木葉下(あぼっけ)の香取神社前にある田を、「化け石タンボ」というそうです。神社前のやぶ中にある石の一つが化けて出るそうで、夜泣きをする子の親がその石にあうと子の夜泣きが止むといわれているそうです。写真は、香取神社前の田があるあたりです。
長者山下の田野川には河童が住んでいたそうです。雨の降る夜遅く、そこを通ると河童が出てくるといわれていたそうです。写真は長者山下にある渡里湧水群脇を流れる田野川です。令和1年の台風による水害前の写真です。このすぐ先で、田野川は那珂川に合流します
現在の本町3丁目あたりにかつてあった八百惣乾物店の前に、昔、板橋があって、そこに狐が住んでいたそうです。この板橋は厚木洗橋といわれていたそうですが、小豆洗(あずきあらい)が変化した名前のようです。昔、妖怪・小豆洗の伝説があったのでしょう。
文久3年(1863)に、岡本という若い武士が神勢館から帰る途中、細谷新御蔵前のあたりで、大男3人が刀を抜き勝負をしたいと申し込んできたそうです。岡本が切りつけると3人とも見えなくなったそうです。近くで提灯を借りて戻ってみると、1mちかい三毛猫だったそうです。写真は旧町名・蔵前の石碑(城東36°22'29.2"N 140°29'50.1"Eあたり)です。このあたりには上と少し違う話もあるようです。
徳川斉昭が藩主になる前の部屋住み時代、駒込の屋敷で、藩士の子が不浄物を稲荷神社の近くに捨てたところ、その晩から狂いだしたそうです。斉昭は別の藩士を稲荷神社に行かせ、不浄物は早速片付けるから今夜中に静まるよう、そうすれば明朝赤飯を進上するが、もし聞かないなら駒込中狐狩りをするといわせたそうです。豊臣秀吉にも似たような話があるようです。この昔撮った写真は、現在、東大農学部になっている水戸藩駒込屋敷跡に建てられた、「朱舜水先生終焉之地碑」です。
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