しろん・じろん、これは、わたしの、もつ論、の言いであるか、北原保雄氏のエッセイ、金田一氏が巻頭にあって、それに続く、「日本語」か、「国語」か、述べるところは、名称の意味内容である。国語調査会にみる、国語国字問題におよべば、さらにさかのぼって、国語とは何か、国字とは何かをとらえることになる。国語を国とだけする発想では、わかりにくい。また日本語の呼称は、日本だけを取り出すことができるかどうかである。日本の表記はヤマトについてすでに万葉集に見えるし、日本書紀、日本紀をどう読むかである。国語国字には和語和字が、日本には大和、和また倭が、それぞれにむかえる意味内容がある。
日本語か、国語か、これについて、ヤマト語と和らげの概念であることを思う。和語のとらえ方に漢語にいう外来語の和らげに用いられた,国字、国語がある。
. . . 本文を読む
米朝の会談場所がシンガポールと決まったようである。日時は6月12日という。ウランバートル、ジュネーブ、平壌などの地名が上がっていた。日本は何故、直接に入ってこないかと語ったと、拉致問題のことか、韓国首脳によって伝えられrた。聞こえてくることが違和感を持つのは不可解である。拘束されていた米国人3人が解放され、ワシントン郊外の飛行基地での出迎えが報じられた。 . . . 本文を読む
ぼけたことを書こうとして、1年前のリマインダーにさまざま、ぼけ日記の前哨戦である。退職して年金生活の傍ら、生活がリズムになっている。そのリズムはどんなものかと言えば、週3日の授業日であって、昨年のリズムから1日分減っている。だから、それだけ体力に見合うことになると勝手に思っていて、日に1万歩数を目指すとか、規則正しくしてとか、そういうことをしなくなった、こうして思えば、週に3日動けばいいというような、ずいぶんとぐうたらになってきた。1年目でこの様子だから、寿命にすれば、めぐりが予期せずやってくるような、終活を急がねばならないか。 . . . 本文を読む