伊藤玄蕃屋敷発掘現場(三の丸)
もう埋め戻されてしまいましたが、水戸徳川家最古参家臣の一人であった伊藤玄蕃(いとうげんばん)屋敷跡が発掘されていました。そこから、神崎石(かみさきいし)を積んだ井戸が出てきたそうです。笠原水道の石樋で使った石です。幕末から明治にかけての時期に積まれたようです。丸く形が整えられていて見ごたえがありました。
綿引家(元吉田町2192)
屋敷神の近くに井戸がありました。今はコンクリート枠の普通の井戸ですが、かつては、庄屋の家だったこの古民家に似合った、昔に掘られた、屋根をかけたものなのでしょう。
飯富町(36°26'01.9"N 140°24'56.1"Eあたり)
那珂川側崖下の旧道脇に掘られた井戸です。隣に石祠がありました。井戸神か水神を祀っているのでしょう。飯富町には、近くにある大井神社に関係する釜井戸など3つの井戸もあるようです。
東野町
井戸枠をつくらず揚水管だけをすえた、こういう感じの井戸もところどころで見かけます。日常の用には十分足りるのでしょう。
好文亭入口付近(常盤町1-3-3)
好文亭の現在使われている入口付近にある井戸です。入口付近の菊の間と桃の間は台所として使われ、その水を汲んだのが写真の井戸のようです。ですから、かつてこのあたりは、勝手口といった感じだったのでしょう。ただし今のものは復元模型のようです。
井戸跡と木製品(埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
柳河町遺跡第7地点(柳河小学校道向かいあたりのようです。)からは10世紀後半から11世紀前半につくられた井戸跡が発掘されたそうです。中には水びたしになっていたために保存されてきた木製品もあったそうです。写真は展示されていた、その井戸跡のパネルです。
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