鳥居裏から(中原八幡神社 中原町941)
拝殿側から鳥居方向を見ると、高い場所に建てられたこの中原八幡のように、ながめが楽しめたり、神社を守る氏子の住む町村の様子を見たりすることができます。また、鳥居の裏側に、建てた人たちの名や、建立年などが彫られているのを見ることができます。
立原春沙墓(六地蔵寺 六反田町767)
立原翠軒(すいけん)の子で画人だった杏所(きょうしょ)の娘の春沙(しゅんさ)は、前田家に将軍家から嫁いだ溶姫(やすひめ)に仕えた画人だそうです。古いお墓が風化したので、写真の墓は昭和61年に再建されたそうです。正面には「春沙女史立原氏墓」とあります。春沙は独身だったそうです。墓に限らず、裏にいろいろ書かれた石碑はよくあるようで、注意して見ると知ることのできることも多そうです。
石鼎句(光台寺 上水戸3-1-39)
墓の裏側に、「この碑建つ 折しも 花の頃なりき」という、高浜虚子に師事し、「鹿火屋(かびや)」を主催した、原石鼎(せきてい)の句が彫られています。
裡一町目石碑(市杵姫神社前 本町1-6-17)
本町(ほんちょう)では本通り裏側の備前堀沿いに、片側町があり、本通りの本一町目から本七町目まで、それに対応した、「本」のかわりに「裡(うら)」という字をつけた町名が付けられていたそうです。写真右下に裡一町目の石碑が見えます。
はに丸タワー(くれふしの里古墳公園 牛伏(うしぶし)町201-2)
はに丸タワーの裏側は、表側とはまるで違ったかたちをしています。