映画『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』から。
https://ikiru-okawafilm.com/
東日本大震災からちょうど12年。
名古屋で映画を観た。
裁判の結論は、もちろん国家賠償請求認容。校庭から裏山に登っていれば、確実に助かっていた。海抜1メートル程度の平地ながら、海岸からは1キロメートル以上あることから、津波には油断していたのだろう。
しかし、当時の報道では、生徒と一緒に被災した教師らに対する非難がやや過酷にも感じられ、唯一の生存教諭も法廷で証言できない病状に追い込まれた。
仙台高裁判決が認めたように、民事責任においても「組織的過失」を問題にする必要性を痛感した。
https://ikiru-okawafilm.com/
東日本大震災からちょうど12年。
名古屋で映画を観た。
裁判の結論は、もちろん国家賠償請求認容。校庭から裏山に登っていれば、確実に助かっていた。海抜1メートル程度の平地ながら、海岸からは1キロメートル以上あることから、津波には油断していたのだろう。
しかし、当時の報道では、生徒と一緒に被災した教師らに対する非難がやや過酷にも感じられ、唯一の生存教諭も法廷で証言できない病状に追い込まれた。
仙台高裁判決が認めたように、民事責任においても「組織的過失」を問題にする必要性を痛感した。