国語の概念には言語をそのものとする、ことばがある。言葉を表記してコトバとするとその言葉は抽象作用の言語である。言語はいうこと、かたることであって、それは文字からすると盟誓の辞、神への誓いである。また>〔説文〕三上に「直言を言と曰ひ、論難を語と曰ふ」 >〔詩、大雅、公劉〕は都作りのことを歌うもので、「時(ここ)に言言し 時に語語(ぎよぎよ)す」というのは、その地霊をほめはやして所清めをする「ことだま」的な行為をいう。 と字通にある、言語である。それを白川漢字学は、>言語は本来呪的な性格をもつものであり、言を神に供えて、その応答のあることを音(音)という。神の「音なひ」を待つ行為が、言であった。 と述べる。そしてさらに、>言語と連称し、言は立誓による攻撃的な言語、語は防禦的な言語。 である。語は、かたる、呪語をのべて霊をしずめる、ことば。 . . . 本文を読む
国語の思想は国語という思想とは異なる。国語とはと措定すると国民語であってもよい。国は郷のことであり、その言葉であって、国家語でも国語教科でも、標準語でも共通語であってもよい。それは国語をどう見るかの問いに対する答えであるが、その時々の言語のありようが人々の言葉としてある。和語漢語を国語とし、それは言語の固有語と借用語の間で外来語をとりいれて、新たな借用をもって在来との区別をして、国語とするかどうかを思想として持ったのである。国語の思想には日本語の基層があり、日本語は漢語を国語とすること、外来語を外国語としながらも、音訳語をもって国語としようとする。日本語は漢語のみならず、洋語、カタカナ語をも国語にしている。国語の思想にあるものは和語そのもである。 . . . 本文を読む
いつもお訪ねをいただきありがとうございます。ブログの開設から、1,439日です。アクセス閲覧が1000を超えて、初めてか、数回あったか、なかったか、驚きましたが、訪問者数は185の方々ですから、お変わりないと思います。よい日差しがありました。穏やかな日曜日の午後、風が冷たくなっています。サイトに時間計算というのがあるので、生まれた日からを計算してみました。25671日と出ました。2万日と3万日の半ば、3万日にはあと10年以上ですから、どうでしょう。61万時間6千、時間を分に直すと、3696万分をかぞえて、まだ少しは数字にして感覚があるかというところですね。100年と比べてみました。まだまだ、時間はありそうですが、東京オリンピック、リニア新幹線、それくらいが、見ることがあるかと、思います。名古屋以西はまだわかりませんが、2045年となると、時間計算の100年にもなりますから… . . . 本文を読む