。
進級審査で「やめますか、通信に移りますか」と聞かれました。その学校は通信制もある学校だったけど、そこの通信は無理と思って、娘が自分で全国の通信制を調べて、「この通信制に行く」と決めました。そして自分で退学届を出しました。自分で決めたので後悔はしていないと言います。今でもやめた学校のジャージを着たりしています。
私はとても心配していたけど、夫に「子どもは俺に任せろ」と言われました。
B : お父さんと娘さんで話をしておられたんですね。
I母: 夫は、娘に「極力自分で考えろ」と言って、待っていました。
高校が単位制だったので、退学はなかったんです。夫と娘がずっと考えていました。その学校の通信制に行くことを学校は勧めたけど、考えて、退学して別の通信に行ったんです。
通信を卒業して大学に入って、入学の年齢は1年違うけど、入ってしまったら一緒みたいです。同級生はいないけど、他の通信から来た子と仲良くしています。年齢の違いは関係ないです。ストレートに高校を出て来ても浪人してもあまりこだわらない方が楽だなという気持ちに、家族でなりました。
B : 娘さんは熊本地震のあと、好きなことを見つけられたんでしたよね。
I母: 勉強は通信制に行ってからも嫌いで、試験前のギリギリで勉強して上がっていました。高校卒業したら遊ぶと言っていたのに、熊本地震のあと、テレビでお城の修復をしているのをみて、「これをしたい」と言いだしました。それから受験勉強して・・・
私は娘が生きててくれればいいと思っています。
中3のとき、1人で家にいたとき飛び降り自殺をしようとしたことがありました。そのとき初めて、この子がここまで追い込まれていたことに気づきました。それから私は子どもを見張っていました。
無理に行かせるのはよくない。とにかく、この人が生きてて、やりたいことが見つかったときに手助けすればいいと思いました。学年が遅れるとか、学校に行くとか行かないとかどうでもいいと思いました。
B : 話ができるようになるには、時間はかかったんですね。
I母: 娘はなんども死ぬことを考えていたようでしたけど、夫も私も気づいてなくて。子どもは言わないんですよね。言葉にするまで時間がかかりました。話してくれたときは「よう言ってくれたね。ありがとう」と言いました。
B : 子どもたちは不登校という形で「死にたいくらい辛いことがおきている」ことを伝えている。
J経験者: 2、30年以上経ちましたが、中1、中2と行けなかったとき、私も親には死にたい気持ちを悟られないようにしていました。
何十年か経ったとき、生きてて良かったと思うときがあると思います。生きていたからこそ出会いもあり、経験もでき、その経験が何かの役に立つ。
命を大切にしてほしいと思います。
3 「失敗は発見」
G母: 中高一貫の私立に中2で転入しましたが、高校1年の5月に、「私はこの学校では行けない。普通 高校には行けない」と通信制を選択しました。
中1の時は、「成績は上位でないといけない。塾を個別と集団指導の2箇所に行きたい」と言うくらい意 欲的だったのに、5月ごろ子どものクラスが学級崩壊し、うちの子が学級委員だったので担任から「あなたが静かにさせなさい」と言われてプツンと行けなくなりました。しばらく別室登校して自主学習をしていました。
夏休み明けから全く行かなくなり中1の3月まで家にいました。そこから、勉強できる環境の他の学校を探して、中2で私立に行きました。
中3の時、友だち関係にいろいろあって、3学期からまたプツンと切れたように行かなくなりました。修学旅行は行ったけど、景色しか写して来なかったです。
5月に今の通信制に移ってからすぐに、バイトを始めました。1日3〜4時間で今も続いています。お金の計算をしたり、目標額とか計画をしています。
勉強は全くしません。9月に試験があるけど、どうしようかと言う感じ。今はしたくないみたいです。私は干渉しすぎないように、勉強については触れないようにしています。
通信制にかわったからすぐに勉強できるわけではなく、少しずつ取り戻していく中で獲得していくのかな。
できないことを責めていたけど、そういうのもできるの?こういうこともできるの?とできることを拾うようにしています。
今は親子で落ち着いています。送迎したりしてたから、親も気持ちが楽になりました。
それでも通信制に行くことを「普通の高校に行けないから私は底辺にいる」と言います。普通の高校に行くのが多数だからと言います。
祖父母がそういう社会常識にとらわれたことを言っちゃうので、言わないでほしいんです。子どもたちの間でも、そういうのがあって、他の兄弟がよその子の不登校に対する心無い言葉を聞いてショックを受けたりしています。
H教師:学校を選ぶときに、入れる学校ではなく、不登校などに配慮できるような先生のいる学校を選ぶべきという気がするんですけどね。
C :それは実際には難しいですよね、入ってみないとわからない。それに、どっちにしても決めるのは子どもさんだし、失敗したとしても、いいんじゃないかな?
G母: はい、最近、ちょっと失敗した方が学ぶんじゃないかなと思っています。命に関わることならやめなさいと言うけど、なんでも経験して、失敗して得るものの方が大きいんじゃないかと。子どももそう言います。「お母さんの経験談より、私の失敗談の方が役に立つ」と。
F母:学校の懇談会で、「失敗と思わず、発見と思ってください」と言われました。カウンセラーの先生の話で、「失敗じゃなくて、こうしたらうまくいかないという発見にしてください」と。
B :例えば、コンビニにバイトに行ったけど続かなかったら、失敗ではなく、それはコンビニのバイトが自分に合っていなかったという発見をした、というようにですね。
E母: それにしても、Gさんのお子さんはバイトしたり、よく社会とつながっておられますね。すごいなぁ。
G母: 「それがなかったら私は死んでいる」と言います。「何もなかったら死んでるかも。心は死んでいる」と言います。
C : お母さんを信頼してらっしゃるんですね。
G母: 前は、(学校に)行けないことをずっとかわいそうと思っていました。中1のときは、辛くてかわいそうで、仕事中もずっとそのことを思って悲しかった。
今はそれがいけなかったなと思っています。