平和主義は非暴力、非軍事力による平和の維持のための思想のようである。平和の対極にあるものが戦争、紛争にあるならば、その事態を招く政治、外交の考え方にそのようなものを是とする思想があるかということを考えることになる。軍事大国という主義があるか、軍国主義という語はあったが、歴史的に、地域的に、その主義で平和を求めるという例を求めることになる。軍が政権を持つ国家には、その永続性を認めることはない。政情不安、外交の孤立化について軍事威嚇を行うことがあれば、それによる戦争の勃発を抑えるための抑止力というとらえ方があって、そこにあるのは軍備であるか、また言うところの平和主義であるのか、ということである。平和憲法を定め、自衛のための国防を進めてきた事実に、その国防はどのような防備によってなされてきたのかを見ると、戦後体制といわれ、そのレジウムを言い、平和憲法だとして唱えてきた国民には、自国を守る発想が何によって保障されていたというのだろうか。 . . . 本文を読む
日本語発音を英文字すなわちアルファベットで音写すると、日本語に特徴ある発音を工夫して書き表すことがある。その例に、た行とさ行の3つについてchi、tsu、shiとなる。あ行は英文字ひとつずつで、a、i、u、e、o のように表せるが、か行からは、か、さ、た、な、は、ま、や、ら、わ について、それぞれ、ka、sa、ta、na、 ha、ma、ya、ra、wa のように書くことができて、日本語発音に相当するので、2文字の書き方で統一的になる。しかし、問いにあるように2文字で表せない発音があるため、3文字となる。この発音は、しゃ、し、しゅ、の、 し にあたる shi にあたり、また、ちゃ、ち、ちゅ、の ち にあたる chi の発音と、つぁ、つ、つぉ、の つ にあたる tsu にあたり、そのそれぞれの発音に合わせて3文字で書くようになる。ヘボン式ローマ字綴りと言って、この発音を表わせば、日本語の発音となるように工夫されたものである。ヘボン式の書き表し方は、fu、ji など、ほかにも特徴がある。 . . . 本文を読む
現代日本語の輪郭は三省堂言語学大辞典、日本語項目にある。現代日本語の各論の前に10ページにわたって記述がある。標準語、または東京方言と、執筆者の南不二男氏は注釈して、音韻、文法、語彙、表記、および待遇表現を取り上げて、言語行動、言語生活を記述すると言う。輪郭であるから、あらましにふれるとことわりを言うが、その内容は簡に見えて要を尽くす解説である。その項目に従って詳しく、現代日本語はそれぞれの執筆者により、以降に、7項目があるので、その輪郭はまさにダイジェストされたものである。そうみてもなお、記述には日本語の輪郭を映してあまねしである。普く、遍く、参観すべきところだろう。すでに現代日本語文法の輪郭を名著としてその理論に揺るぎがないのでそのタイトルをもじってみて、なんら意味をなさないのであるが、大部な言語学大辞典の日本語項目を読んだという感想にしたい。 . . . 本文を読む
特報記事の見出しに、戦場へ行けますか?という見出しがあった。話題の発掘、ニュースの追跡、とかあるコーナーだからその問題意識には不明なこともあるが、集団的自衛権関心低く、とある書き方は事実認識が起こるような記事である。若者が戦場に行くとは何を意味しているのか、あまりにも短絡的な発想である。若者はもっと自分たちの命を考え、将来する生活を考え、その行動を選択して生きている。集団自衛権の議論をそのまま、すぐにも若者が軍隊として派兵されることにつなげた議論は新聞の論調と言えども考えがなさすぎる。そも、戦場とは何かを特定しないで、もっとも日本とかけ離れた発想でしか記事が書けないのか。本土が戦場になることを思わないのか、それが自衛権になると言う自明のことで、議論をすり替えて海外にだけ派兵される日本軍を発想するのは、戦前の戦場を外に作り戦ったとする大日本帝国の作戦であったから、いまだにその轍を踏む。
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公明了承で閣議決定へ 集団的自衛権「戦争できる国へ」 中日新聞トップ記事、見出しである。20140701
写真解説には、集団的自衛権の行使容認に反対する学生らが、自民党愛知県連前で抗議行動し「閣議決定の中止を」と拳を突き上げた=30日、名古屋市中区で(木戸佑撮影) リードには、安倍内閣は一日、臨時閣議を開き、集団的自衛権の行使を禁じてきた憲法解釈を変え、行使を認める新たな解釈を決定する、とある。
左側の見出しには、「密接な国」定義に根拠なし 外務省がミスリード認める とある。20140701
記事には、集団的自衛権の行使容認で、対象となる「密接な関係のある国」の定義について、日本との条約関係が必ずしも必要ないとする政府見解に明確な根拠がないことが分かった、とある。 . . . 本文を読む