国語と日本語の議論は国語学と日本語学の学問基盤にある問題である。その文献をよむと詳細である。そもそもには亀井孝著作集にあった、国語とはいかなる言語か、という提議である。そのころ、には国語学では時枝学説に接してその原論が著された地域と時代を思った。学生時代のことである。その一方で小林訳の一般言語学講義、旧訳で言語学原論を読んだ。45年前にさかのぼる。小林英夫>1928年、ソシュールの『一般言語学講義(英語版)』(仏: Cours de linguistique générale)を『言語学原論』として世界にさきがけて翻訳する。1929年京城帝国大学講師、1932年助教授(ギリシア語、言語学)、敗戦により東京に引き揚げ 時枝誠記 >1927年京城帝国大学助教授、1933年同教授、1943年東京帝国大学文学部国語学国文学第一講座教授。 . . . 本文を読む
言語記号は所期と能記で表された象徴のことである。言語を記号とすること、まして象徴であるとするのは翻訳概念を通してなおなじみにくい。シニフィアンsignifiant、シニフィエsignifié とすればわかり良いところもあるのだろうが、それをまた概念と聴覚映像として見て、言語記号の模型図を思い合わせる。それもまた講義録のことであるゆえに後から追記された図があることだと知ることになるが、そのモデルには、書き込みのあるなしにかかわらず、いくつか解釈があるものでもない。と思いツ、翻訳された版に、言語記号の書記に漢字を載せているのを鮮明にして記憶したことがある。明らかに「🌲」に対して、その位置に「樹」があって、それを /ki/ とする。ソシュールは漢字の文字に、このように記号ではないものを感じ取っていたとその言語記号のモデルに納得したものであった。そのモデルをもって講義がなされたか、聞き手たちによる書き加えであったか、取りざたされるところ、その図をもっての理解は正しいと思わざるを得ない。文字の一つが中国では言葉であるから、これを日本語にすると同じであっても、さらに熟語がこの説明に必要となることになる。日本を思い浮かべれば、そこには、にっぽん にほん として現れるのであるから、二字熟語の熟合は日本語の言葉なのである。音声言語をとらえれば、二ホン国 ニッポン国 に呼び起こす概念は、日本国であって、ほかの何物でもない。漢字が言葉としてある文字が対応すればそこにはわかりよいし、漢字がなければ、仮名文字となるかどうかである。ジャパン Japan と、すでに発音をもって可能にする外国語が日本語にあって、これは概念化したものを置けば済むことであるから、文字言語と音声言語の言語記号を巧みに使い分けている。
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